かったじんじゃ
刈田神社北海道 幌別駅
参拝/24時間
受付/9:00~17:00
御朱印 | |||
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限定 | |||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 神社南西側の駐車場·神社東側の広場 20台 |
登別総鎮守。
創建不詳。
北海道最古の神社とされ、前身は平安時代にあった妙見菩薩の祠であったという。
和人と先住者が共に衣食住の守護神として保食神を祀っていたとされる。
1786年弘前藩士・細田儀右衛門が妙見菩薩の祠を再建した。
1870年白石藩・片倉小十郎邦憲が家臣と共に胆振国幌別郡へ移住し、片倉家の総守護神・刈田嶺神社の日本武尊の分霊を合祀し幌別郡開拓の守護神とした。
1871年新しい社殿を建築し、刈田神社と改められた。
1926年現在地へ遷座されている。
拝殿
拝殿
拝殿
神門
大山祇神社
三貴子神社
『刈田(かった)神社』参拝
厳かな空気感の立派な境内を回り、最後に社務所へ向かいました。宮司様が美しい御朱印を書いてくださる間、奥様より昔の鯨の鳥居のお話しを伺い、貴重な鳥居の一部(鯨の骨)とお写真を見せていただきました。鯨の顎の骨でできた鳥居は(根室参拝の際)北方四島の神社史で知り、レプリカの鳥居も見たので興味深いものでした。北海道の広い範囲で捕鯨が盛んだったことがわかりました~
春に参拝した兼務社『鷲別神社』の御朱印も拝領。昨年は根宜様より御朱印いただき、今回は宮司様でしたので違う雰囲気の御朱印がまた嬉しい!!
◆御由緒
創祀は明らかではないが『北海道縁起物語』によると、平安朝には前身となる妙見菩薩の祠があったという。
天明6年(1786)~幌別郡(現・登別市)が松前藩士細田儀右衛門の給地に指定されたのを契機に、妙見菩薩の祠を再建し、胆振地方の鎮守社とするため保食神を合祀し、妙見稲荷社と称した。
明治3年(1870)~白石藩城主片倉小十郎邦憲が家臣百五十余名を従え胆振国幌別郡へ移住し、片倉氏の総守護神刈田嶺神社(延喜式内社、陸奥国刈田郡総鎮守、別名・白鳥大明神)の御祭神である日本武尊の御分霊を奉じて合祀し、幌別郡開拓の守護神とする。
明治4年(1871)御社殿を幌別村字浜七十番地(現・幌別町一丁目)に新しく建立し、社名を刈田神社と改称し、これより幌別郡の開拓者の心の支えとして御鎮座する。
明治6年(1873)四国からの開拓者が金比羅宮(式内社、旧国幣中社)の御分霊を奉じて合祀する。
明治8年(1875)幌別郡の郷社と公称する。
大正15年(1926)現在の境内地(中央町六丁目)へ御遷座する。
終戦後、神社本庁包括宗教法人となる。
令和3年には、社名を刈田神社に改称してから150周年を迎える
広く厳粛な雰囲気の境内~神門も美しい✨
御本殿
《御祭神》日本武尊、大物主神、
保食神(食物の神~その体から五穀・牛馬・蚕が生まれた)
御神木の梅も色付いていました🌿
可愛らしい馬像は道産子かな、、和む😊
二社の御朱印は異なる書体。
どちらも大変に美しいです🙏
社務所も新しく綺麗✨
真ん中に浅沓(あさぐつ)~実物はとてもステキ!
使用していたものではないそうです
昔の御社殿の写真
小さな社殿から今の立派な刈田神社へ、開拓の歴史を感じます😌
木製の鳥居前にある鯨の骨の鳥居~実物が次の写真⤵
当時の鳥居の一部☆鯨の骨です
社務所の右奥に飾られており、「上がって見てください」とのありがたいお言葉に、素足にサンダルだったので恐縮してしまいました、、
北海道が蝦夷地と呼ばれていた頃、、
(こちらは社務所窓口の上部にある写真)
社務所前の御神木(梅)
御神輿
鳥居に奥に下がる鈴は牛さん!!🐮可愛い💕
あちこちに隠れキャラ!ステキ😄
『三貴子神社』
御祭神~天照皇大神、月讀命、建速須佐之男命
『大山祇神社』
御祭神~天之御中主大神、大山祇大神、少彦名命、大己貴神
手水舎~舟形が素敵
さざれ石
ニノ鳥居
社号標③
社号標② 一番古そう
一ノ鳥居と社号標①
当神社の創祀は明らかではないが、『北海道縁起物語』によると、平安朝には前身となる妙見菩薩の祠があったという。
天明6年(1786)
幌別郡(現・登別市)が松前藩士細田儀右衛門の給地に指定されたのを契機に、妙見菩薩の祠を再建し、胆振地方の鎮守社とするため保食神を合祀し、妙見稲荷社と称した。
明治3年(1870)
白石藩城主片倉小十郎邦憲が家臣百五十余名を従え胆振国幌別郡へ移住し、片倉氏の総守護神刈田嶺神社(延喜式内社、陸奥国刈田郡総鎮守、別名・白鳥大明神)の御祭神である日本武尊の御分霊を奉じて合祀し、幌別郡開拓の守護神とする。
明治4年(1871)
御社殿を幌別村字浜七十番地(現・幌別町一丁目)に新しく建立し、社名を刈田神社と改称し、これより幌別郡の開拓者の心の支えとして御鎮座する。
明治6年(1873)
四国からの開拓者が金比羅宮(式内社、旧国幣中社)の御分霊を奉じて合祀する。
明治8年(1875)
幌別郡の郷社と公称する。
大正15年(1926)
現在の境内地(中央町六丁目)へ御遷座する。
終戦後、神社本庁包括宗教法人となる。
令和3年には、社名を刈田神社に改称してから150周年を迎える
由緒より
名称 | 刈田神社 |
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読み方 | かったじんじゃ |
通称 | 白鳥社 |
参拝時間 | 参拝/24時間
|
参拝にかかる時間 | 20分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0143-85-2460 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://kattajinja.jimdo.com/ |
SNS |
ご祭神 | 《主》保食神,《配》日本武尊,金刀比羅大神(大物主神) |
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文化財 | 片倉家主従開拓記念碑(市指定有形文化財) |
体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り祭り |
概要 | 刈田神社(かったじんじゃ)は、北海道登別市中央町(胆振国幌別郡)にある神社。創祀は平安時代末期とされる。旧社格は郷社。 |
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歴史 | 由緒[編集] →「刈田嶺神社 (蔵王町宮) § 歴史」も参照 |
引用元情報 | 「刈田神社 (登別市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%88%88%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E7%99%BB%E5%88%A5%E5%B8%82%29&oldid=94852019 |
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