いちじょうでん しんぜんこうじ|真言宗泉涌寺派
一條殿 新善光寺京都府 東福寺駅
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楽しみ方
【38】一條殿 新善光寺
京都府京都市東山区泉涌寺山内町31
皇室の菩提寺として知られる泉涌寺を参拝したあと、山内の静かな参道を歩きながら戒光寺へ、そして可愛らしい御朱印の案内板に目を奪われて新善光寺へお参りいたしました。
泉涌寺の塔頭である新善光寺は、寛元元年(1243年)、後嵯峨天皇の命によって創建されました。
信州善光寺のご本尊である阿弥陀如来のお姿を、そっくり模して作られた「木造阿弥陀如来立像」をご本尊としてお祀りしたことから、「新善光寺」の名がつけられたのだそうです。
信州善光寺の阿弥陀如来像は、過去にも未来にも誰も見ることができないという絶対秘仏ですが、新善光寺のご本尊も同様に秘仏とのことで、普段はお姿を拝することができない阿弥陀様なのだそうです。
ですが新善光寺のご本尊は秋の特別開帳でお目にかかれる機会があるそうなので、その日を楽しみにしたいと思います。
そもそも秘仏とはとは…と気になってきて、信仰の世界において「見えないこと」がどれほど重い意味を持つのか、規律がどのように守られてきたのかなど、いつの間にか思考がどんどん横道にそれていき、気づけば毎度の雑念いっぱいの参拝となっていました。
秘仏は2種類あるそうで、
開帳秘仏:数年~数十年の周期で扉が開かれて、拝観できる仏様
絶対秘仏:過去・現在・未来にわたって、住職や僧侶であっても決して見てはならないとされる仏様
信州善光寺のご本尊(一光三尊阿弥陀如来)は、日本最古の絶対秘仏なのだそうです。
現在、御開帳の際に拝むことができるのは、鎌倉時代に本尊を模して作られた「前立本尊」であり、ご本尊そのものは鎌倉時代以降、誰も目にしていないとのことで…!
なぜ中の人ですら見てはいけないのでしょうかね?と疑問に思ったのですが、やはり信仰上の深い意味がありそうです。
秘仏は単なる彫刻・美術品ではなく、中に本物の仏様が宿り生きていると考えられてきました。
なので、軽々しく人の目に晒すことは失礼にあたり、厨子(お住まい)の中で静かにお過ごしいただくことが供養になるとされたのだそうです。
また、見ることができないからこそ、拝観者は心の中で神々しいお姿を想像します。
見えないことそのものが、無限の神聖さと霊験を生み出すという、独特の美意識と言いますか信仰の形になっているのだとか。
また、絶対秘仏を守るための厳しい戒めもありました。
もし厨子を開けて見ようとしたら、目が潰れる・災厄が降りかかるといった強い言い伝えが全国の秘仏寺院に存在するそうで、その厳しい戒めによって盗難や好奇心による開扉から守られてきました。
数十年に一度の、御戸帳の取り替えなどの際は、僧侶が暗闇の中で目を閉じて手の感覚だけで作業を行ったりするのだそうです。
お姿を見ることができないからこそ、心の中でより深く向き合えるのでしょうね。
た、試されているぅヾ(º∀º; )ノ と思ってしまった私は、煩悩が多すぎて話にならないのでした。
表門を入ってすぐ左側の納経所で、可愛らしい御朱印を拝受いたしました。
季節や行事に合わせた消しゴムはんこを毎月作成されていて、星座シリーズ、花シリーズ、お誕生日や結婚記念日や還暦の記念日、命日に授与していただけるものなどたくさんの種類があり、毎月いただきに通うファンがいらっしゃるというのも実に納得です。
お話しさせていただきながら選ぶのも楽しく、待つのも楽しく、温かいおもてなしの心に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
ホカホカ気分で、今熊野観音寺へと向かいます。
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京都市東山区にあるお寺です。泉涌寺の塔頭の1つです。
こちらはかわいらしい御朱印が有名なお寺です。
消しゴムハンコで季節の花をあしらっていて 人気があるのも納得です。
花の御朱印帳もあります。
御朱印を書いていただいている間は 奥様とお話をさせていただきました。
併設している幼稚園の園児さんのお話や 教育方針についてでした。
確か ある俳優さんがこちらの卒園生だったとテレビで紹介していました。
境内には真っ赤に紅葉したモミジが1本。ひときわ目立って美しかったです。
ご本尊は阿弥陀如来 創建年は寛元元年(1243年)です。
ネット情報です。
寛元元年(1243年)8月 後嵯峨天皇の御願寺として値願念西が勧進して一条大宮の地に創建された。
勅命によって大工藤井為行 小工沙弥教弘らが信濃国善光寺本尊と同体の阿弥陀如来立像を鋳造して本尊とし 新善光寺と名付けられた。
南北朝時代から室町時代に入ると庶民の崇敬を受けて寺は栄えた。
しかし応仁の乱で灰燼に帰すると文明5年(1473年)に泉涌寺山内に移った。
孤雲正瑞の再興により現域に落着くのは江戸時代の寛文年間(1661年~1673年)である。
泉涌寺の塔頭はそれぞれ七福神を祀っており こちらは番外(愛染明王)札所になっています。
寛元元年(1243)、後嵯峨天皇の勅願により創立、本尊は信州善光寺阿弥陀如来と同仏同体に鋳造された鎌倉時代の作である。
後嵯峨天皇は常に宮中に安置なされ、都の内外万民に至るまで信濃の国へは遠き山路を超え、日を経ずしては到着することができず、また、志あれども思うにはまかせざる者の為に、一条大宮に大梵刹をおこし「値願」を請して開山、寺号を「新善光寺」と賜るにはじまる。
応仁年間に兵火にかかるが、文明五年(1473)後土御門帝の勅により泉涌寺に移され現在に至る。
春の枝垂桜、秋の紅葉が魅了する庭園には愛染明王をまつる愛染堂があり、敬愛和合・恋愛成就を祈願する方々の信仰が厚い。
本堂、客殿、玄関、表門、中門は京都府暫定文化財に登録されている。
| 住所 | 京都府京都市東山区泉涌寺山内町31 |
|---|---|
| 行き方 |
| 名称 | 一條殿 新善光寺 |
|---|---|
| 読み方 | いちじょうでん しんぜんこうじ |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | あり |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| 電話番号 | 075-561-5109 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| 絵馬 | あり |
| ご本尊 | 阿弥陀如来立像 |
|---|---|
| 宗旨・宗派 | 真言宗泉涌寺派 |
| 創建時代 | 寛元元年(1243) |
| 開山・開基 | 値願念西 |
| ご由緒 | 寛元元年(1243)、後嵯峨天皇の勅願により創立、本尊は信州善光寺阿弥陀如来と同仏同体に鋳造された鎌倉時代の作である。
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| ご利益 | |
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