ながすてんまんぐう
長洲天満宮兵庫県 大物駅
参拝自由
授与所開所日については本務社の皇大神社のHP内「最新情報」にて掲載
尼崎市の皇大神社さんが兼務されていますが普段は無人です。
1月1日の深夜(0時~2時)ごろにのみ開所し、氏神神符・御守・破魔矢・絵馬・御朱印を拝受できます。
開所時間については皇大神社さんのHP内のブログに最新情報が掲載されます。
JR神戸線「尼崎」駅から南へまっすぐ900m行ったところに鎮座。
拝殿横には小さいながらも梅林があり、通常は柵が閉じられているそうですが、この時期だけは柵が解放され間近で梅の花を愛でることができます。
参拝したときはまだ少し早かったため、ちらほらと咲いている程度でした。
御祭神 菅原道真公
御由緒
菅原道真公が太宰府へ左遷される際、砂で汚れた足の道真公をみかねて老婆が池の水で洗い清めたそうです。 その池は手水の背後にあり、御神池として大切に保存されてきたそうです。
また道真公が「人知れず移る涙は津の国の長洲と見えて袖とぞ朽ちぬる」という歌と自画像を村人に贈ったそうです。
その自画像を祀ったのが由縁とされています。
拝殿内部には本殿があり、棟札より慶長12年(1607年)の創建とのこと。
手水、その背後には御神池「菅公足洗之池」
拝殿
拝殿横の梅林
[菅公聖跡25拝]
道真公ゆかりの神社です。
思ったより小さいですが、やはり歴史深いです。
無人でしたので御朱印いただけなかったです。
鳥居
菅公足洗いの池
拝殿
道真公の牛
本殿石碑 文化財
本殿説明板
菅公聖蹟二十五拝の第13番です。大阪湾に出た道真公ですが今度は大物浦で潮待ちのため上陸し、この長洲の浜を散策していたという伝承の残る天満宮です。
《鳥居》
神社の位置が尼崎駅からも大物駅からも距離が同じくらいの場所にあります。
《御神池》
梅田が元々海だったように、昔はこの辺りまで海が広がっており、その浜を歩いていた道真公の足にはもちろん砂が付きます。それを見かねた村人の老婆がこの池で足を洗って差し上げたんだそうな。
《由緒書き》
そうして村人たちに丁重に扱われた道真公は、こちらでも詩とともに自画像を遺していきまして、それを御神体としてこの天満宮ができました。
《手水舎》
水は出ていませんでした。
《社務所》
参拝当時は改築中でしたが、1ヶ月後に再参すると出来上がってました。
《氏子芳名表》
こちらは兼務社なため神主さんはおりませんが、普段から綺麗にされていて氏子総代さんたちがしっかり管理されてるのが分かります。
《神牛像》
多分悪戯や破損阻止のため柵が作られているのでしょうが、なんか檻に入れられてるみたいで可哀想に見えなくもない…
《拝殿》🙏
道真公の遺した自画像が今も現存しているそうですが、かつてこちらの領主が姫路に転封された時に持ち出したら、凶事が起こって返却したそうです。
《本殿説明》
👁チェックポイント‼️
この神社の本殿は1600年代に作られたもので、尼崎市内では最古の建築物であり、安土桃山時代の歴史的芸術を残してあることから市の重要文化財に指定されています。
《看板》
ほんの1、2年前までセルフの御朱印がありましたが、コロナ禍のためかなくなってました。復活してくれることを願ってます🙏
祭神の菅公は古くより学問の神として尊崇され、公にまつわる幾つかの伝承が残る。その一つに大宰府左遷の折、長洲の浦に舟待ちされ、村人は公より「人知れず移る涙は津の国の長洲と見えて袖とぞ朽ちぬる」の歌と自画像を賜った。公の没後、その徳を称えて叢祠を建て画像を奉斎したが、後世領主が他に移封された折に画像を強いて持ち出したところ凶事多く、返却したという伝えがある。本殿は棟札によると慶長12年の創建で桃山時代の様式をよく伝え、市の文化財第一号に指定されている。また本殿の野板から出てきた絵馬が市により修復され、尼崎で最も古いものとして再現された。平成2年に社殿が改築されたが、阪神淡路大震災により被災、平成8年再建。その後平成11年火災に遭うも翌年氏子の尽力により修復され現在に至る。また毎年2月には宮座が催される。 [本務社の皇大神社HP内当神社由緒書きより]
名称 | 長洲天満宮 |
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読み方 | ながすてんまんぐう |
参拝時間 | 参拝自由 授与所開所日については本務社の皇大神社のHP内「最新情報」にて掲載 |
参拝にかかる時間 | 約5分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 06-6481-6170(皇大神社) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://www.koutaijinja.com/%E6%9C%80%E6%96%B0%E6%83%85%E5%A0%B1/ |
絵馬 | あり |
菅公聖蹟二十五拝 第13番 | 御本尊:菅原道真公 |
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ご祭神 | 菅原道真公 |
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ご神体 | 不詳 |
創建時代 | 延喜元年(901年)以降 |
創始者 | 不詳 |
本殿 | 一間社流造 |
文化財 | 長洲天満宮本殿(市重要文化財) |
ご由緒 | 祭神の菅公は古くより学問の神として尊崇され、公にまつわる幾つかの伝承が残る。その一つに大宰府左遷の折、長洲の浦に舟待ちされ、村人は公より「人知れず移る涙は津の国の長洲と見えて袖とぞ朽ちぬる」の歌と自画像を賜った。公の没後、その徳を称えて叢祠を建て画像を奉斎したが、後世領主が他に移封された折に画像を強いて持ち出したところ凶事多く、返却したという伝えがある。本殿は棟札によると慶長12年の創建で桃山時代の様式をよく伝え、市の文化財第一号に指定されている。また本殿の野板から出てきた絵馬が市により修復され、尼崎で最も古いものとして再現された。平成2年に社殿が改築されたが、阪神淡路大震災により被災、平成8年再建。その後平成11年火災に遭うも翌年氏子の尽力により修復され現在に至る。また毎年2月には宮座が催される。 [本務社の皇大神社HP内当神社由緒書きより] |
体験 | 絵馬御朱印お守り重要文化財祭り札所・七福神巡り伝説 |
概要 | 長洲天満宮(ながすてんまんぐう)は、兵庫県尼崎市にある神社(天満宮)。菅公聖蹟二十五拝の1つ。(第13番) |
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歴史 | 歴史[編集] 神社に残る伝承として、その一つに菅原道真が藤原時平の陰謀により太宰府へ左遷される道中、道真は長洲の浦に舟待ちをしており、村人は道真より「人知れず移る涙は津の国の長洲と見えて袖とぞ朽ちぬる」の歌と自画像を賜った[1]。村人は道真の没後に、その徳を慕って叢祠を建て画像を奉斎したのが創建の由来とされている[1]。後世、領主が他に移封された折に画像を強いて持ち出したところ領主の周りで凶事が多く発生したことから、領主は祟りを恐れて画像を返却したという伝承もある[1]。 ^ a b c 天満神社 - 尼崎市神社あんない2019年6月9日 閲覧 |
引用元情報 | 「長洲天満宮」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%95%B7%E6%B4%B2%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE&oldid=73042282 |
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