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名鉄御朱印めぐり御朱印帳発売中

こうやさんこんごうぶじ|高野山真言宗

高野山金剛峯寺

和歌山県 高野山駅

8:30〜17:00(受付時間16:30まで)

投稿する
0736-56-2011(代)

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印・御朱印帳

御朱印(1種類)

高野山には100を超える寺院があり、それぞれの寺院で御朱印が頒布されています。
金剛峯寺では、常時1種類の御朱印がいただけます。

「遍照金剛」の御朱印

300円

御朱印中央には、金剛峯寺を開山した弘法大師の別名「遍照金剛(へんじょうこんごう)」の文字が書かれています。

授与場所・時間

御朱印は、入り口の右手にある朱印受付でいただくことができます。

拝観時間は、8時00分~17時00分です。

詳しくは公式サイトをご確認ください。

御朱印帳

高野山金剛峯寺で頒布された御朱印帳のなかから、「高野霊木」の御朱印帳と「深沙大将立像・執金剛神立像」の御朱印帳の2つを紹介します。

高野霊木 御朱印帳

1,500円
16.5 ㎝×11.5㎝

1,200年以上もの歴史ある高野山の森から産出した高野杉を使用した御朱印帳です。
裏には「総本山 金剛峯寺 高野霊木」の文字があしらわれています。

「深沙大将立像・執金剛神立像」の御朱印帳

1,500円
16.5 ㎝×11.5㎝

快慶作とされる「深沙大将立像・執金剛神立像(重要文化財)」が表と裏に一体ずつプリントされた御朱印帳です。

御朱印をもっと見る|
175
御朱印について
御朱印
あり

真ん中に梵字と遍照金剛、右下に高野山、左下に金剛峯寺と書かれ、右上に高野山の印、真ん中に梵字の印、左下に高野山金剛峯寺の印が押されています。
境内では、12種類の御朱印がいただけます。
中には徳川家霊台の御朱印も。
高野山金剛峯寺には、徳川家康公と徳川秀忠公をお祀りする霊廟があります。

限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

あり

巡礼

神仏霊場巡拝の道
神仏霊場巡拝の道・和歌山第13番札所

高野山金剛峯寺について

金剛峯寺を建てた弘法大師・空海とは?


高野山といえば、弘法大師・空海が1200年前に開いた真言宗の修行場です。
香川県に生まれた空海は、学びのために上京しますが、31歳の時、遣唐使船で唐に渡ります。
その後、中国・長安にて学び、5年後に帰国した空海は天皇から高野山を賜り、真言宗を広めて行ったようです。

おすすめの投稿

garu
2018年04月01日(日)
614投稿

娘が日帰り研修旅行で高野山へ行ってきたようです。
只今、ケーブルは運休してますが4月から一応復旧するのだそうです。そんで10月から新しいのになるとの事。なんだかスイス製のケーブルなんですって。

今回はそんな事で会社から車二台で高野山へ。仕事の関係上「つて」を使って知り合いのお坊様の説明付き(笑)
予約をすれば説明は受けられるのだそうですが、お坊様が付き添う事はないそうで、これはほんと、「つて」
正確には知り合いの同級生のお坊様。なのでお若い。若干25歳だそうです。

ちょっと面白い話を色々きいてきたようなので2回に分けます。(それでも長くなりそう)写真は出来るだけ他の方と重複しないようにいたしました。
【中門】ここの仁王様は外側に面しているのが古い仁王様で内側が新しい仁王様。
新しい仁王様の胸には蝉とトンボが施されています。蝉は声が響き渡るので「仏教の教えが広く響き渡る」意味を込め、トンボは「後退しないので前進してゆく」意味が込められているとの事。
【金堂】はコンクリート製なんだそうです。とにかく「ブラタモリ」でも紹介されていましたが雷被害が酷いのでほとんどのお堂が焼失しているのだそうです。ですので今回ここはコンクリートで作られたんだそうです。なんとここには謎の地下室があるそうで、それが何処なのかは明らかにされていないのだそうです。根本大塔(今回は写真を省きました)にも地下室はありますが、ここは所在が明らかとか。
ここには開かずの厨子があったようで、ここに高村光雲の薬師如来が入っていたとわかったのはなんと3年前。おかげで彫りたての如く美しい薬師様が入っていらっしゃったとか。
高野山のお堂の屋根は古いものは檜皮葺。瓦だと温度差ですぐに割れてしまうのだそうでこれになっているのだそうですが、これだと燃えやすいんですよね~と・・・。どっちもどっちだなぁ。現在では瓦か銅板になってるとの事。技術の進歩が伺えます。瓦屋根は平成に再建されたものって事ですね。
【六角経堂】お坊様の子供の頃は大の大人が数人かかってでないと回せない程重かったそうですが、最近ベアリングを入れて軽くしたとか。でも軽すぎて重厚さが無くなったので少し重くしているそうです(笑)
【御社】800年前に夢枕で丹生都比売(にうつひめ)が現れ、「さぼってんじゃねーぞお前ら!ちゃんと修業しないんだったら山は返してもらうぞ!」と怒られたそうで(笑)当時100以上あった塔頭から1人ずつエリートを選び勉強会なるものを開いたそうです。その名残が現在も残っており年に一回あるんだそうです。こっそり娘が「こういう事があったから某寺院のように焼き討ちに合わんかったんかなぁ」と(苦笑)
【准胝堂】こちらの准胝観音菩薩は正座から立ち上がるお姿をされており、前かがみのかたちなんだそうです。信者相手なら「今から助けに行くよ」になりそうですが、お坊様が相手だと「今から教義にいくから覚悟しろよ」という事になるとか(笑)
【御影堂】「ブラタモリ」でも紹介があった味噌を塗られて火事を免れた御影堂です。塗られた欄干がツルツルに。
【三鈷の松】唐から空海がぶん投げた三鈷杵が突き刺さったという松ですが、どんだけ剛腕なんだと思っていたら、もう一つの説があって「雲に乗って高野山まで飛んできた」と言う説を高野山ではお話しなさっているとか。流石に剛腕説は無理があったか(笑)
御影堂の空海の像がいつもこの松を見ているので、お坊様はその間を通過することは許されていないんですって。

今回はここまで。
最後に、お坊様になろうとして修業を積むことはここでも出来るそうですが、1年間お山を下りることが出来ないので、修業が明けた時はみんな山を下りてまず肉を食べるとか(苦笑)
「自然と涙が出て、みんな泣きながら食べます」との事。
まぁ、現代っ子ですからね(笑)

高野山金剛峯寺の山門

中門

高野山金剛峯寺の像

古い仁王様

高野山金剛峯寺の像

新しい仁王様

高野山金剛峯寺の本殿

金堂

高野山金剛峯寺の塔

六角経堂

高野山金剛峯寺の本殿

山王院

高野山金剛峯寺の末社

御社(丹生明神・高野明神・十二王子百二十伴神)と、説明して下さったお坊様の後頭部(笑)

高野山金剛峯寺の塔

西塔

高野山金剛峯寺の本殿

孔雀堂

高野山金剛峯寺の本殿

准胝堂

高野山金剛峯寺の本殿

御影堂

高野山金剛峯寺の建物その他

御影堂の欄干

高野山金剛峯寺の建物その他

三鈷の松

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恵比寿
2021年05月06日(木)
1投稿

【過去の御朱印と御朱印帳】
仏3―1
高野山 
奥の院
高野山真言宗 総本山金剛峯寺

名所一覧
名所一覧

大門
壇上伽藍
高野山霊宝館
高野山大師教会
女人堂
徳川家霊台
苅萱堂
奥之院

大門
(だいもん)
高野山の入口にそびえ、一山の総門である大門。開創当時は現在の地より少し下った九十九折(つづらおり)谷に鳥居を建て、それを総門としていたそうです。山火事や落雷等で焼失し、現在の建物は1705年に再建されました。五間三戸(さんこ)の二階二層門で、高さは25.1メートルあります。左右には運長作の金剛力士像が安置されています。正面には「日々の影向(ようごう)を闕(かか)さずして、処々の遺跡を檢知す」という聯(れん)が掲げられています。この聯は、「お大師さまは毎日御廟から姿を現され、所々を巡ってはわたしたちをお救いくださっている」という意味であり、同行二人信仰を表しています。また、大門の横手には弁天岳登山口があり、山頂には弘法大師が勧請された嶽弁才天(だけのべんざいてん)がまつられています。

壇上伽藍
(だんじょうがらん)
お大師さまが高野山をご開創された折、真っ先に整備へ着手した場所です。お大師さまが実際に土を踏みしめ、密教思想に基づく塔・堂の建立に心血を注がれました。その壇上伽藍は、〈胎蔵曼荼羅〉の世界を表しているといわれています。
各諸堂の案内順番は、高野山に伝わる『両壇遶堂(りょうだんにょうどう)次第』に則っています。ご紹介順に諸堂をご参拝されますことをおすすめ致します。

中門
(ちゅうもん)
金堂
(こんどう)
登天の松と杓子の芝
(とうてんのまつとしゃくしのしば)
六角経蔵
(ろっかくきょうぞう)
御社
(みやしろ)
山王院
(さんのういん)
西塔
(さいとう)
孔雀堂
(くじゃくどう)
逆指しの藤
(さかさしのふじ)
准胝堂
(じゅんていどう)
御影堂
(みえどう)
三鈷の松
(さんこのまつ)
大塔
(だいとう)
対面桜
(たいめんざくら)
大塔の鐘・高野四郎
(こうやしろう)
愛染堂
(あいぜんどう)
不動堂
(ふどうどう)
勧学院
(かんがくいん)
蓮池
(はすいけ)
大会堂
(だいえどう)
三昧堂
(さんまいどう)
東塔
(とうとう)
智泉廟
(ちせんびょう)
蛇腹路
(じゃばらみち)
六時の鐘
(ろくじのかね)

https://www.koyasan.or.jp/sp/meguru/sights.html

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garu
2018年04月02日(月)
614投稿

後半です。
【愛染堂】現在の堂は1816年(文化13年)に再建されたものですが、燃えた時にご本尊だけでもお救いせねばと持ち出したものの、実はそのご本尊が見つからなかったんだそうです。それが最近になって見つかったようで現在は鎮座されているとの事。発見された当初「見知らぬ仏様が見つかったんだけど、これは何?」とかなってたとか(苦笑)
【不動堂】国宝です。ここだけ燃えていないんだそうです。非公開なので見れないんですが、ここのお不動様は本来後背が火焔なんですが、その火焔部分が龍の形をしているとの事。燃えなかったのはその所為なんでしょうかね。
【大会堂】朝、ここでお坊様が一堂に会し読経した後でそれぞれの業務につくんだそうです。
【六時の鐘】戦国武将・福島正紀が両親の菩提を弔う為に寄進した鐘楼だそうで、1日に6回、一回につき18回突くんだそうで、なんと自動!鐘楼も定時に突かれますがこれと合わせて1日に108回鐘を突くんだそうです。こちらは手動(笑)つき終わるごとに小石を並べてるんですって。
【金剛峯寺の入堂口】ここにも決まりがあって、この大きな入堂口は位の高いお坊様しか入れないのだそうです。年齢でいえば80歳くらいとご説明(笑)写真の右端の障子は中堅どころのお坊様が入堂される入り口。だいたい40歳以上ですって。その他のお坊様は裏からでしか入堂できないしきたりがあるそうです。(拝観口ではない)
【非公開の石庭1】金剛峯寺には上壇の間という金ぴかの部屋がありますが、その奥に更に上々壇の間と言うのがあります。天井のマス目が上壇になればなるほど細かくなるとの事。実はその更に奥に非公開のお部屋があります。昭和天皇がご滞在された折に使われたお部屋だそうで、ここは非公開。今回特別に案内されたとの事。繊細な細い木で細工された菊のご紋の欄干がはまった孔雀の襖絵があるお部屋です。「1」の写真はそのお部屋から写した石庭(許可あり)「2」の写真はその反対側から。奥の建物が昭和天皇が滞在されたお部屋です。

そんなこんなで日帰りで戻って来ました。高野山の桜はまだまだこれから。ですのでこれからが見ごろですから行かれてみれば良いかと思われます。

高野山金剛峯寺の本殿

愛染堂

高野山金剛峯寺の本殿

不動堂

高野山金剛峯寺の本殿

大会堂

高野山金剛峯寺の塔

東塔

高野山金剛峯寺の建物その他

六時の鐘

高野山金剛峯寺の建物その他

鐘楼

高野山金剛峯寺の本殿

金剛峯寺の入堂口

高野山金剛峯寺の本殿

金剛峯寺の堂内

高野山金剛峯寺の建物その他

この鐘楼は金剛峯寺以前にあったお寺の鐘楼だそうで、合併した時に残ったんだそうです。

高野山金剛峯寺の庭園

非公開の石庭1

高野山金剛峯寺の庭園

非公開の石庭2

高野山金剛峯寺の歴史

寺紋の説明

高野山金剛峯寺の建物その他

台所

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歴史

金剛峯寺は本来、高野山全体をさす言葉でしたが、明治以降、管長猊下がいらっしゃる総本山のお寺のことを金剛峯寺と呼ぶようになりました。
由来は、どちらも豊臣秀吉が寄進した青厳寺と興山寺で、二つのお寺が合併してできたお寺が今の総本山金剛峯寺です。

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高野山金剛峯寺の基本情報

住所和歌山県伊都郡高野町高野山132
行き方

南海りんかんバス 金剛峰寺前下車すぐ、千手院橋下車徒歩3分

アクセスを詳しく見る
名称高野山金剛峯寺
読み方こうやさんこんごうぶじ
参拝時間

8:30〜17:00(受付時間16:30まで)

参拝にかかる時間

30分〜1時間

参拝料

一般 500円 小学生200円

トイレあり
御朱印あり

真ん中に梵字と遍照金剛、右下に高野山、左下に金剛峯寺と書かれ、右上に高野山の印、真ん中に梵字の印、左下に高野山金剛峯寺の印が押されています。
境内では、12種類の御朱印がいただけます。
中には徳川家霊台の御朱印も。
高野山金剛峯寺には、徳川家康公と徳川秀忠公をお祀りする霊廟があります。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0736-56-2011(代)
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.koyasan.or.jp/
SNS

詳細情報

ご本尊弘法大師
宗旨・宗派高野山真言宗
創建時代明治二年(1869)
開山・開基弘法大師
札所など

神仏霊場巡拝の道・和歌山第13番札所

文化財

不動堂、八大童子立像、諸尊仏龕(国宝)

ご由緒

金剛峯寺は本来、高野山全体をさす言葉でしたが、明治以降、管長猊下がいらっしゃる総本山のお寺のことを金剛峯寺と呼ぶようになりました。
由来は、どちらも豊臣秀吉が寄進した青厳寺と興山寺で、二つのお寺が合併してできたお寺が今の総本山金剛峯寺です。

体験世界遺産御朱印国宝重要文化財武将・サムライ有名人のお墓札所・七福神巡り伝説
Youtube

Wikipediaからの引用

概要
金剛峯寺(こんごうぶじ)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗の総本山の寺院。正式には高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)と号する。 高野山は、和歌山県北部、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの盆地状の平坦地に位置する。100か寺以上の寺院が密集する日本では他に例を見ない宗教都市である。京都の東寺と共に、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)が修禅の道場として開創し、真言密教の聖地、また、弘法大師入定信仰の山として、21世紀の今日も多くの参詣者を集めている。2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部。 「金剛峯寺」という寺号は、明治期以降は1つの寺院の名称になっている。しかし高野山は「一山境内地」といわれ高野山全域が寺の境内地とされ、金剛峯寺の山号が高野山であることからも分かるように、元来は真言宗の総本山としての高野山全体と同義であった。寺紋は五三桐紋と三つ巴紋。
歴史
目次 1 歴史 1.1 平安・鎌倉時代 1.2 室町・江戸時代 1.3 明治時代以降 歴史[編集] 平安・鎌倉時代[編集] 弘仁7年(816年)、高野山を賜った空海は、翌年から実恵、円明などの東寺にいた弟子達に命じ草堂を建てさせ、819年に空海が高野山に結界を張り伽藍の建立に取りかかったが、国の援助を得ずに人々からの勧進による私寺建立を目指したこと、交通不便な山中であること、また朝廷からの要請による821年の香川県の満濃池の修築や828年の京都の綜芸種智院の開設などにより、空海が多忙であったことで、工事ははかどらなかった[1]。空海の在世中に完成した堂宇はごくわずかであり、...Wikipediaで続きを読む
引用元情報金剛峯寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%87%91%E5%89%9B%E5%B3%AF%E5%AF%BA&oldid=89014484

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