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のうふくじ|天台宗宝積山

能福寺の御由緒・歴史
兵庫県 中央市場前駅

ご本尊阿弥陀三尊仏
創建時代延暦24年(805年)
開山・開基伝教大師
ご由緒

今から千年以上も昔、延暦二十三年(804)桓武天皇の勅命を受けて支那に留学せられた傳教大師は、その帰途、兵庫和田岬に上陸、庶民多いに大師を歓待し、堂を建立して教化を請うた。大師は御自作の薬師如来像を御堂に安置して国の安泰、庶民の幸福を祈願して自ら能福護国密寺と称された。即ち傳教大師の我が国最初の教化霊場である。
平清盛福原遷都の時(治承四年)平家一門の帰依であり、小川忠怪法印(平清盛甥)七堂伽藍を完備して兵庫随一の勢力を誇る福原京五山の第一に居して依って通称「福原寺」と称した。寺の壮大な外観から「八棟寺」とも称された。平家滅亡後、暦応四年(1341)震災により全焼、慶長四年(1599)明智光秀の臣、長盛法印堂宇を再建した。本朝編年集に曰く、「仁安三年(1168)十一月平清盛、能福寺ニ於テ剃髪入道ス。養和元年(1181)二月四日京西八条ニ於テ薨去。歳六十四。翌日火葬トシ。圓實法眼全骨ヲ福原ニ持チ来タリ、能福寺ノ東北ニ埋ム。」これは清盛公の遺言によるものである。圓實法眼は当時の住職にして徳大寺家祖左大臣實能公を父とする出虚正しき人物である。

歴史
歴史[編集] 寺伝では延暦24年(805年)に最澄(伝教大師)により能福護国密寺として創建されたとされており、日本最初の密教教化霊場と称する。 平清盛所縁の寺としても知られており、治承4年(1180年)には福原京遷都計画にともなって平家一門の祈願寺に定められたことで、大伽藍が建設され大いに栄えた。その後、興国2年/暦応4年(1341年)に兵火で七堂伽藍全てを焼失したが、慶長3年(1599年)に長盛法印が再興したという伝がある。 江戸時代の寺格は京都青蓮院門跡の院家(門跡不在時の代理を務める格式の寺)であった。 太平洋戦争中の1945年(昭和20年)3月17日に行われた神戸大空襲で鐘楼堂を...Wikipediaで続きを読む
引用元情報能福寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%83%BD%E7%A6%8F%E5%AF%BA&oldid=99637452

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