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金札宮ではいただけません
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きんさつぐう

金札宮
京都府 近鉄丹波橋駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
-

金札宮について

伏見で最も古い神社のひとつで祭祀を司る霊験あらたかな天太玉命(白菊翁・白菊大明神)を祀り
また観阿弥の謡曲「金札」や、ご神木で京都市指定天然記念物のクロガネモチの木でも知られ開運と幸運を呼ぶ神社です。
※ホームページより抜粋

京都府のおすすめ🌸

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おすすめの投稿

まるこびっち
2024年03月29日(金)
220投稿

御香宮の北門を出て10分ほど歩くと、金札宮に到着です。mapで御香宮を見ていると
近くになんだか気になる名前のお宮様がいらっしゃるではないですか。
「金運」アップのために参拝いたしました。
京都で「金運」というと御金神社が有名になりすぎて、最近近寄りがたい状態につき、
私達の金運を上げるパワーをいただけるのでは・・・と期待を込めて・・・到着しました。
ご祭神は「天太玉命」(あめのふとだまのみこと)というお方で、天照大神が天岩戸に
ご幽居された際に、大神さまの魂を和したてまつられた神さまだそうです。
「能」のお題目で「金札」というものがあります。このお話は桓武天皇の時代、天から
金札が舞い降り、そこには「伏見の地に天太玉命をお祀りするように」と書かれていました。
その後、天太玉命は弓矢で悪魔を降伏させ、平安京に真に平和な時代を築いたとのことです。
したがい、ご利益は「人心の邪悪な情を除いて正直の道に帰らせしめる」ことであり、「金運」では
ありませんでした。
しかし、人間邪悪な心を捨てて、正直に生きることで、豊な人生を過ごすことができる
ものです。今回はすなおに金運アップを祈願してまいりました。

金札宮の御朱印

こちらも2種類別々のものをいただきました。「ふとだまのみこと」。なんだか頼りがい
のある神さまの気がします。

金札宮の御朱印

こちらは商売繁盛の恵比寿さまです。

金札宮(京都府)
金札宮(京都府)

正面入り口です。御香宮から徒歩で約10分、丹波橋駅まで約10分というところです。
道が狭いのに交通量が結構あるので、気を付けて歩かねばなりません。

金札宮(京都府)

ご本殿です。

金札宮(京都府)

由緒書

金札宮(京都府)

恵比須様・・・

金札宮(京都府)

謡曲(能)の「金札」の説明書・・・

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歴史

社格は旧指定村社(明治六年村社・昭和三年指定村社)ですが、伏見に於ける最も古い神社の一つで、旧久米村の産土神として崇敬されていました。
室町時代の「伏見九郷之図」を見ますと、久米村のところに本殿の前に諸建物と神宮寺である西方寺が描かれています。
興味をひくのは「白菊石」と「良基墓」が描かれているところです。
いずれにしても旧石井村の御香宮と匹敵する規模と信仰をもった社で、桓武天皇以降歴代天皇のご崇敬も厚く、行幸を賜ったり修繕の勅を下されるなどしていました。
正安元年(1299年)後伏見天皇は荘園を寄進し誠に殷盛をきわめましたが、応仁の乱による焼失ののち、伏見宮貞常親王によって再興され、後柏原天皇の御代に修繕の勅があって過日の社勢を取り戻しました。
しかしその後ほどなくして、豊臣秀吉による伏見城築城の際に現在地より西方250米の御駕篭町へ移されてしまいました。旧社地には近年まで「白菊井」と呼ばれる名水がありました。
祠官の金松弥三郎宗広は本願寺の存覚に歸依して元亨二年(1322年)境内に久米寺を再興し、文和四年(1355年)に西方寺と改められました。
慶長九年(1604年)喜運寺が創建された時、金札宮はその鎮守杜として現在の鷹匠町に移転し、明治の神仏分離で神社は独立し現在に至っています。
現在の社殿は、弘化三年(1846年)伏見奉行内藤豊後守の許可により造営を始め嘉永元年(1848年)完成したものです。
本殿の縁に座る一対の狛犬は実に品良くのびやかで、往時の金札宮の繁栄を物語っています。
※ホームページより抜粋

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金札宮の基本情報

住所京都府京都市伏見区鷹匠町八番地
行き方

京阪電車:丹波橋駅下車 徒歩5分
近鉄京都線:丹波橋駅下車 徒歩5分
JR奈良線:桃山駅下車 徒歩20分

お車の場合
名神高速道路京都南インターチェンジから南へ国道一号線経由、約15分
(当社内に駐車場はございませんが近隣に時間制駐車場がございます)

アクセスを詳しく見る
名称金札宮
読み方きんさつぐう
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号075-611-9035
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスweboffice@kinsatsugu.jp
ホームページhttp://www.kinsatsugu.jp/

詳細情報

ご祭神天太玉命〈白菊大明神〉,天照大御神,倉稲魂命
ご由緒

社格は旧指定村社(明治六年村社・昭和三年指定村社)ですが、伏見に於ける最も古い神社の一つで、旧久米村の産土神として崇敬されていました。
室町時代の「伏見九郷之図」を見ますと、久米村のところに本殿の前に諸建物と神宮寺である西方寺が描かれています。
興味をひくのは「白菊石」と「良基墓」が描かれているところです。
いずれにしても旧石井村の御香宮と匹敵する規模と信仰をもった社で、桓武天皇以降歴代天皇のご崇敬も厚く、行幸を賜ったり修繕の勅を下されるなどしていました。
正安元年(1299年)後伏見天皇は荘園を寄進し誠に殷盛をきわめましたが、応仁の乱による焼失ののち、伏見宮貞常親王によって再興され、後柏原天皇の御代に修繕の勅があって過日の社勢を取り戻しました。
しかしその後ほどなくして、豊臣秀吉による伏見城築城の際に現在地より西方250米の御駕篭町へ移されてしまいました。旧社地には近年まで「白菊井」と呼ばれる名水がありました。
祠官の金松弥三郎宗広は本願寺の存覚に歸依して元亨二年(1322年)境内に久米寺を再興し、文和四年(1355年)に西方寺と改められました。
慶長九年(1604年)喜運寺が創建された時、金札宮はその鎮守杜として現在の鷹匠町に移転し、明治の神仏分離で神社は独立し現在に至っています。
現在の社殿は、弘化三年(1846年)伏見奉行内藤豊後守の許可により造営を始め嘉永元年(1848年)完成したものです。
本殿の縁に座る一対の狛犬は実に品良くのびやかで、往時の金札宮の繁栄を物語っています。
※ホームページより抜粋

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