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のうふくじ|天台宗宝積山

能福寺
兵庫県 中央市場前駅

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巡礼

その他の巡礼の情報

新西国三十三箇所第23番
福原西国観音霊場第32番札所
神戸十三仏霊場8番
兵庫七福神・毘沙門天

能福寺について

平清盛の供養塔


平清盛が福原遷都の際に平家一門が帰依し、七堂伽藍を建立。平清盛薨去により能福寺内に「平相国廟」が造立された。

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2025年05月27日(火) 22時07分24秒
2984投稿

神戸市兵庫区にあるお寺です。
兵庫大仏で有名なお寺です。日本三大仏の一つと言われています。
奈良は東大寺の大仏様 鎌倉は高徳院の大仏様 その次ということですね。
江戸時代には 京都は方広寺にも大仏様がおられ 兵庫大仏は三大から外れていました。
最も像高が高いのは 焼失してしまった方広寺の大仏様のようです。
兵庫大仏は像高では3番目です。
全国各地に大仏様はいらっしゃいますので 実のところはどうなのでしょうか。
大仏様に目がいきますが 平清盛公の墓所があることでも有名です。
また 京都の青蓮院門跡の院家(門跡不在時の代理を務める格式の寺)という格式の高いお寺でもあります。
本堂の月輪影殿は 京都東山の泉涌寺寺域の墓陵(月輪御陵)にあったものを1954年(昭和29年)に宮内省と九条家により移築されたものです。
1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災で被災するが 1997年(平成9年)12月に復興しました。
本尊の阿弥陀如来坐像と脇侍の観音・勢至菩薩立像は 月輪影殿の移築にあわせて太山寺(神戸市西区)から勧請されたもので 平安時代後期の制作とみられます。

ネット情報です。
山号は宝積山 宗旨は天台宗 ご本尊は阿弥陀如来 創建年は伝・延暦24年(805年) 開山は伝・最澄です。
寺伝では 延暦24年(805年)に最澄(伝教大師)により能福護国密寺として創建されたとされており 日本最初の密教教化霊場と称する。
平清盛所縁の寺としても知られており 治承4年(1180年)には福原京遷都計画にともなって平家一門の祈願寺に定められたことで 大伽藍が建設され大いに栄えた。
その後 興国2年/暦応4年(1341年)に兵火で七堂伽藍全てを焼失したが 慶長3年(1599年)に長盛法印が再興したという伝がある。
江戸時代の寺格は京都青蓮院門跡の院家(門跡不在時の代理を務める格式の寺)であった。
兵庫大仏は 1891年(明治24年)5月に豪商・南条荘兵衛の寄進により大仏が建立された。
この大仏は1944年(昭和19年)5月に金属類回収令で解体されて国に供出されるまで日本三大仏の一つに数えられた。
現在の大仏は1991年(平成3年)5月9日に再建されたものであるが その材料には戦後になって解体された大仏を発見した当時の住職が回収保管し 再建時にその金属片を混入したものを使用している。
毘廬舎那仏(光明遍照)像で 像重量約60t 像高11m 蓮台と台座を含めると高さ18mになる巨大な坐像である。
1991年5月の開眼法要には 奈良市の東大寺管長 鎌倉市の高徳院貫主が臨席した。

能福寺(兵庫県)

平清盛公墓所とあります

能福寺(兵庫県)

日本三大仏 兵庫大仏

能福寺(兵庫県)

三宮神社にもありました 神戸事件の碑があります

能福寺(兵庫県)

門から見る大仏

能福寺(兵庫県)

手水舎

能福寺(兵庫県)

鐘楼

能福寺(兵庫県)

平相國廟 平清盛公墓所

能福寺(兵庫県)

由緒書

能福寺(兵庫県)

清盛公墓所は ここだけとか

能福寺(兵庫県)

當勝稲荷大明神

能福寺(兵庫県)

能福寺(兵庫県)
能福寺(兵庫県)

日本三大仏の一つ 公認の書

能福寺(兵庫県)

下から見るとこんな感じ

能福寺(兵庫県)

正面から ちょうど太陽が背後にあって神々しい

能福寺(兵庫県)

大仏とお寺の由緒書

能福寺(兵庫県)

本堂について

能福寺(兵庫県)

寺格について

能福寺(兵庫県)

延命地蔵尊

能福寺(兵庫県)

奥が庫裡

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歴史

今から千年以上も昔、延暦二十三年(804)桓武天皇の勅命を受けて支那に留学せられた傳教大師は、その帰途、兵庫和田岬に上陸、庶民多いに大師を歓待し、堂を建立して教化を請うた。大師は御自作の薬師如来像を御堂に安置して国の安泰、庶民の幸福を祈願して自ら能福護国密寺と称された。即ち傳教大師の我が国最初の教化霊場である。
平清盛福原遷都の時(治承四年)平家一門の帰依であり、小川忠怪法印(平清盛甥)七堂伽藍を完備して兵庫随一の勢力を誇る福原京五山の第一に居して依って通称「福原寺」と称した。寺の壮大な外観から「八棟寺」とも称された。平家滅亡後、暦応四年(1341)震災により全焼、慶長四年(1599)明智光秀の臣、長盛法印堂宇を再建した。本朝編年集に曰く、「仁安三年(1168)十一月平清盛、能福寺ニ於テ剃髪入道ス。養和元年(1181)二月四日京西八条ニ於テ薨去。歳六十四。翌日火葬トシ。圓實法眼全骨ヲ福原ニ持チ来タリ、能福寺ノ東北ニ埋ム。」これは清盛公の遺言によるものである。圓實法眼は当時の住職にして徳大寺家祖左大臣實能公を父とする出虚正しき人物である。

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能福寺の基本情報

住所

兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39

行き方

JR山陽本線「兵庫駅」より東へ15分
神戸市営地下鉄海岸線「中央市場前駅」から徒歩10分

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名称

能福寺

読み方

のうふくじ

通称

兵庫大仏

参拝時間

10:00〜16:00

参拝料

なし

御朱印あり
限定御朱印なし
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳なし
電話番号078-652-1715
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://nofukuji.jp/
おみくじ

あり

巡礼の詳細情報

新西国三十三箇所

第23番

仏さま:十一面観音

御詠歌:

ただ法(のり)の 宝を積みて はるばると 運ぶ歩みの 楽しかりけり

福原西国三十三観音霊場

第32番

仏さま:薬師如来・十一面観世音菩薩

御詠歌:

うえもなき 七つの宝 積む山に いるこそ人は 楽しかりけれ

神戸十三仏霊場

第8番

仏さま:観音菩薩\n(十一面観音菩薩)

御真言:

おん、まかきゃろにきゃ、そわか

御詠歌:

ただのりの 宝を積みて はるばると 運ぶ歩みの 楽しかりけり

詳細情報

ご本尊阿弥陀三尊仏
山号

宝積山

宗旨・宗派天台宗
創建時代

延暦24年(805年)

開山・開基

伝教大師

文化財

木造十一面観音立像(重要文化財)

ご由緒

今から千年以上も昔、延暦二十三年(804)桓武天皇の勅命を受けて支那に留学せられた傳教大師は、その帰途、兵庫和田岬に上陸、庶民多いに大師を歓待し、堂を建立して教化を請うた。大師は御自作の薬師如来像を御堂に安置して国の安泰、庶民の幸福を祈願して自ら能福護国密寺と称された。即ち傳教大師の我が国最初の教化霊場である。
平清盛福原遷都の時(治承四年)平家一門の帰依であり、小川忠怪法印(平清盛甥)七堂伽藍を完備して兵庫随一の勢力を誇る福原京五山の第一に居して依って通称「福原寺」と称した。寺の壮大な外観から「八棟寺」とも称された。平家滅亡後、暦応四年(1341)震災により全焼、慶長四年(1599)明智光秀の臣、長盛法印堂宇を再建した。本朝編年集に曰く、「仁安三年(1168)十一月平清盛、能福寺ニ於テ剃髪入道ス。養和元年(1181)二月四日京西八条ニ於テ薨去。歳六十四。翌日火葬トシ。圓實法眼全骨ヲ福原ニ持チ来タリ、能福寺ノ東北ニ埋ム。」これは清盛公の遺言によるものである。圓實法眼は当時の住職にして徳大寺家祖左大臣實能公を父とする出虚正しき人物である。

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