やさかじんじゃ
八坂神社(祇園さん)
京都府 祇園四条駅
参拝可能時間
24時間
社務所
9時~16時
御朱印(12種類)
八坂神社では、常時12種類の御朱印がいただけます。
その他にも、限定御朱印もたくさんの種類がいただけますので、ぜひ確認してみてください。
八坂神社朱印
八坂神社御本社の御朱印。
中央に明治以前の名称「祇園社」と墨書きさて、に三つ巴と御神紋、「八坂神社」の朱印が押されています。
御神縁御朱印
真ん中に「御神縁」の墨書きに八坂神社の印が押されています。
淡いピンク色の台紙に濃いピンクの八坂紋結び(八坂神社の御神紋を飾り結びで表したもの)が散らされている可愛らしい御朱印です。
悪王子社御朱印
八坂神社摂社、悪王子社の御朱印。
真ん中に「悪王子社」の墨書きに重ねて神社印が押されています。
疫神社御朱印
八坂神社摂社、疫神社の御朱印。
疫病除けの神様を祀っています。
真ん中に「疫神社」の墨書きに神社名が重ねられています。
蛭子社御朱印
八坂神社末社、蛭子社の御朱印。
商売繁盛の神様を祀っています。
真ん中に「北向 蛭子社」の墨書きに神社印が押されています。
大神社御朱印
伊勢神宮内宮と外宮の神様を祀っている社の御朱印です。
「大神宮社」の墨書きに社名の朱印を重ねています。
美御前社御朱印
八坂神社摂社、美御前社の御朱印。
美容の神様を祀っています。
「美御前社」の墨書きに社印が重ねられています。
大国主社
八坂神社末社、大国主社の御朱印。
縁結びの神様を祀っています。
「大國主社」の墨書きに社印が重ねられています。
玉光稲荷社朱印
八坂神社末社、玉光稲荷社の御朱印。
五穀豊穣・商売繁盛の神様を祀っています。
「玉光稲荷社」の墨書きに社印が重ねられています。
刃物神社御朱印
八坂神社末社、刃物神社の御朱印。
苦難を断ち切り、未来を切り開く神様を祀っています。
「刃物神社」の墨書きに社印が重ねられています。
又旅社御朱印
八坂神社の境外末社(三条商店街内)、又旅社の御朱印です。
祇園祭(毎年7月24日)で三基の神輿が安置されます。
「又旅社」の墨書きに「八坂神社又旅社」の印が重ねられています。
冠者殿社
八坂神社の境外摂社、冠者殿社の御朱印です。
旧暦10月20日に京都の商人や遊女が参拝し、日ごろ客をだました罪を免れるよう祈る行事「誓文払い」で有名です。
「冠者殿社」の墨書きに社印が重ねられています。
限定御朱印
青龍御朱印
青龍が描かれた台紙の上に「青龍」と墨書きされ「八坂神社」朱印が重ねられています。
こちらは日付ではなくその年の年号と干支が墨書きされます。
御霊会御朱印
台紙に山鉾(やまぼこ)が描かれ、「祇園 御霊会」と墨書きされています。
平安時代に疫病退散を祈願して行われた「祇園御霊会」が、現在の祇園祭の起源です。
恵方御朱印
右側に頒布された年(例:令和二年)と「恵方」、真ん中に「歳徳神」、左側に「開運〇方位」と墨書きされています。
吉方を司る恵方の神 歳徳神(としとくじん)の姿が描かれています。
※恵方は毎年変わります
茅の輪御朱印 (青)
青の台紙の真ん中に「疫病退散」と墨書きされています。
右上には「祈」の金色の印、中央に「蘇民将来子孫」と書かれた茅の輪の朱印が押されています。
茅の輪御朱印 (緑)
黄緑色の台紙の真ん中に「無病息災」と墨書きされています。
上には「祈」の金色の印、中央に「蘇民将来子孫」と書かれた茅の輪の朱印が押されています。
授与場所・時間
御朱印・御朱印帳は共に授与所でお受けできます。
御朱印の受付時間は9時~16時。
詳しくは公式サイトをご確認ください。
御朱印帳
御朱印帳 (紺色)
濃紺の生地の御朱印帳です。
表には「八坂神社」と金色で書かれています。
御朱印帳 (社紋 朱色)
朱色の生地の御朱印帳です。
表に「祇園木瓜」「三つ巴」の御神紋、裏に「八坂紋結び」と「京都 祇園 八坂神社」と金色で表記されています。
御朱印帳 (社紋 白色)
白色の生地の御朱印帳です。
表に「祇園木瓜」「三つ巴」の御神紋、裏に「八坂紋結び」と「京都 祇園 八坂神社」と金色で表記されています
御朱印帳 (素戔嗚尊)
「素戔嗚尊を訪ねて」「平成のおかげ参り」と薄紫色の御朱印帳に濃紺で書かれています。
背面に同じ色で祇園木瓜紋が入っています。
素戔嗚尊は八坂神社の御祭神です
御朱印帳 (ピンク)
ピンク色の麻の葉模様を使った御朱印です。
赤・ピンク・白の八重桜と薄緑の三つ巴・祇園木瓜紋(御神紋)、八坂紋結びがたくさん描かれています。
祇園祭1150年記念 御朱印帳(木製)
右上に「奉祝 祇園祭 千百五十年」と文字が書かれ、八坂神社と山鉾がある風景が描かれています。
裏面に神紋の三つ巴と祇園木瓜、神社名が書かれています。
木でできた御朱印帳です。
御朱印 | 摂社・末社を含めた11種類の御朱印をいただけます。
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | - |
縁結びパワーのおかげなのか
助手と、デートに数回行っております
この日も、河原町で待ち合わせだったので、待ち合わせ時間より早く到着して
神様にお礼参り
過去参拝 京都市東山区にあります。
八坂神社(祇園さん)に参拝しました。
ほぼ40年ぶりに訪れました、久しぶりに参拝し
御朱印頂きました。
京都市東山区にあります、
八坂神社[祇園さん]に参拝しました。
祇園祭、山鉾巡行見に行きましたが、あまりの人の多さに山鉾巡行を見るのを、早々に断念😭
神社に参拝して御朱印を頂きました。
山鉾巡行、人が多すぎて前に進むのも困難w
山鉾巡行の方に一つが殺到していて、楽に参拝できました。
出店も多く出ており賑わっていました。
大阪のソウルドリンク[冷やしアメ]🤣
暑い時はコレだねw(ちょっと味薄かったが😅)
御朱印[祇園御霊絵]
1月1日 白朮祭(おけらさい)
1月3日 元始祭・初能・かるた始め式
1月9日 蛭子船巡行・宵えびす
1月10日 蛭子社祭・本えびす
2月節分(前日・当日) 節分祭・歌舞伎会奉納・豆撒き
3月17日 祈年祭
5月5日 端午祭
6月14日 御神楽奉納奉告祭
6月15日 例祭・献詠披講式
6月30日 大祓式・茅の輪くぐり
7月1日〜31日 祇園祭
8月7日 七夕祭
中秋名月 観月祭
11月3日 明治祭・舞楽奉納
11月23日 新嘗祭
12月21日 煤払式
12月31日 大祓式・除夜祭
江戸時代までは祇園社、または感神院と称した。
創祀は社伝によれば斉明天皇二年(656)、高麗より渡来した使節の伊利之(イリシ)が新羅国の牛頭山に坐した素戔嗚尊を奉斎したことに始まるとされ、平安遷都の延暦十三年(794)以前よりこの地に祀られていたとされる。
貞観十一年(869)疫病流行の際、当社の神にお祈りして始まったのが祇園祭である。平安時代には二十二社の一に数えられ、朝廷から厚く崇敬された。
平清盛の田楽奉納、源頼朝の狛犬奉納、足利将軍家も社領の寄進、修造を行います。
豊臣秀吉は母 大政所の病気平癒を祈願し大塔を再建。徳川家康は社領を寄進、家綱は現存する社殿を造営。武家の崇敬も厚かった。
名称 | 八坂神社(祇園さん) |
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読み方 | やさかじんじゃ |
通称 | 祇園さん |
参拝時間 | 参拝可能時間
|
参拝にかかる時間 | 約20分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり 摂社・末社を含めた11種類の御朱印をいただけます。
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限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 075-561-6155 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.yasaka-jinja.or.jp/ |
おみくじ | あり |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
ご祭神 | 《中御座》
素戔嗚尊(すさのをのみこと) 《東御座》 櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと) 《御同座》 神大市比売命(かむおおいちひめのみこと) 佐美良比売命(さみらひめのみこと) 《西御座》 八柱御子神(やはしらのみこがみ) ・八島篠見神(やしまじぬみのかみ) ・五十猛神(いたけるのかみ) ・大屋比売神(おおやひめのかみ) ・抓津比売神(つまつひめのかみ) ・大年神(おおとしのかみ) ・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) ・大屋毘古神(おおやびこのかみ) ・須勢理毘売命(すせりびめのみこと) 《傍御座》 稲田宮主須賀之八耳神(いなだのみやぬしすがのやつみみのかみ) |
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創建時代 | 斉明天皇二年(656年)または貞観十八年(876年) |
創始者 | 伊利之、または円如 |
本殿 | 祇園造(八坂造) |
札所など | 二十二社(下八社)
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文化財 | 本殿(国宝)
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ご由緒 | 江戸時代までは祇園社、または感神院と称した。
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体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭り武将・サムライ札所・七福神巡り伝説 |
概要 | 八坂神社(やさかじんじゃ)は、京都市東山区祇園町北側にある神社。二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 全国にある八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする関連神社(約2,300社)の総本社であると主張している。通称として祇園さんや八坂さんとも呼ばれる。祇園祭(祇園会)の胴元としても知られる。 |
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歴史 | 歴史[編集] 画像外部リンク 祇園社 - 都名所図会(日文研ホームページ) 社伝によれば、2つの説があり、貞観18年(876)南都の僧・円如(えんにょ)が当地にお堂を建立し、同じ年に天神(祇園神)が東山の麓、祇園林に降り立ったことにはじまる。という説と、斉明天皇2年(656年)、高句麗(この時代の高句麗の民族はツングース族であるという見方が識者の中では多く見られる)から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)の創建とされる説もあるが、この伊利之使主創建説は現存する歴史資料からは根拠に乏しいものと批判されている。 また度々、八坂神社の説明にて、高句麗を高麗と記載している場合があるが、こ...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「八坂神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%85%AB%E5%9D%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=96764349 |
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