はやまじんじゃ
早馬神社公式宮城県 気仙沼駅
開門時間:6:00~17:00
授与所・御朱印:9:00~16:30
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の1人である梶原景時公ゆかりの早馬神社。梶原景時公の兄である梶原景実(専光房)により創建され、以来、連綿と梶原氏直系子孫が宮司を務めています。
お昼過ぎに仙台を出て2時間ちょいとかかってたどり着きました。海の近くにある神社です。梶原景時公の兄の子孫の方が神職をされているとの事で歴史ある神社です。
遠かったけれども行ったかいはあります。
御朱印は手書きのものが1枚と書き置きの物を2枚頂戴し、お守りも2種類頂きました。
鎌倉殿の13人と縁がある神社だそうです。安産で、有名なのは知っていましたが、北条政子の安産祈願をしたところだそうです。
縁結び、厄だまなど見所があります。
震災時、耳の高さまで津波が来たそうです
若木神社
天照大御神
とちの木
不動明王
厄だまをこちらに投げます
縁結びのヒモを結びます
1月1日 歳旦祭
1月1日~1月31日 初詣
1月7日 七草祭厄除大祭
4月29日~5月6日 春詣
4月29日 八雲神社例祭
7月1日~8月31日 夏詣
11月15日 七五三奉祝祭
建保5年(1217年)、鎌倉若宮(鶴岡八幡宮)の臨時別当であった梶原景実《かじわらかげざね…鎌倉武将 梶原景時公の兄》は、源頼朝公の死亡、梶原一族の没落、又、和田氏、畠山氏が滅んで行くのを見て、世を憂い鎌倉を離れ、蝦夷千島を目指して下り、その途中である藤原高衡ゆかりの本吉荘、気仙沼市唐桑町石浜にたどりつきました。
家の脇に社を建て、源頼朝公《鎌倉幕府初代将軍》、梶原景時公《頼朝公の一の郎党(家来)・鎌倉幕府十三人の合議制の一人》、梶原景季公《かげすえ…景時公の子》の御影を安置し、一族の冥福を祈り梶原神社を建立しました。
2年後、一族の梶原景茂 《かげもち…梶原景時公の3男》の子である大和守景永(やまとのかみ けいえい)は、景実の所在を尋ねこの地に至り、景実の猶子(ゆうし)となりました。景永は神職となり、景実と共に早馬山頂に早馬神社(奥宮)を建立しました。以来、連綿と梶原氏直系子孫が宮司を務めております。
石浜の里宮・居宅は慶長16年(1611年)の慶長三陸地震の大津波により流失し、明戸へ移った後、約350年前に現拝殿が鎮座する宿浦へ遷座しました。
中世には本山派修験として『良厳院』(りょうごいん)の院号を授かり、仙台藩時代には伊達家の祈祷師として仕え、九曜紋を授かりました。
名称 | 早馬神社 |
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読み方 | はやまじんじゃ |
通称 | 早馬さん |
参拝時間 | 開門時間:6:00~17:00
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参拝にかかる時間 | 20分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり 2ケ所 |
御朱印 | あり 右には梶原氏の家紋「丸に並び矢」と伊達家の家紋「九曜紋」が、左には左馬(ひだりうま)が配されています。 |
限定御朱印 | あり |
御朱印帳に直書き | あり ■お書き入れ
■書き置きのみ
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御朱印の郵送対応 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0226-32-2321 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | hayama@jinja.jp |
ホームページ | https://hayama.jinja.jp |
おみくじ | あり |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
ご祭神 | 《主》倉稲魂命 |
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創建時代 | 1217年 |
創始者 | 梶原景実(専光房良暹) |
ご由緒 | 建保5年(1217年)、鎌倉若宮(鶴岡八幡宮)の臨時別当であった梶原景実《かじわらかげざね…鎌倉武将 梶原景時公の兄》は、源頼朝公の死亡、梶原一族の没落、又、和田氏、畠山氏が滅んで行くのを見て、世を憂い鎌倉を離れ、蝦夷千島を目指して下り、その途中である藤原高衡ゆかりの本吉荘、気仙沼市唐桑町石浜にたどりつきました。
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体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り祭り武将・サムライ夏詣花手水 |
供養 | 一般墓永代供養墓葬儀 |
概要 | 早馬神社(はやまじんじゃ)は、宮城県気仙沼市唐桑町宿地区にある神社である。鎌倉幕府御家人梶原景時の兄、梶原景実(専光房良暹)が創建、代々梶原氏が祭祀を司る。 |
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歴史 | 歴史[編集] 建保5年(1217年)、鶴岡八幡宮の臨時別当であった梶原景実(専光房良暹)は、源頼朝の死去、それを追うかのような梶原一族の没落、また和田氏、畠山氏が滅んでいくのを見て、世を憂い鎌倉を離れ、蝦夷千島を目指して下り、藤原高衡(本吉四郎高衡)ゆかりの地である石浜(気仙沼市唐桑町)にたどり着いた。家の脇に社を建て、源頼朝、梶原景時、梶原景季の御影を安置し、一族の冥福を祈り梶原神社を建立した。 2年後、一族の梶原景茂(景時の三男)の子である大和守景永(やまとのかみ けいえい)は、景実の所在を尋ねこの地に至り、景実の猶子となった。景永は神職となり、景実と共に早馬山頂に早馬神社を建立し、...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「早馬神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%97%A9%E9%A6%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=100080035 |
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