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はやまじんじゃ

早馬神社の御由緒・歴史
公式宮城県 気仙沼駅

ご祭神《主》倉稲魂命
創建時代1217年
創始者梶原景実(専光房良暹)
ご由緒

建保5年(1217年)、鎌倉若宮(鶴岡八幡宮)の臨時別当であった梶原景実《かじわらかげざね…鎌倉武将 梶原景時公の兄》は、源頼朝公の死亡、梶原一族の没落、又、和田氏、畠山氏が滅んで行くのを見て、世を憂い鎌倉を離れ、蝦夷千島を目指して下り、その途中である藤原高衡ゆかりの本吉荘、気仙沼市唐桑町石浜にたどりつきました。            
 家の脇に社を建て、源頼朝公《鎌倉幕府初代将軍》、梶原景時公《頼朝公の一の郎党(家来)・鎌倉幕府十三人の合議制の一人》、梶原景季公《かげすえ…景時公の子》の御影を安置し、一族の冥福を祈り梶原神社を建立しました。             
 2年後、一族の梶原景茂 《かげもち…梶原景時公の3男》の子である大和守景永(やまとのかみ けいえい)は、景実の所在を尋ねこの地に至り、景実の猶子(ゆうし)となりました。景永は神職となり、景実と共に早馬山頂に早馬神社(奥宮)を建立しました。以来、連綿と梶原氏直系子孫が宮司を務めております。
 石浜の里宮・居宅は慶長16年(1611年)の慶長三陸地震の大津波により流失し、明戸へ移った後、約350年前に現拝殿が鎮座する宿浦へ遷座しました。
 中世には本山派修験として『良厳院』(りょうごいん)の院号を授かり、仙台藩時代には伊達家の祈祷師として仕え、九曜紋を授かりました。

歴史
歴史[編集] 建保5年(1217年)、鶴岡八幡宮の臨時別当であった梶原景実(専光房良暹)は、源頼朝の死去、それを追うかのような梶原一族の没落、また和田氏、畠山氏が滅んでいくのを見て、世を憂い鎌倉を離れ、蝦夷千島を目指して下り、藤原高衡(本吉四郎高衡)ゆかりの地である石浜(気仙沼市唐桑町)にたどり着いた。家の脇に社を建て、源頼朝、梶原景時、梶原景季の御影を安置し、一族の冥福を祈り梶原神社を建立した。 2年後、一族の梶原景茂(景時の三男)の子である大和守景永(やまとのかみ けいえい)は、景実の所在を尋ねこの地に至り、景実の猶子となった。景永は神職となり、景実と共に早馬山頂に早馬神社を建立し、...Wikipediaで続きを読む
引用元情報早馬神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%97%A9%E9%A6%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=100080035

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