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法話と天井絵の寺 観音寺からのお知らせ一覧(2ページ目)
【お盆の行事】餓鬼地獄に届いた一筋の光
毎年8月18日に施餓鬼(せがき)法要を行います。施餓鬼会とはなぜ始まったのでしょうか?
お釈迦様がまだこの世におられたころ、つまり、今から約2,500年前のことです。
お釈迦さまの弟子に「もくれんさん」がいました。ある日、もくれんさんは自分が身につけた神通力(今で言うところの超能力)で亡くなったお母さんに会いに行こうと思い立ちました。
亡くなったお母さんは極楽で楽しく暮らしているに違いないと思っていましたが、どこにも見当たりません。まさかと思い地獄を探すと餓鬼地獄に落ちていました。もくれんさんには優しかったお母さんですが、生前に出し惜しみをしたり、自分だけ欲張りしたりしたので「餓鬼地獄」に落ちたのでした。
「餓鬼地獄」とは、食べるものも飲むものも炎となって食べることも飲むこともできない地獄です。いつも腹を空かせて奪い合いをしている地獄です。どんなにお腹がすいても、どんなにのどが渇いても、食べることも飲むこともできないのです。
もくれんさんのお母さんは欲張りしすぎたが故に、欲が満たされない地獄に落ちてしまいました。
もくれんさんは、大いに嘆き悲しみました。自ら身につけた神通力(今の超能力)を以てしてもどうにもなりませんでした。仕方なく、師匠のお釈迦様に知恵を借りることにしました。
お釈迦様は、「餓鬼地獄に落ちた者を救うことは限りなく難しい。私にもどうにもならない。でも、もしかしたらこの方法を試してみる価値はあるのではないか」ともくれんさんに知恵を授けてくれました。
インドの雨期を終えた8月15日にたくさんのお坊さんを招待し、食事を接待してお経を唱えてもらいなさい。そうやって善行(よい行い)をしなさい。
と、お釈迦さまはもくれんさんに教えました。
もくれんさんは、さっそくお釈迦様に言われたとおりに供養を行いました。地獄にいるお母さんにもその心が届き、生前の行いを懺悔(ざんげ)しました。もくれんさんのお母さんにとっては「一筋の光」だったことでしょう。
お母さんが心から懺悔して流した涙は、地獄の炎を消して1杯の水を飲むことができたのです。
心を改めたお母さんは、もくれんさんのおかげで極楽へと旅立つことができたのです。
この法要が今に続き、「施餓鬼法要(せがきほうよう)」と呼ばれています。
法話と天井絵の寺 観音寺では過去3年以内に亡くなった方の盆灯籠(ぼんとうろう)を供養しています。
餓鬼地獄に落ちた餓鬼仏を供養することでご先祖さまはもちろん、皆さんも多大な功徳を積むことができます。
初盆から3年目の方はご家族揃ってお参りください。
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせますよう祈念しております。
お盆に関するお問い合わせや不動護摩祈祷の申し込みなど法話と天井絵の寺 観音寺ホームページ http://houwa-kanonji.com にて受け付けています。
觀音寺の施餓鬼における祭壇です。たくさんのお供えものが集まります。
公式LINEも始めました。毎日寺みくじなど楽しいコンテンツを準備しています。
言葉の思いやり
現在のパナソニック創業者、松下幸之助氏のエピソードから。
昭和四十年の初め、日本の家庭に電気炊飯器がひと渡り普及し始めた頃、松下電器では学校や病院の給食室用の炊飯器を開発していました。大量のご飯が炊けるのはもちろん、ハンドルを回せば大量のご飯を取り出せるような工夫もありました。
重役会議で開発の狙いなどを説明しましたが、重役たちの反応は思ったほどではありませんでした。昼食の弁当に開発した炊飯器で炊いたご飯が添えられました。そのご飯をおかわりした人が一人だけいました。創業者の松下幸之助です。
「この炊飯器のご飯、おいしいな。もう一杯おかわりを」
松下幸之助の一言は、開発者にとってどのような誉め言葉よりもうれしかったと言います。幸之助氏は食が細いにもかかわらず、社員を激励するためご飯のおかわりをしたのです。
相手の心を思う時、出てくる言葉の温かさ。きっとホカホカのご飯のようであったにちがいありません。
言葉は毒にもなれば、薬にもなります。とくに心が弱っているときは、言葉はとげのように刺さったまま抜けなくなることもあります。
言葉で病気が癒えることが証明されるような時代です。せめて毒にならないようにしたいものです。
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせますよう祈念しております。
公式LINE始めました
ずいぶん前のことになりますが、寺院グループの参拝旅行で京都へ行ったことがありました。京都には古刹がたくさんありどこへお参りしようかと目移りします。その中で真言宗と関係のある泉涌寺(せんにゅうじ)の境内寺院の1つ、今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)にお参りしました。
御本尊は弘法大師作と伝えられる十一面観世音菩薩です。毎月の御縁日には開帳されるそうですが、
今回は閉じていました。「前立ち」といってレプリカを置いてありました。
今熊野観音寺の御本尊は「頭の観音さま」として有名です。その謂れは後白河法皇のエピソードにあります。
後白河法皇はたいへんな頭痛持ちでした。どんな名医に診てもらっても治らず、困り果てていました。しかし、不思議なことに今熊野観音寺に来ると、頭痛がピタリと治りました。
ある日、後白河法皇の夢枕に観音様が現れ、頭痛が絶えない病める頭に向けて光明をお差しかけくださいました。すると永年苦しんでこられた頭痛が、不思議にもたちまちに癒えてしまったとのことです。
後白河法皇が体験した観音さまの不思議な霊験により、今熊野観音寺の十一面観世音菩薩は「頭の観音さま」として信仰されています。
授与所では頭痛封じ、ぼけ封じ、学業成就などがありました。ご祈祷済みの枕カバーを売っていました。頭の病が癒えるのでしょう。
私も息子たちのために買って帰った記憶がありますが、今ではどこへ行ったのやら。
法話と天井絵の寺 観音寺では不動護摩祈祷による病気平癒祈願を行っています。完全に治ることはなくとも寛解(状態が落ち着くこと)まで回復することはあるようです。病とあきらめてしまわず、治療を続けながら不動明王の護摩祈祷に背中を押してもらいましょう。
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせますよう祈念しております。
※病気平癒や厄除け、合格祈願など不動護摩祈祷のお問い合わせや質問、お申し込みは法話と天井絵の寺 観音寺ホームページ http://houwa-kanonji.com にて受け付けています。
※7月〜9月までお盆やお彼岸の供養のため不動護摩祈祷はお休みしています。申し込みやお問い合わせは受け付けしています。
公式LINEも始めました。
毎日寺みくじや個別相談など受け付けています。
よい医者は知識をひけらかさない
弘法大師空海は、高野山を開いた後も東寺と高野山を往復していました。
その道中で出会った人々に、水なきところに井戸を掘り、橋なきところに橋を架け、道なきところに道を付け、貧しきものには食を与え、病む者には良医となられました。
お大師さまが中国へ留学したとき、密教の正統な後継者として勉学に励んだのみならず、土木技術や医薬の知識も貪欲に吸収されたようです。
「されたようです」と曖昧な言い方をするのは、お大師さま本人が医薬の知識があることをひけらかさなかったからです。それでも、道中で病を患う人に出会えば、足を止めて膝をつき、自らの知識を総動員して治療に当たりました。
真に知恵のある者は、一見するとボンヤリした凡人に見えます。つまり、賢い人は自分のもつ知識を雄弁に語ったり、ひけらかしたりしないものです。
一方で相手の話を遮ってまで自分の主張をまくしたてる人もいます。自分の博識を認めてもらいたいという思いのあらわれなのでしょう。
お大師さまは、『祈りなき行動は「妄動」であり、行動なき祈りは「妄想」に過ぎない』と喝破しました。
私も少しばかり不動護摩祈祷を修しているからといって、「病が治る」「願いがかなう」とひけらかしていないかと懺悔しました。不動護摩祈祷はお大師さまが日本に伝え、千年以上の間に連綿と伝わっているだけです。私は、その一端を担っているに過ぎません。
よい医者は知識をひけらかさないように、私も不動護摩祈祷を精進していきたいと思います。
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせますよう祈念しております。
お問い合わせや質問はホームページ http://houwa-kanonji.com までお寄せください。
觀音寺公式LINEも開設しました。毎日寺みくじなど楽しいコンテンツを準備しております。ご登録をお待ちしております。
病は予定外のこと
予定外の出来事が起こったとき、どう感じますか。
「腹が立つ」でしょうか。
「また、予定が狂った」と脱力するでしょうか。
「やってられるか」と投げやりになるでしょうか。
「新しいことができる」とチャンスに受け止めるでしょうか。
チャンスだと受け止められる方は、何をやっても成功する人です。現在、業績の良い経営者にこういうタイプが多いですね。たいていは、その他3つのうちに当てはまるのではないでしょうか。ちなみに、私は「また、予定が狂った」と脱力するタイプです。
仏教では、人生は予定外のことだらけであると説きます。人生に4つの苦しみがありますが、苦しみとは「思うようにならないこと」です。
思うようにならないことに向き合うためにはどうすればよいのでしょうか。答えは耐え忍ぶことと仏教では説きます。
耐え忍ぶことは「忍辱(にんにく)」と言い、字のままでいえば「耐え忍ぶこと」です。
耐え忍ぶことを弘法大師空海はどのように捉えたのでしょうか。「機を見て、時を待ち、人を待つ」判断力と行動力をもても説きました。いつ動き、いつ跳ぶか、その機を逃さないことが「忍辱(にんにく)」なのです。
機を逃さずタイミングを計ることは、名医が病人に薬を与えるときに似ています。医師は病状をよく見て薬の量や投薬時期を判断します。また、賢者が説法をしたり沈黙を守ったりするのは、時機と人を見て判断するからです。
病を患うことは予定外の出来事ですが、機を待ちじっと耐える時期でもあります。治療を受けながら身体を労る期間なのです。
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせますよう祈念しております。
※法話と天井絵の寺 觀音寺では病気平癒や厄除け祈願など不動護摩による祈祷を受け付けています。詳しくはホームページ https://houwa-kanonji.comまでお問い合わせください。
不動護摩祈祷の様子
4万6000日を精進して過ごす
お葬式の連絡が入るたび、「人間の寿命とは何だろうか」と考えてしまいます。
3日前には思いも寄らなかった突然の死もあれば、高齢と病でそれとなく別れを意識しての死もあります。どちらにせよ、故人との別れは現実と思いたくない出来事であることには変わりがありません。
世界有数の長寿大国となった日本。平均寿命は約90歳となりました。そもそも本来人間がもっている寿命はどれぐらいなのでしょうか。最もそれらしい数字は「120歳」です。
有名な「浅草の観音さま」では、7月10日に盛大な浅草祭りがあります。「4万6000日の功徳」といわれています。毎月の縁日が100倍なら、7月10日は途方もないほどに功徳があります。これを逃してはいけないと、全国から観音信仰の信者さんが集まります。
さて、「4万6000日」という数字は、どこから生まれたのでしょう。
試しに365日で割ってみると、126年です。人間の寿命といわれる年数とほぼ一致します。誰が考えたのか、誰が言い出したのかは分かりませんが現代の科学と一致するのは不思議です。
お大師さまは、4万6000日を「精進して過ごす」ことを推奨されました。
年を重ねて老いていくことや病を患うこと、死を迎えることは思うようにならないことですが、いつやってくるのか分からない寿命を迎えるまで精進して生きたいものです。
合掌
観音さまの仏画です。7月10日に浅草の観音さまお参りすると四万六千日の功徳があるとされます。
病を治す薬師如来
寺院の御本尊はそれぞれ違います。例えば法話と天井絵の寺 觀音寺は十一面観世音菩薩です。京都にある東寺の御本尊は薬師如来です。
東寺は国が建てた寺で天皇の思いが反映されています。医療が発達していなかった平安時代において、あらゆる病を治す「薬師如来」に平和と安泰を求めたのでしょう。
東寺の薬師如来ひな台座に十二神将があります。薬師如来を守る役目を果たすために「縁の下の力持ち」になっているのでしょう。
薬師如来は病を治すだけでなく煩いごとや困りごとも治してくれます。気になっている困りごとを解決に導く力があります。
不動護摩祈祷にて病が治りますようにと願うこともあれば、薬師如来をまつる薬師霊場を訪れる人もいます。深い願いを込めるほど仏さまは私たちに向き合い、背中を押してくださいます。
東寺の薬師如来をご覧になった檀信徒の方から質問を受けました。
「薬師如来の足下にある仏さまは、『十三仏』ですか?」
なるほど、たくさん仏像があるので十三仏信仰と結びつけられたのでしょう。
「仏像をよく見てみると、槍や弓、刀などを持つ闘う姿です。十二神将といって薬師如来を守る武将たちです。薬師如来の足下で護っておられるのです。薬師如来の台座に十二神将を彫り込むのは珍しいですね」
檀信徒は、「なるほどねぇ」とニコニコしておられました。「来た甲斐があったわ」と喜んでいました。
知らないことを知ることも薬師如来の働きかもしれませんね。
合掌
仏教の智慧で心豊かに過ごせますよう祈念しております。
薬師如来です。病を治すだけでなく煩いごとや困りごとを解決に導く力があります。
#1 弘法大師誕生1250年記念法会に参拝しました
高野山は桜の季節を終えて青葉が萌える季節です。金剛峯寺前ではたくさんの観光で参拝している方がいました。
弘法大師の誕生を記念する法会なので、法会会場の金堂(こんどう)前では、花御堂の中で稚児大師に甘茶をかけることができるようになっていました。
法会期間中のみの限定だそうです。
法会会場の金堂は根本大塔の西側にあります。
法会開始の1時間以上前ですが、ちらほらと参拝者が集まり始めています。稚児行列が始まるころには参拝者が増えて写真撮影をしていました。
稚児行列などの続きは次回にしましょう。
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせますよう祈念しております。
金剛峯寺前です。青葉薫る季節です。
期間限定で稚児大師に甘茶をかけることができるようになっていました。
法会や稚児行列が始まる前なので参拝者もチラホラですが、しばらくすると写真撮影の目的で参拝者も増えました。
ボードゲーム「煩悩」を楽しみました
御縁があって6月3日(土)に初めての企画として「ボードゲーム大会in觀音寺」を開催しました。
※觀音寺におけるイベントや行事は公式LINEアカウントからご覧ください。
https://lin.ee/O8X90qR
ボードゲーマーはたくさんのボードゲームを持っているそうですが、私も手持ちの(煩悩」というボードゲームを出してみました😊
煩悩というボードゲームはお釈迦さまの生涯をたどりながら、煩悩を消していくというゲームです。ゲームの途中で「四門出遊」のエピソードがありました。
お釈迦さまはインドの王子様に生まれ、なにも不自由することなく生活をしていました。
ある時、お釈迦さまは門の外に出たいと言いました。彼は家来が止めるのも聞かずに外へ出てみました。
東の門を出たところに老人がいました。
『あれは、誰だ』とお釈迦さまは家来に聞きました。
『老人でございます、王子様。人はみな年老いていくのです』
南の門を出たところに、病人がいました。
お釈迦さまは『あの者は何をしているのだ』と家来に聞きました。
『病に伏せっているのでございます、王子様。すべての人はいずれ病を患いあのようになります』
西の門を出たところに、葬式の列を見ました。
お釈迦さまは『あれは何をしているのだ』と家来に聞きました。
『身内のものが死んで葬式をしているのです。人は誰でもいずれ死んでいくのです』
北の門を出たところに、僧侶がいました。
お釈迦さまは『あれは誰だ』と家来に聞きました。
『僧侶でございます。苦しみから逃れようと修行しているのです』
このとき、お釈迦さまは出家して僧侶になることを決めたのです。
なぜ、お釈迦様は僧侶になりたかったのか。
「苦しみから逃れるため」です。端的に言えば年老いて病を患い、死んでいくことが怖かったのです。
お釈迦さまは6年もの間、苦行を続けましたが悟りを開くことができませんでした。菩提樹の下で深い瞑想に入り悟りを開きました。
悟りの内容とは「煩悩をあきらめて手放し、正しい道を歩け」でした。年老いて病を患い、死んでいくことは避けられません。これらにこだわらずあきらめて手放すことが悟りなのです。
煩悩というボードゲームはなかなか深い内容で、私の解説も楽しんでもらえて有り難し!でした。
合掌
煩悩というボードゲームをやっている様子
妄想にならないよう護摩祈祷を行います
令和5年は弘法大師空海が生まれて1250年となります。高野山では5月14日から毎週日曜日に全国から真言宗の僧侶が集まり法会を行っています。
高野山を開く前は弘法大師空海は東寺の住職でした。弘法大師空海は嵯峨天皇から東寺を賜り住職となりました。東寺の境内と壁を隔てて建てられている大師堂と御影堂は、弘法大師空海が当時実際に起居していたところです。ここで講堂建築のの構想を練ったり、自著をしたためたりしていました。
弘法大師空海は高野山を開く前には京都の東寺に本拠地を置き、密教を弘めるために策を練り、奔走したのです。
身は高野 心は東寺に おさめをく 大師の誓い 新たなりけり
弘法大師空海は、高野山を開いた後も東寺と高野山を往復していたのでしょう。
その道筋で出会った人々に、水なきところに井戸を掘り、橋なきところに橋を架け、道なきところに道を付け、貧しきものには食を与え、病む者には良医となられました。
祈りなき行動は「妄動」であり、行動なき祈りは「妄想」に過ぎない。
弘法大師空海の言葉が身にしみます。
病を患う方に向けて護摩祈祷を行うことが多くなりました。妄想にならないよう、護摩祈祷という行動をコツコツと積み重ね、できる限りのことをいたします。
どうか仏さまに病気平癒の願いが叶いますように。
合掌
九度山の地名はなぜついたのか?
高野山を囲む八つの峰の一つに九度山町というところがあります。
ここには弘法大師空海の母が、子を思い高野山を遠く眺めることのできる場所に草庵を立て安否を祈ったといわれる場所です。
弘法大師空海の母は、弥勒菩薩を信仰しておまつりしていました。日々手を合わせていたといいます。
女人禁制のお山「高野山」は、冬は雪に閉ざされて僧侶たちも山を下りました。僧侶たちの宿泊所であり、事務的な窓口でもあった九度山。
なぜ、「九度山」という地名が付いたのでしょうか。
高野山の開創に着手したのは、弘仁七年(西暦816年)のことです。今から約1200年前です。
都の喧噪を離れ、静かに修行できる場所を見つけ、道なき道を切り開き高野山に寺院を建てます。行き来に不便だけでなく、資材の運搬にも支障来すような場所でした。
弘法大師空海の名が広まるにつれ、雑務に忙しく高野山の事業は一向に進みませんでした。それでも高野山にこだわり続けた弘法大師空海。病気のうわさもありました。
その頃、弘法大師空海の母は80歳を超える長寿でありました。遠く讃岐国(現在の香川県)から我が子を心配して辿り着いたのが九度山でした。女人禁制である高野山への玄関口であり、大師の姿を遠く見ることができそうな場所でした。
弘法大師空海も、人の子です。母が近くに来ていると知り、居ても立っていおられなかったのでしょう。弘法大師空海は月に9回、20数キロの道のりを往復して母に会いに行ったと言われています。
決して平坦な道ではありません。アップ・ダウンのある山道を歩いて通いました。現在ではハイキングコースとなっていますが、片道10時間かかります。山野で修行した弘法大師空海にとっては難無くこなしたことでありましょう。
母への思いが「九度山」という地名に込められているのです。
四国霊場九番札所 法輪寺のわらじ
四国霊場九番札所 法輪寺は「わらじ」の奉納で有名です。本堂には数限りないわらじが奉納されています。なぜでしょうか。
ある時に、松葉杖がないと歩けない人が、この寺に参拝に来ました。「どうか、この足を治して欲しいと」願ってのことでした。参道の真中辺りで足が軽くなり、松葉杖なしでも歩けるようになり、ついには足が完治したという話が伝わっています。
このお話にあやかって、足の具合が悪い人や足の病を治したいという人は「わらじ」を境内に奉納したのです。それらは本堂におまつりされ、毎日供養されています。山門にもわらじがたくさん吊ってありました。歩き遍路をする人が増えています。足の健康のために奉納していったのでしょう。
お遍路さんは「同行二人」と背中に書いたおいずる(白い半被のような着物)を着て歩きます。姿は見えないけれど自分の前に弘法大師空海が歩いている。道案内をしてくれている。歩いているのは自分だけではないのだと、自らを励ましながら歩きます。「歩く」という単純なことですが、四国遍路では1日に40Km平均で歩きます。札所間の距離が短い時は良いのですが、長くなってくると精神的にもつらくなります。そういう時に心の支えとなるのが「同行二人」です。
私たちの人生も歩き遍路のようなものです。前には弘法大師空海が歩いてくださっています。そう信じて歩いて行けば、迷うことなく行く先を明るく照らしてくれるに違いありません。
思考は現実化すると言いますが、護摩祈祷など願いを込めることで現実が立ち上がってきます。強い願いをもって手を合わせましょう。
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせますよう祈念しております。
法輪寺に奉納されたわらじ
四国遍路は祈りの道
四国霊場七番札所 十楽寺の山門を入り、境内に入ると「治眼疾目救歳地蔵(じがんしつもくきゅうさいじぞう)」があります。このお地蔵様には伝説が残されています。
目の不自由な母親のために親孝行な息子が母の手を引き四国遍路の巡礼の旅に出ました。四国霊場一番札所の霊山寺から祈りの旅を続け、七番札所の十楽寺のお地蔵様にねがいを伝えたところ、突然母の目が開き見えるようになりました。そのことから、「お地蔵様には眼の病に霊験がある」と伝えられるようになりました。
四国霊場は、病に迷い、医師にもサジを投げられた方が、我が命をかけて祈りの道としました。道中で亡くなっていった人は数知れず。金剛杖を墓標にして歩きました。その中で、霊験があり救われていく人も数多くいたのです。霊験は言い伝えられて今に残っています。
四国霊場は祈りの道です。本堂や大師堂の前で手を合わせる時、不思議とイライラした気持ちが消えて心静かになれます。数限りない祈りの心が、そこにまだ佇んでいるのです。
合掌
人気の御守りは病気平癒
新年の元旦から1月末まで御守りの授与をしています。2月以降は片付けていますが、御用命があれば授与しています。
觀音寺オリジナルの身護りや交通安全、合格祈願や学業成就の御守りがあります。珍しいところでは、お大師さまのお守りや観音さまのお守りがあります。
中でも人気なのが「病気平癒(病気が治りますように)」です。続いて足腰守りとぼけ防止のお守りです。私は医師ではないので、どのような病気で困っているのかを聞くことはありません。
一人で、自分の分だけでなく子どもや兄弟姉妹(高齢の方なので兄弟姉妹も高齢です)の分も合わせてお持ち帰りされます。
お守りは薬ではないので即効性があるわけではありませんが、お守りを所望する方の祈りの心が込められています。
お大師さまは
「月の光が穏やかな水面に映るように、穏やかな心に仏の光が届き御利益を頂くことができるものだ」
と説きました。
お守りに込められた清らかな心に加えて、仏さまの御利益が届くよう祈念しております。
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせますよう祈念しております。
觀音寺で授与しているお守り
一心に祈り迷いを断ち切る
不動護摩祈祷ではお願いごとが書かれた添え護摩札を焚き上げます。
不動明王の御真言を唱えながら。
終わった後は灰だらけになりますが、心はすっきりします。
私の中にあるドロドロの煩悩を焼き尽くしてくれるからでしょうか。
数年前になりますが、觀音寺を訪ねてこられた方を思い出しました。
年末から体調を崩しているお母様(91歳)を心配してずっと不動護摩祈祷にお参りし、添え護摩札に「当病平癒」と書き祈り続けてきました。
3月に退院されたとのこと。
一時は主治医から「心の準備をなさってください」とまで言われたようですが、何とか持ち直して退院し自宅に帰ることができました。
護摩祈祷を続けてきた信者さんはホッとした表情で、目尻の笑いじわが深くなっていました。
「ご祈祷してもらったおかげです」
信者さんからありがたい言葉を頂戴しました。
弘法大師の言葉に
「月の光は水面まで届いても、波が立っていれば月を映すことができない。
澄み切った心にのみ加持(祈祷)の効果が映し出されるのだ」
迷ってばかりで心にさざ波が立っていれば、何も映りません。
心静かになった時、はじめていろいろな物が映ります。
一心に祈り迷いを断ち切って心静かになること。ただ、それだけで良いのです。
後は、スッと不動明王が背中を押してくれます。
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせますよう祈念しております。
不動護摩祈祷にて
御朱印に付いて
2023年04月12日(水) 〜
御朱印は天井絵の透かしが入った台紙を使用しているため置き書きのみの対応となっています。
令和5年は十一面観音、法話と天井絵の寺 觀音寺、1250年記念 大師誕生の3種類の御朱印があります。
ご希望の御朱印をお持ち帰りください。
なお、直書きを希望される方はご予約をお願いします。
Instagram
https://instagram.com/houwakanonji
メール
info@houwa-kanonji.com
置き書き用の御朱印(天井絵の透かしが入った台紙を使用しています)
十一面観音、法話と天井絵の寺 觀音寺、1250年記念大師誕生の3種類があります
法話と天井絵の寺 觀音寺では病気平癒のために護摩祈祷をされる方がたくさんいます。
あらゆる病院を受診しても治らず、やむにやまれず祈祷を申し込む方も少なくありません。老若男女を問わず、病を患い仏さまに救いを求める方に、私は仏さまへ願いが届くよう祈願します。
仏教では思うようにならないことを「苦しみ」と説きます。
生きていくのも思うようにならないので苦しみ
年老いて身体が思うようにならないのも苦しみ
病を患い「どうして自分だけ病になったのか」と思い悩むことも苦しみ
死んでいくことに恐怖を感じ、思い残すことが走馬灯のように駆け抜けてつらくなるのも苦しみ
もし、苦しみが襲ってきたとき、心の支えは何ですか?
ある人は心の支えに詩を読んで心の慰めとしました。
幸せの隠し味 かとうみちこ
辛いお塩は おいしいおしるこの隠し味
辛い 苦しみ 悲しみ そして別れ
みいんな 幸せの隠し味
ひとふり ふたふり
ほら!
幸せがとっとても おいしくなったでしょ
※ 詩の作者について
かとうみちこ・・・十六歳(高校三年生)で難病を発病 入院中に受験して大学に入学。大学卒業目前で倒れ、原因不明で大学病院を転々とし入退院を繰り返す。 体の痛みや心の痛みは「生きている証」として、文章を綴ることで自分を戒め勇気づけた
詩の作者である”かとうみちこ”さんは、病をらずらっていることを前向きに捉えて「生きている証」であるとしました。願いが仏さまに届いてほしいと思っているが如く、文章を綴りました。思いが深いほど願いは仏さまに届くように感じます。
お大師さまは
「仏日の影 衆生の心水に現ず」と説きました。
祈る人の心が鏡のように静かな水面ならば、満月はそのまま美しい姿を水面に映します。
けれども祈る人の心が荒波のようならば月の光は水面まで届いても水面は満月を映すことができません。
お大師様は、護摩祈祷のお加持を受けて御利益をいただくためには心が穏やかで静かな水面のようであれと心構えを説かれています。
どうぞ皆様の心が静かでありますように。そしてお加持の御利益が届きますように祈念しております。
合掌
心が病まないように心の声を聞こう
もうすぐ5月の節句です。男の子の成長を祝う行事です。
今は見かけることが少なくなりましたが、あちらこちらに空高く鯉のぼりが泳いでいました。
私が幼い頃に、大きなこいのぼりが買えなかったので母が申し訳程度にベランダ鯉のぼりを買って据え付けました。ベランダ鯉のぼりでは風がないので泳いでくれず、からまってばかりで面白くありませんでした。
私が「鯉のぼりじゃない!」と母に文句を言っても「仕方ないでしょ」と言われました。その通りなのですが、子ども心に寂しかったことを覚えています。
相手の心に寄り添うことは、できているようでできません。
特に幼い子どもは使える言葉が少ないのでなおさらです。知っている言葉を駆使して伝えようとしますが、分かってもらえない。その腹立たしさは、イライラで表現してしまいます。
親は鏡なので、イライラした子供の態度に腹を立ててしまう。
「してはいけない」と思っても怒ってしまう。子どもは「分かってもらえない」という寂しさだけが残ります。
親は苦い思いがいつまでも続きます。「子どもを分かってやれなかった」
子を持つ親になって、やっと分かることがあります。
「怒ってはいけない」と親は我慢ばかりしていると、心を病んでしまいそうになります。
せめて、子どものしたいことをさせてやらなくてはと親は無理を押し通します。
お互いに良くないと知りつつも、子どもの我慢と親の無理を通そうとする悪循環にはまってしまいます。しかし、子どもの寝顔を見ていると天使のようです。「また、子どもの心の声を聞いてやろう」と思います。
弘法大師空海も「全ての男性は父であり、全ての女性は母である。全てのひとが両親であり、師君である」と説きます。親であれ、子であれ、私たちに教えてくれているのです。
もっと親も子も心の声を聞いてみましょう。ささやき声かもしれないけれど、耳を澄ませてみましょう。心が病まないように心の声を聞いてみましょう。
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせますように祈念しております。
心の声は聞こえますか?
現代の医療は「戦う」医療です。病気を治すことに全力を尽くす。ですから「闘病」
という言葉を使います。
護摩祈祷で「当病平癒(病気が治りますように)」と願う方も同じように思っておられることでしょう。
もし、自分に残された時間が少ないと分かったとき、あなたならどうしますか?
ある人は、「自分らしくしていたい」と最後の最後まで入れ歯の後始末は人にさせませんでした。
別の人は、昔行った喫茶店に最後のコーヒーを飲みに行きました。
「自分らしく」というと哲学的な「心穏やかに」「バタバタしない」ような姿を想像しますが、そうではありません。ささやかな生活における一つ一つの動作を最後まで大切にすることなのです。
自分の命が終わるとき、悠々とそして今を最後まで大切にできるだろうか。ちゃんと感謝の言葉を口にできるだろうか。私はちょっと自信がありません。
みんな悩んでる。みんな困っている。でも、それでいい。
時間をかけて作った人生が、フッと消えていくものです。
ちょっと寂しいけれど、それでいいんです。
「もうちょっとだけ」と願う心が護摩祈祷で不動明王に届くよう、私は護摩壇の前に座ります。
「もうちょっとだけ」と願う心が護摩祈祷で不動明王に届くよう祈る護摩祈祷の様子
薬剤師向けのセミナー講師をしたことがあります。
今回は仏教の話は横に置いておき、「サービスとホスピタリティ」というテーマで講演しました。接客セミナーのようなものです。
私の薬剤師時代の例や、お寺をするようになってからも薬剤師として薬や病気の相談を受けたことを皮切りに、サービスとホスピタリティの違いについて話をさせてもらいました。
一番の見所は「ホスピタリティの種を探す」ことでした。
「そもそも薬局とは何ですか?」という質問に対して「そもそも〇〇である」と20個書いてもらいました。
そもそも「気軽に健康相談をしてもらうところ」という先生もおられました。
何とかお客様や患者さんの力になっていきたいという想いが表れている言葉を頂戴しました。
また、ある先生は そもそも、「この薬よく効いたよ」と言ってもらえるところである」 と言っておられました。お客様の「苦しみをとってあげたい」という心から生まれた言葉でした。
仏教の心である「慈しみ」を感じる言葉を頂戴し、うれしく思いました。
不動護摩祈祷で病気平癒の祈願をするのは、そもそも『慈しみ』をもって他者に心を向けることです。病を患う人に心を寄せ不動明王の加持力が届くよう祈念したいものです。
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせますように祈念しております。
病気が治って一緒にいたい
12月のある夜のことです。
幼い少女がお父さんに聞きました。
「どうしてお母さんは私と一緒にいないの?」
お母さんは病気で入院していたからです。
お父さんは娘にゆっくりと話し始めました。
「サンタクロースはトナカイに乗ってやってくるだろう?トナカイに一頭だけ鼻の赤いやつがいたんだ。みんなに馬鹿にされていたんだけれどね。」
「真っ赤なお鼻のトナカイさん」のお話を聞かせました。
みんなと違うトナカイが幸せになるお話です。
お母さんが早く治ってお家に帰ってくることができるよう、お父さんはひとりで觀音寺の護摩祈祷に通っていました。毎月、真剣な表情で添え護摩札に「病気平癒」と書き込み静かに手を合わせていました。
ひと月ほどたった頃からお母さんの病状が改善し始め、一時退院ができるほどに回復しました。
娘と3人で季節外れのクリスマスを楽しむこともできました。
觀音寺での護摩祈祷の様子 病気平癒をはじめ所願成就を祈祷しています。
ジタバタするのが人間です
人生のゴールが見えたとき、悟りを開いたように淡々と日々を送る人もいます。
『がんばらない』 鎌田實 著にはたくさんの患者さんが登場します。
現代の医療は「戦う」医療です。病気を治すことに全力を尽くす。ですから「闘病」という言葉を使います。
「がんばらない」患者さんは、みんな涼やかです。
「自分らしくしていたい」と最後の最後まで入れ歯の後始末は人にさせなかったり、昔行った喫茶店に最後のコーヒーを飲みに行ったり。
明日自分の命の灯が消えるとしても後悔しない生き方をする人は涼やかです。
「自分らしく」というと哲学的な「心穏やかに」「バタバタしない」ような姿を想像しますが、ささやかな生活における一つ一つの動作を最後まで大切にすることなのだと教えてくれます。
自分の命が終わるとき、「がんばらない」に登場するような患者になれるだろうか。
悠々と、そして今を最後まで大切にできるだろうか。ちゃんと感謝の言葉を口にできるだろうか。
みんな悩んでる。みんな困っている。でも、それでいい。
時間をかけて作った人生は、ある灯突然にフッと消えていくものです。
でもジタバタするのが人間です。
神様でも仏さまでも祈願してすがりたい。
未練いっぱいで泣き喚きたい。
それでいいんです。それが本当だし、人としての姿です。
だから私は「病気平癒」の祈願のため護摩壇の前に座り不動明王にお祈りするのです。
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせますように祈念しております。
病気平癒など所願成就のため護摩祈祷をしている様子
光明真言は23文字?
真言宗の檀信徒向けにお仏壇の前でお唱えする仏前勤行次第があります。三信条(さんしんじょう)から始まりたくさんの項目がありますが、その1つに光明真言(こうみょうしんごん)があります。
序文には「唱え奉る光明真言は大日普門の万徳を二十三字に摂(あつ)めたり」とあります。
光明真言は「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」です。
発音する文字だけ追いかければ二十三字にはなりそうにありません。しかし、インドの古い文字である梵字(ぼんじ)で書くと二十三文字になるのです。
心を無にして一心に唱えれば、仏さまの光が差して迷いの霧が晴れて、真実が見えてくると説かれています。
気になることがパッと分かるような感じです。
何も分からない無明の反対は、すべてが明るく分かる光明なのです。
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせますよう祈念しております。
光明真言を梵字で書くと23文字になります。
難を転ずる南天
2月になり南天も実を付け始めました。
南天と聞けば「南天のど飴」を思い出します。のど飴でもロングセラー商品ですね。
意外にも咳が出ているときにはよく効きます。
南天は縁起物として用いられます。「難を転ずる」とも読めますから語呂合わせですね。
災難は「やってくるものだ」と思うと、どうにかして「避けたい」と逃げ回ります。
逃げれば逃げるほど追いかけてきます。
しかし、ちょっと考え方を変えるだけで災難ではなくなります。
12月のある夜のことです。
幼い少女がお父さんに聞きました。「どうしてお母さんは私と一緒にいないの?」
お母さんは病気で入院していたからです。
お父さんは娘にゆっくりと話し始めました。
「サンタクロースはトナカイに乗ってやってくるだろう?トナカイに一頭だけ
鼻の赤いやつがいたんだ。みんなに馬鹿にされていたんだけれどね。」
「真っ赤なお鼻のトナカイさん」のお話を聞かせました。
みんなと違うトナカイが幸せになるお話です。
「みんなと違うけれど、お母さんもあなたも幸せになれるよ」
毎月お不動さまの御縁日である28日に病気平癒の祈願など「難を転じて福となす」よう祈願しています。
合掌
仏教の知恵で心豊かに過ごせますように祈念しております。
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