はやまじんじゃ
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楽しみ方早馬神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年05月21日(水) 23時17分59秒
早馬神社(はやまじんじゃ)へ参拝に上がりました👏宮城県気仙沼市唐桑町宿地区にある神社です。建保5年(1217年)、鎌倉幕府御家人・梶原景時の兄である梶原景実によって創建されました。
【由緒】
梶原景実が源頼朝の命により、夫人である北条政子の安産祈願を執り行い、無事に男子(二代将軍 源頼家)を出産したという史実から、安産・子育てに御利益があるとして広く信仰されています。
宮城県気仙沼市唐桑町宿浦に里宮・拝殿が、唐桑町宿の早馬山山頂に奥宮・社殿が鎮座しています。
【御祭神】
倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)
◯ NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
早馬神社の創建に関わる梶原景実(専光房良暹)は、源頼朝の忠臣として知られる鎌倉幕府の有力御家人、梶原景時(かじわら かげとき)の兄にあたります。
NHK大河ドラマで描かれたように、源頼朝の死後、二代将軍源頼家を支えるために集められた13人の合議制のメンバーの中に、梶原景時も名を連ねていました。景時は頼朝の厚い信頼を得ていましたが、その剛直な性格から他の御家人との対立を深め、やがて失脚し滅ぼされることになります。
早馬神社の由緒にある通り、梶原景実は、頼朝の命を受け、北条政子の安産祈願を執り行い、頼家が無事に誕生したことから、安産祈願の神社として信仰を集めることになりました。この経緯は、鎌倉幕府草創期の重要な出来事と深く結びついており、早馬神社は「鎌倉殿」とそれに連なる「13人」の時代に、その歴史的ルーツを持つことになります。
弟の景時が幕府内で権力闘争に巻き込まれていく一方で、兄の景実はこの地で早馬神社を創建し、代々宮司を務めることとなります(現在の宮司様は33代)これにより、早馬神社は鎌倉幕府黎明期の歴史を今に伝える貴重な存在となっています。
◯東日本大震災の影響と復興
2011年3月11日に発生した東日本大震災では、海抜12メートルの高台に位置する早馬神社にも約15メートルの大津波が襲来しました。これにより、拝殿、社務所、宮司宅が約2.5メートル浸水し、全ての道具が破壊されました。幸いにも流失は免れ、屋根、柱、外壁が残ったため、1年をかけて修復が行われました。気仙沼市唐桑町の宿浦地区の沿岸部では、早馬神社のみが倒壊を免れました。
震災後、全国からの支援により復興が進められています。2012年9月には、震災からの早期復興を願い、全国の篤志者の奉賛により境内に「東日本大震災復興祈願碑」が建立されました。この碑の上部には「大津波浸水高さここまで」と刻まれ、津波の高さと恐ろしさを語り継ぎ、同様の犠牲者を二度と出さないことを願っています。
現在、早馬神社は、震災により命を落とされた方々を悼み、残された人々の早期復興を祈る「震災復興祈願祭」を執り行っています。また、浸水はしたものの唯一倒壊を免れた神社の神職が「語り部」として当時の状況や教訓を伝えています。
早馬神社は、その歴史と由緒あるご利益から、地元の方々はもちろん、県内外からも多くの参拝者が訪れる神社です。震災を乗り越え、地域の復興の象徴としても重要な役割を担っています。機会があれば是非、皆様も参拝に上がっていただけたら嬉しいです☺️
【由緒】
梶原景実が源頼朝の命により、夫人である北条政子の安産祈願を執り行い、無事に男子(二代将軍 源頼家)を出産したという史実から、安産・子育てに御利益があるとして広く信仰されています。
宮城県気仙沼市唐桑町宿浦に里宮・拝殿が、唐桑町宿の早馬山山頂に奥宮・社殿が鎮座しています。
【御祭神】
倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)
◯ NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
早馬神社の創建に関わる梶原景実(専光房良暹)は、源頼朝の忠臣として知られる鎌倉幕府の有力御家人、梶原景時(かじわら かげとき)の兄にあたります。
NHK大河ドラマで描かれたように、源頼朝の死後、二代将軍源頼家を支えるために集められた13人の合議制のメンバーの中に、梶原景時も名を連ねていました。景時は頼朝の厚い信頼を得ていましたが、その剛直な性格から他の御家人との対立を深め、やがて失脚し滅ぼされることになります。
早馬神社の由緒にある通り、梶原景実は、頼朝の命を受け、北条政子の安産祈願を執り行い、頼家が無事に誕生したことから、安産祈願の神社として信仰を集めることになりました。この経緯は、鎌倉幕府草創期の重要な出来事と深く結びついており、早馬神社は「鎌倉殿」とそれに連なる「13人」の時代に、その歴史的ルーツを持つことになります。
弟の景時が幕府内で権力闘争に巻き込まれていく一方で、兄の景実はこの地で早馬神社を創建し、代々宮司を務めることとなります(現在の宮司様は33代)これにより、早馬神社は鎌倉幕府黎明期の歴史を今に伝える貴重な存在となっています。
◯東日本大震災の影響と復興
2011年3月11日に発生した東日本大震災では、海抜12メートルの高台に位置する早馬神社にも約15メートルの大津波が襲来しました。これにより、拝殿、社務所、宮司宅が約2.5メートル浸水し、全ての道具が破壊されました。幸いにも流失は免れ、屋根、柱、外壁が残ったため、1年をかけて修復が行われました。気仙沼市唐桑町の宿浦地区の沿岸部では、早馬神社のみが倒壊を免れました。
震災後、全国からの支援により復興が進められています。2012年9月には、震災からの早期復興を願い、全国の篤志者の奉賛により境内に「東日本大震災復興祈願碑」が建立されました。この碑の上部には「大津波浸水高さここまで」と刻まれ、津波の高さと恐ろしさを語り継ぎ、同様の犠牲者を二度と出さないことを願っています。
現在、早馬神社は、震災により命を落とされた方々を悼み、残された人々の早期復興を祈る「震災復興祈願祭」を執り行っています。また、浸水はしたものの唯一倒壊を免れた神社の神職が「語り部」として当時の状況や教訓を伝えています。
早馬神社は、その歴史と由緒あるご利益から、地元の方々はもちろん、県内外からも多くの参拝者が訪れる神社です。震災を乗り越え、地域の復興の象徴としても重要な役割を担っています。機会があれば是非、皆様も参拝に上がっていただけたら嬉しいです☺️
すてき
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