のうふくじ|天台宗|宝積山
能福寺兵庫県 中央市場前駅
10:00〜16:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | 境内にあり |
🪷📿 兵庫大仏 毘廬舎那仏(光明遍照)像 📿🪷
能福寺(のうふくじ)
山号 宝積山
宗派 天台宗
御本尊 阿弥陀三尊
昭和28年播州太山寺より請来
新西国 十一面観音
兵庫七福神 毘沙門天
高村光雲作
創建年 延暦24年(805年)
開山 最澄上人(伝教大師)
別称 寶積山能福護國密寺
札所
新西国三十三箇所第23番
福原西国三十三観音霊場第32番
神戸十三仏霊場第8番
兵庫七福神(毘沙門天)
京都東山月輪御陵
平清盛公墓所
平相国廟
新西国霊場の御影(おすがた)が好きで
能福寺さまの十一面観世音菩薩さまは
とても柔和なお顔立ちです。
ありがとうございます。
⚓️🚢🗼✨💖
Kobe is truly a port city with a long history.
Next time, I will look at it with the eyes of the black and white soul.
Thank you for watching.
神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39
天台宗 宝積山 能福寺
新西国三十三箇所第23番札所
神戸十三仏霊場第8番札所
神戸十三仏霊場巡りでお参りさせていただきました。
延暦23年(804年)桓武天皇の勅命を受けて、唐に留学された伝教大師最澄上人は、その帰途に兵庫の大輪田泊りに上陸。
当地の庶民の要請により、薬師如来のご利益を説かれ、ご自作の像をお堂に安置して、能福護国密寺と称されたそうです。
大輪田泊りは僧行基が築いた五泊の一つですが、12世紀に平清盛により大修築が行なわれました。
その清盛は仁安3年(1168年)にこの能福寺で出家しました。
平相国廟の十三重石塔は、弘安9年(1286年)に北条貞時が平家の盛衰を哀れんで建立したものだそうです。
ご詠歌
ただのりの 宝を積みて はるばると
運ぶ歩みの 楽しかりけり
御朱印
本堂正面の山門
門が閉まってる!と思ったら、この左側に入口がありました
入口から望む兵庫大仏様
近くで見るとやはり大きい!
奈良・東大寺の大仏、鎌倉・高徳院の鎌倉大仏、そして兵庫大仏の三尊を日本三大仏と呼ぶそうです。
(三尊目は他の大仏とされる説もあるみたいです)
月輪影殿(本堂)
御本尊の説明
太山寺(神戸市西区)からお迎えされたそうです。
同じ天台宗ですが、まさかここで私が時々お参りする太山寺と繋がっていたとは。
月輪影殿の説明
手水
鐘楼
ジョセフ・ヒコ英文碑
新聞の父です。
以前たまたま訪れた播磨町本庄の蓮花寺にて、ジョセフ・ヒコのご両親のお墓があったことを思い出しました。
平相国廟
平清盛のお墓です
當勝稲荷堂
今から千年以上も昔、延暦二十三年(804)桓武天皇の勅命を受けて支那に留学せられた傳教大師は、その帰途、兵庫和田岬に上陸、庶民多いに大師を歓待し、堂を建立して教化を請うた。大師は御自作の薬師如来像を御堂に安置して国の安泰、庶民の幸福を祈願して自ら能福護国密寺と称された。即ち傳教大師の我が国最初の教化霊場である。
平清盛福原遷都の時(治承四年)平家一門の帰依であり、小川忠怪法印(平清盛甥)七堂伽藍を完備して兵庫随一の勢力を誇る福原京五山の第一に居して依って通称「福原寺」と称した。寺の壮大な外観から「八棟寺」とも称された。平家滅亡後、暦応四年(1341)震災により全焼、慶長四年(1599)明智光秀の臣、長盛法印堂宇を再建した。本朝編年集に曰く、「仁安三年(1168)十一月平清盛、能福寺ニ於テ剃髪入道ス。養和元年(1181)二月四日京西八条ニ於テ薨去。歳六十四。翌日火葬トシ。圓實法眼全骨ヲ福原ニ持チ来タリ、能福寺ノ東北ニ埋ム。」これは清盛公の遺言によるものである。圓實法眼は当時の住職にして徳大寺家祖左大臣實能公を父とする出虚正しき人物である。
名称 | 能福寺 |
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読み方 | のうふくじ |
通称 | 兵庫大仏 |
参拝時間 | 10:00〜16:00 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 078-652-1715 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://nofukuji.jp/ |
おみくじ | あり |
新西国三十三箇所 第23番 | 御本尊:十一面観音 御詠歌: ただ法(のり)の 宝を積みて はるばると 運ぶ歩みの 楽しかりけり |
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福原西国三十三観音霊場 第32番 | 御本尊:薬師如来・十一面観世音菩薩 御詠歌: うえもなき 七つの宝 積む山に いるこそ人は 楽しかりけれ |
神戸十三仏霊場 第8番 | 御本尊:観音菩薩\n(十一面観音菩薩) 御真言: おん、まかきゃろにきゃ、そわか 御詠歌: ただのりの 宝を積みて はるばると 運ぶ歩みの 楽しかりけり |
ご本尊 | 阿弥陀三尊仏 |
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山号 | 宝積山 |
宗旨・宗派 | 天台宗 |
創建時代 | 延暦24年(805年) |
開山・開基 | 伝教大師 |
文化財 | 木造十一面観音立像(重要文化財) |
ご由緒 | 今から千年以上も昔、延暦二十三年(804)桓武天皇の勅命を受けて支那に留学せられた傳教大師は、その帰途、兵庫和田岬に上陸、庶民多いに大師を歓待し、堂を建立して教化を請うた。大師は御自作の薬師如来像を御堂に安置して国の安泰、庶民の幸福を祈願して自ら能福護国密寺と称された。即ち傳教大師の我が国最初の教化霊場である。
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体験 | 御朱印重要文化財武将・サムライ有名人のお墓札所・七福神巡り |
概要 | 能福寺(のうふくじ)は、兵庫県神戸市兵庫区にある天台宗の寺院。山号は宝積山。本尊は阿弥陀如来。兵庫大仏で有名。ビルシャナ殿は新西国三十三箇所第23番札所で本尊は十一面観音である。 |
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歴史 | 歴史[編集] 寺伝では延暦24年(805年)に最澄(伝教大師)により能福護国密寺として創建されたとされており、日本最初の密教教化霊場と称する。 平清盛所縁の寺としても知られており、治承4年(1180年)には福原京遷都計画にともなって平家一門の祈願寺に定められたことで、大伽藍が建設され大いに栄えた。その後、興国2年/暦応4年(1341年)に兵火で七堂伽藍全てを焼失したが、慶長3年(1599年)に長盛法印が再興したという伝がある。 江戸時代の寺格は京都青蓮院門跡の院家(門跡不在時の代理を務める格式の寺)であった。 太平洋戦争中の1945年(昭和20年)3月17日に行われた神戸大空襲で鐘楼堂を...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通[編集] 神戸市営地下鉄海岸線 中央市場前駅徒歩10分 山陽本線(JR西日本)兵庫駅徒歩15分 |
引用元情報 | 「能福寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%83%BD%E7%A6%8F%E5%AF%BA&oldid=101635233 |
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