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即成院ではいただけません
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そくじょういん|真言宗泉涌寺派泉涌寺塔頭光明山

即成院
京都府 東福寺駅

9:00〜17:00(冬期9:00〜16:00)

御朱印について御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

あり

巡礼

その他の巡礼の情報

泉山七福神・福禄寿

即成院について

那須与一のお墓


源平時代の武将・那須与一が、戦後に阿弥陀様を信仰し、即成院に庵を結び、没し、境内に巨大な石塔のお墓を残した。

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年12月25日(水)
2196投稿

京都市東山区にあるお寺です。泉涌寺の塔頭の1つです。
泉涌寺の総門のすぐ横にあります。
こちらは源平合戦で名を馳せた 那須与一にゆかりのあるお寺です。
合戦に向かう前 与一が武運を祈願したお寺です。
与一は戦が平氏が滅んだあと 仏門に入り いくつかのお寺を開基したとされています。
本堂の裏手には与一(与市)のお墓もありました。
山号は光明山 院号は即成院 宗旨宗派は真言宗泉涌寺派 ご本尊は阿弥陀如来(重要文化財) 創建年は伝・正暦3年(992年) 開基橘俊綱です。
ネット情報です。
即成院は明治時代以降は泉涌寺山内にあるが 創建当初は伏見桃山(現・伏見区桃山)にあった。
創立者は藤原頼通の子で歌人 風流人として知られる伏見長者橘俊綱と考えられている。
伏見にあった即成院は豊臣秀吉の伏見城築城に伴い強制的に移転させられ 文禄3年(1594年)大亀谷(現・伏見区深草大亀谷)に移った。
明治初年の廃仏毀釈の影響で即成院は1872年(明治5年)にいったん廃寺となり 仏像は泉涌寺に引き取られた。
1887年(明治20年)に泉涌寺大門付近に仮堂が建設されてようやく復興し 1899年(明治32年)には泉涌寺塔頭の法安寺に吸収合併され 1902年(明治35年)には 大門前から総門近くの現在地に移された。
ということは こちらの場所へ那須与一はお参りされていないということか?

即成院(京都府)

山門

即成院(京都府)

寺標

即成院(京都府)

由緒書

即成院(京都府)

導延命地蔵菩薩

即成院(京都府)

与一の手洗い場

即成院(京都府)
即成院(京都府)

紙石鹸がこの中に

即成院(京都府)

境内のモミジがきれいに紅葉していました

即成院(京都府)
即成院(京都府)

弘法大師像

即成院(京都府)
即成院(京都府)

本堂

即成院(京都府)

本堂

即成院(京都府)

内陣

即成院(京都府)

那須与市公御墓所とあります

即成院(京都府)

本堂から裏へ出ます

即成院(京都府)

サンダルで行けます

即成院(京都府)

那須与市墓

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歴史

山号を光明山とする真言宗泉涌寺派の寺である。
寺伝によれば、正暦三年(992)、恵心僧都(源信)により伏見(宇治川北岸)に建立された光明院を起源とする。
寛治年間(1078〜1094)に橘俊綱(藤原頼通の子)が山荘を造営するにあたり、光明院を持仏堂として傍らに移設し、後に山荘を寺院と改めてからは伏見寺または即成就院と呼ばれていた。
宇治川を挟んで向かい側には父、藤原頼通の宇治殿改め平等院が建っており、父子相呼応するような寺院建立の経緯である。
文禄三年(1594)、豊臣秀吉の伏見築城のため、深草大亀谷に移転し、さらに明治時代に至って泉涌寺山内に再興され、即成院と呼ばれるようになった。
本堂には、仏像群としての形式は極めて珍しい阿弥陀如来像並びに二十五菩薩像(重要文化財)が安置され、境内には平安時代の武将でああり、弓の名手であった那須与一の墓と伝えられる石造宝塔がある。寺伝によれば、与一は出陣する途中、病に罹ったが当院に参籠し、本尊阿弥陀如来の霊験で平癒し、屋島の戦い(源平の戦い)で戦功をたてたので、仏徳に感じて出家し当院に庵をむすび、一生を終えたと伝えられている。

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即成院の基本情報

住所京都府京都市東山区泉涌寺山内町28
行き方

JR奈良線・京阪電車東福寺駅より徒歩10分

アクセスを詳しく見る
名称即成院
読み方そくじょういん
通称那須の与一さん
参拝時間

9:00〜17:00(冬期9:00〜16:00)

参拝料

なし

トイレ本堂奥にあり
御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印帳なし
電話番号075-561-3443
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.negaigamatoe.com/
おみくじあり

巡礼の詳細情報

泉山七福神巡り

第1番

御本尊:福禄寿

詳細情報

ご本尊阿弥陀如来
山号光明山
院号即成院
宗旨・宗派真言宗泉涌寺派泉涌寺塔頭
創建時代正暦三年(992)
文化財

阿弥陀如来坐像、脇侍観世音菩薩坐像、大自在菩薩坐像、如意輪観世音菩薩坐像(国重要文化財)

ご由緒

山号を光明山とする真言宗泉涌寺派の寺である。
寺伝によれば、正暦三年(992)、恵心僧都(源信)により伏見(宇治川北岸)に建立された光明院を起源とする。
寛治年間(1078〜1094)に橘俊綱(藤原頼通の子)が山荘を造営するにあたり、光明院を持仏堂として傍らに移設し、後に山荘を寺院と改めてからは伏見寺または即成就院と呼ばれていた。
宇治川を挟んで向かい側には父、藤原頼通の宇治殿改め平等院が建っており、父子相呼応するような寺院建立の経緯である。
文禄三年(1594)、豊臣秀吉の伏見築城のため、深草大亀谷に移転し、さらに明治時代に至って泉涌寺山内に再興され、即成院と呼ばれるようになった。
本堂には、仏像群としての形式は極めて珍しい阿弥陀如来像並びに二十五菩薩像(重要文化財)が安置され、境内には平安時代の武将でああり、弓の名手であった那須与一の墓と伝えられる石造宝塔がある。寺伝によれば、与一は出陣する途中、病に罹ったが当院に参籠し、本尊阿弥陀如来の霊験で平癒し、屋島の戦い(源平の戦い)で戦功をたてたので、仏徳に感じて出家し当院に庵をむすび、一生を終えたと伝えられている。

体験祈祷仏像御朱印重要文化財武将・サムライ有名人のお墓札所・七福神巡り
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