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そくじょういん|真言宗泉涌寺派泉涌寺塔頭光明山

即成院の御由緒・歴史
京都府 東福寺駅

ご本尊阿弥陀如来
創建時代正暦三年(992)
ご由緒

山号を光明山とする真言宗泉涌寺派の寺である。
寺伝によれば、正暦三年(992)、恵心僧都(源信)により伏見(宇治川北岸)に建立された光明院を起源とする。
寛治年間(1078〜1094)に橘俊綱(藤原頼通の子)が山荘を造営するにあたり、光明院を持仏堂として傍らに移設し、後に山荘を寺院と改めてからは伏見寺または即成就院と呼ばれていた。
宇治川を挟んで向かい側には父、藤原頼通の宇治殿改め平等院が建っており、父子相呼応するような寺院建立の経緯である。
文禄三年(1594)、豊臣秀吉の伏見築城のため、深草大亀谷に移転し、さらに明治時代に至って泉涌寺山内に再興され、即成院と呼ばれるようになった。
本堂には、仏像群としての形式は極めて珍しい阿弥陀如来像並びに二十五菩薩像(重要文化財)が安置され、境内には平安時代の武将でああり、弓の名手であった那須与一の墓と伝えられる石造宝塔がある。寺伝によれば、与一は出陣する途中、病に罹ったが当院に参籠し、本尊阿弥陀如来の霊験で平癒し、屋島の戦い(源平の戦い)で戦功をたてたので、仏徳に感じて出家し当院に庵をむすび、一生を終えたと伝えられている。

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