こうやさんこんごうぶじ|高野山真言宗
高野山金剛峯寺
和歌山県 高野山駅
8:30〜17:00(受付時間16:30まで)
御朱印(1種類)
高野山には100を超える寺院があり、それぞれの寺院で御朱印が頒布されています。
金剛峯寺では、常時1種類の御朱印がいただけます。
「遍照金剛」の御朱印
御朱印中央には、金剛峯寺を開山した弘法大師の別名「遍照金剛(へんじょうこんごう)」の文字が書かれています。
授与場所・時間
御朱印は、入り口の右手にある朱印受付でいただくことができます。
拝観時間は、8時00分~17時00分です。
詳しくは公式サイトをご確認ください。
御朱印帳
高野山金剛峯寺で頒布された御朱印帳のなかから、「高野霊木」の御朱印帳と「深沙大将立像・執金剛神立像」の御朱印帳の2つを紹介します。
高野霊木 御朱印帳
1,200年以上もの歴史ある高野山の森から産出した高野杉を使用した御朱印帳です。
裏には「総本山 金剛峯寺 高野霊木」の文字があしらわれています。
「深沙大将立像・執金剛神立像」の御朱印帳
快慶作とされる「深沙大将立像・執金剛神立像(重要文化財)」が表と裏に一体ずつプリントされた御朱印帳です。
御朱印 | 真ん中に梵字と遍照金剛、右下に高野山、左下に金剛峯寺と書かれ、右上に高野山の印、真ん中に梵字の印、左下に高野山金剛峯寺の印が押されています。
| ||
---|---|---|---|
限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり |
奥の院からバスで移動し、金剛峯寺へお参りいたしました。臨時のバスが運行されるなど、すでに多くの参拝される方がいらっしゃいました。
中にも入らせていただきましたが、多くの襖絵もあり興味深く見させていただきました。
西国三十三所、番外です。沢山の人が居られました。外人さん多いいです。掛け軸に書いて頂きました。
掛け軸に書いて頂きました。
お寺の入り口です
手水舎。
山門です。
拝観、御朱印の受付です。
金剛峯寺は本来、高野山全体をさす言葉でしたが、明治以降、管長猊下がいらっしゃる総本山のお寺のことを金剛峯寺と呼ぶようになりました。
由来は、どちらも豊臣秀吉が寄進した青厳寺と興山寺で、二つのお寺が合併してできたお寺が今の総本山金剛峯寺です。
名称 | 高野山金剛峯寺 |
---|---|
読み方 | こうやさんこんごうぶじ |
参拝時間 | 8:30〜17:00(受付時間16:30まで) |
参拝にかかる時間 | 30分〜1時間 |
参拝料 | 一般 500円 小学生200円 |
トイレ | あり |
御朱印 | あり 真ん中に梵字と遍照金剛、右下に高野山、左下に金剛峯寺と書かれ、右上に高野山の印、真ん中に梵字の印、左下に高野山金剛峯寺の印が押されています。
|
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0736-56-2011(代) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.koyasan.or.jp/ |
SNS |
ご本尊 | 弘法大師 |
---|---|
宗旨・宗派 | 高野山真言宗 |
創建時代 | 明治二年(1869) |
開山・開基 | 弘法大師 |
札所など | 神仏霊場巡拝の道・和歌山第13番札所 |
文化財 | 不動堂、八大童子立像、諸尊仏龕(国宝) |
ご由緒 | 金剛峯寺は本来、高野山全体をさす言葉でしたが、明治以降、管長猊下がいらっしゃる総本山のお寺のことを金剛峯寺と呼ぶようになりました。
|
体験 | 世界遺産御朱印国宝重要文化財武将・サムライ有名人のお墓札所・七福神巡り伝説 |
Youtube | |
概要 | 金剛峯寺(こんごうぶじ)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗の総本山の寺院。正式には高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)と号する。 高野山は、和歌山県北部、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの盆地状の平坦地に位置する。100か寺以上の寺院が密集する日本では他に例を見ない宗教都市である。京都の東寺と共に、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)が修禅の道場として開創し、真言密教の聖地、また、弘法大師入定信仰の山として、21世紀の今日も多くの参詣者を集めている。2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部。 「金剛峯寺」という寺号は、明治期以降は1つの寺院の名称になっている。しかし高野山は「一山境内地」といわれ高野山全域が寺の境内地とされ、金剛峯寺の山号が高野山であることからも分かるように、元来は真言宗の総本山としての高野山全体と同義であった。寺紋は五三桐紋と三つ巴紋。 |
---|---|
歴史 | 歴史[編集] 平安・鎌倉時代[編集] 弘仁7年(816年)、高野山を賜った空海は、翌年から実恵、円明などの東寺にいた弟子達に命じ草堂を建てさせ、819年に空海が高野山に結界を張り伽藍の建立に取りかかったが、国の援助を得ずに人々からの勧進による私寺建立を目指したこと、交通不便な山中であること、また朝廷からの要請による821年の香川県の満濃池の修築や828年の京都の綜芸種智院の開設などにより、空海が多忙であったことで、工事ははかどらなかった[1]。空海の在世中に完成した堂宇はごくわずかであり、無論、当時の建築物は現存していない。承和2年(835年)には定額寺に列し官寺に准ずる寺格を得た(『...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「金剛峯寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%87%91%E5%89%9B%E5%B3%AF%E5%AF%BA&oldid=98310282 |
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
9
0