御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

こうやさんこんごうぶじ|高野山真言宗

高野山金剛峯寺のお参りの記録一覧
和歌山県 高野山駅

1 / 12ページ1〜25件281件中
れん太郎
れん太郎
2026年07月10日(金)2108投稿

金剛峯寺様に到着しました。この日は青葉まつりが
催されていたので入山料が無料でした(´▽`)

高野山金剛峯寺としての総本尊は薬師如来です。
(阿閦如来と同体とされる秘仏)

金剛峯寺様は弘法大師 空海によって816年に開かれた
真言密教の聖地で 高野山全体を一つの寺院とする
一山境内地とする総本山です。
もともと「金剛峯寺」という言葉は高野山全体を指して
いましたが時代と共に特定の寺院を指す言葉へと
変化しました。

1590年に豊臣秀吉の高野山侵攻を説得し直前に
食い止めた木食応其が「興山寺」を創建します。
1593年には豊臣秀吉が母の大政所の菩提弔う為に
「青巌寺」を建立します。秀吉がこの「青巌寺」の建立を
命じたのも木食応其でした。
秀吉は木食応其を大層気に入っていたようで「興山寺」
は秀吉が願い出たことで後陽成天皇から勅額を賜り
さらには勅願寺となりました。

木食応其が創建に携わった 壁一枚隔てて隣接した
2つの巨大寺院は江戸時代になると行人方の筆頭と
学呂方の筆頭として激しく争うようになります。
この両派は江戸時代には幕府を巻き込む大裁判
(元禄高野騒動)を起こしています。
幕府が下した評定は学呂方の圧勝でした。
幕府が定めた寺院諸法度では仏教寺院の本分は学問と
修行でした。そのため実務派の行人が学問エリートの
学侶に対して対等や それ以上の権力や発言権を
持つこと自体が幕府の重んじる身分秩序に反すると
みなされたのです。
幕府にとって高野山は強力な経済力と元武士や僧兵
(行人方や聖方)を抱えるコントロールしにくい巨大な
武装都市として警戒対象でした。
しかし この評定によって武闘派や実務派の勢力を
根こそぎ叩き潰すことに成功します。これにより
高野山は政治力を持たない純粋な学呂方が中心の
学問と祈祷だけの山へと強制的に変えられ幕府の
統制下に完全に組み込まれることになりました。

そして明治に入り新政府は激しく争った2つの
巨大寺院を上地令により経済力を削り 高野山三方を
解体することで対立軸をなくし 合併させることに
成功します。その合併で誕生したのが現在の
金剛峯寺様です。

この日は月曜日だったのですが境内は参拝者で
一杯でした。
本坊を周りながらここが「青厳寺」φ(..)
蟠龍庭を見ながらここが「興山寺」φ(..)
と確認しながら巡らせて頂きました。

もっと読む
くるくるきよせん
くるくるきよせん
2026年05月15日(金)3845投稿

奥の院への参拝をすませましたので次はこちら金剛峯寺に参拝です。
歩くとなかなかの距離ですので 中の橋の駐車場から近くの駐車場まで移動しました。
春季胎蔵界結縁潅頂(しゅんきたいぞうかいけちえんかんじょう)という行事が明日行われるので 今日は普通に参拝できるのかな?と心配していたのですが 普通に参拝できました。
ですが明日の準備は行われていて 正門の手前に馬桶(ばおけ 馬の飲み水)と杉(馬の餌になる)が置かれていました。
もちろん現代は馬で参拝するわけではなく 昔からの行事を今に伝えるためのものです。
と知っている風に書いていますが 実は「なんじゃこれ?」と思って質問して教えていただいたのです。

本坊(主殿)はほぼ撮影禁止です。
お庭と新別殿は撮らせていただけました。
新別殿ではお説法を聞かせていただけました。
尼僧がわざわざ近寄ってきてくださって 私たち夫婦に
「今日はどうして高野山に?」
やはりこの質問をされました。
「四国八十八か所巡りを吉願しましたので参拝に上がりました。」
「ご苦労さまです。それでは簡単に金剛峯寺のお話でもしましょうか。」
でも少しだけ特別でした。
私たち夫婦にしか話しかけられなかったからです。
15分ほどありがたいお話を聞かせていただきました。
お話が終わって 次は蟠龍庭を観ました。
奥殿もありますが そちらへは入れません。
奥殿の裏手 阿字観道場では座禅をされている方がいらっしゃいました。
阿字観道場への有料コースがありました。
膝が痛むため 座禅はやめました。
最後は土室と台所を観ました。
これだけ僧侶の多いお寺ですから 台所もすごく広いです。
竃は現役で 行事の際には使われています。
二石釜という 一度に2000人分のご飯が炊ける釜もありました。
どこを見ても さすが大本山だと思わせられ 感動のうちに参拝が終わりました。
次は大伽藍に行きました。

ネット情報です。
総本山金剛峯寺(本坊)は 壇上伽藍の東北にあり 本坊である主殿が建つ。
1869年(明治2年) いずれも豊臣秀吉ゆかりの寺院である学侶方の巌寺と興行人方の山寺 (廃寺)を合併し 高野山真言宗総本山金剛峯寺と改称した。
寺紋は桐紋と巴紋だが桐は豊臣家の家紋で 巴は地主神として祀られている天野社の紋である。
青巌寺は 文禄2年(1593年)秀吉が亡母の菩提のために木食応其に命じて建立し 母の大政所の剃髪を納めたことから当初「剃髪寺」とよばれ のちに「青巌寺」と改称する。
「金剛峯寺」の寺号は空海が経典「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜経」から名付けたもので 元来は高野山全体を指す名称であったが 明治期以降は 高野山真言宗の管長が住むこの総本山寺院のことを「金剛峯寺」と称している。
主殿の持仏の間には1680年検校文啓の支持で制作された本尊弘法大師座像が祀られ 高野山開創1200年記念大法会(2015年4月2日 - 5月21日)で16年ぶりに開帳された。
境内の広さは48295坪あり 主殿(1863年再建) 主殿から長い渡り廊下を渡ると 奥殿(1934年建立) 別殿(1934年建立) 新別殿(1984年建立) 阿字観道場(1967年建立) 蟠龍庭(石庭)などがある。

ひゃぁ 金剛峯寺と奥の院の投稿だけで2時間かかってもた。
続きは明日にしますわ。

高野山金剛峯寺(和歌山県)

まずは東門から入りました

高野山金剛峯寺(和歌山県)

これも柱門になるのかな

他47枚の写真を見る
もっと読む
タロウ
タロウ
2026年08月25日(火)30投稿

😊

高野山金剛峯寺(和歌山県)

寺社巡りのきっかけとなった看板
 何気ない看板ですが自分にはこの言葉が刺さりました

もっと読む
行きたい
行った
お問い合わせ
御朱印背景
NEWSLETTER

最新の限定御朱印情報が届く!

御朱印メルマガを受け取ろう

※購読はいつでも解除できます。利用開始をもって利用規約プライバシーポリシーに同意したものとみなします。
This site is protected by reCAPTCHA and the GooglePrivacy Policy andTerms of Service apply.
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ