ひむれはちまんぐう
日牟禮八幡宮のお参りの記録一覧(2ページ目)
八幡山の麓にあります。
慶長5年(1600年)9月18日、徳川家康が関ヶ原の戦いの後に武運長久の祈願を込めて参詣し、御供領五十石の地を寄附しました。
後に、徳川家光や徳川家綱も御朱印を下しています。
先日、山口から東京の子供さんのところに行かれるお友達が思いがけず近江八幡、彦根に行ってみたい❣️との事で日牟禮八幡宮さんで待ち合わせしました。
私は10年ほど前にこの直ぐ近くの築200年の古民家をお借りして住んでいましたので、日牟禮八幡宮さんは毎日の散歩コースです。
凄く重厚な楼門があり、それほど大きな神社さんでは無いのですが、この地区では左義長祭りが盛大に行われます。境内の参道にたねやさんとクラブハリエがあります。
こちらはとても景色が良いのでよく時代劇や2時間ドラマの撮影に使われています。
近くにはロープウェイもあり山頂からの景色は琵琶湖も一望出来見応えがあります。
お参りしてから、すぐそばにある八幡山ロープウェイに乗車しました。
暑い日でしたが、たくさんの参拝客が来られてました。隣に甘味処があるので、かき氷🍧などを頂け、くつろげます。
直書きして頂きました。
過去参拝記録(令和4年7月)
八幡山ロープウェイを降りて、日牟禮八幡宮に初参拝させていただきました。
近江八幡の地名の由来となり、近江商人の崇敬を得た八幡さまはとっても立派でした。
楼門
拝殿
弊殿
鳩は八万神の御使い
神馬
苔むした灯篭
八幡堀を散策しました
日牟礼八幡宮に参拝。ちょっと暑いくらいで、木陰を選びながら散策。近江八幡は初めて訪れましたが、麦秋のさなかで豊かで落ち着いた印象。住みやすそうです。日牟礼八幡さまは近江八幡の名前の由来だそうで、八幡山の麓に鎮座する様は威厳がありました。また訪れたい。
アップしたはずの鳥居の写真が消えてたので再アップ (5/30)
御朱印頂戴しました。
木造鳥居と社号標
楼門。威風堂々。
拝殿と手水舎。
楼門を入ってすぐの能舞台。
拝殿。
本殿です。台風で壊れた鬼瓦も修復なったそうです。
拝殿を横から。左奥が本殿です。
神社前の八幡堀。良い季節。
【近江國 式内社巡り】
日牟禮神社(ひむれ・はちまんぐう)は、滋賀県近江八幡市宮内町にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は誉田別尊、息長足姫尊、比賣尊。
社伝によると、第13代成務天皇が高穴穂の宮に即位した際(131年)、武内宿禰に命じて当地に地主神である大嶋大神(大国主命)を祀ったのが始まり。275年応神天皇が近江に行幸された際に奇瑞があり、祠を建てて「日群之社八幡宮」と名付けたとされる。飛鳥時代の691年には藤原不比等が参拝し「天降りの 神の誕生(みあれ)の八幡かも ひむれの杜に なびく白雲」と詠み、これに因んで社名を「日牟禮社」と改称したとされる。平安時代の991年に一条天皇の勅願により法華峰(八幡山)に宇佐八幡宮を勧請し、1005年に山麓に遙拝所を建て、山上の社「上の社」、遙拝所「下の社」の2社の形となったが、豊臣秀次の八幡城築城計画の影響で上の社が下の社に合祀され1社となった。この際、形成された城下町は近江商人の街として発展し、南は安南(ベトナム)から北は北海道まで商いを行い発展した。1600年には徳川家康が関ヶ原の戦い後に参拝し、武運長久を祈願し御供領50万石を寄進、のちの徳川家光や徳川家綱も御朱印を下した。明治時代に入ると、近代社格制度のもと、県社に列格した。
当社は、JR琵琶湖線・近江八幡駅の北西2kmあまりの平地、近江八幡市旧市街地、八幡伝統的建造物群保存地区の中にある。当社と北西3kmにある琵琶湖との間には八幡山(標高272m)があり、当社奥からは谷地満山頂上までのロープウェイが出ている。公道に面した入口から随神門までは長く太い参道が伸びる。隋神門を入ると境内は旧県社としては広いわけではないが、敷地にみっちり建造物が集まって建っており、かなり見応えがある。
今回は、滋賀県の旧県社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中早めの時間で、自分以外にはほんの数人だが地元民風のご老人衆が参拝時訪れていた。
境内の南側200mほどの大通り沿いにある<鳥居>と<社号標>。
この木造明神鳥居は、江戸時代初期1616年の建立。笠木上の屋根が特徴的。
鳥居をくぐってすぐの<白雲橋>から見たお堀(八幡堀)の眺め。
境内西端入口の<隋神門>。1858年の再建。木造入母屋造。
隋神門前左側の<狛犬>。
隋神門前右側の<狛犬>。
隋神門をくぐったところ。正面に大きな<社殿>があり、左右も建物で囲まれている。
参道左側の<手水舎>。江戸時代末期1858年の再建。手水鉢には1669年の銘がある。
参道左手、手水舎の後ろにある<社務所>。御朱印はこちら。
参道右手にある<能舞台>。明治時代1899年に新築。木造入母屋造。
神楽殿の<松の絵>。
参道右手、神楽殿の左隣にある建物。
参道右手にある<神馬>。赤銅色は珍しいかも。(o^―^o)
いよいよ参道正面の<拝殿>。木造入母屋造。源頼朝公が近江守護職・佐々木六角に命じて造営。
非常に華やか。高い位置にあって、一層大きく見える。
斜めから<拝殿>全景。後ろに<本殿>が見える。
逆サイドの斜めから。ここから奥に進んで行く。
拝殿の左側にある<御神木>。奥にある高い木も、注連縄が掛かっているので<御神木>みたい。
突き当りまで行って左手に進むと小さな鳥居があって、奥に境内社がいくつかある。
左手突き当りの境内社。左から順に<常盤神社>、<天満宮>、<宮比・子安神社>。
3境内社の右手にある<秋葉神社・愛宕神社>。
秋葉神社・愛宕神社の右側にある<本殿屋根棟鬼瓦>。今では再調達不可能な「八幡瓦」。2018年の台風21号で落下破損したもの。
本殿の左隣にある<岩戸神社>。
<本殿>全景。木造三間社流造千鳥破風向拝付。
<本殿>内部。
逆サイドから<本殿>全景。
本殿の並びの右手にある<大島神社>。
大島神社の右隣にある建物。
上の建物の右隣にある<繁元稲荷>。
繁元稲荷の右隣にある<八坂神社>。
八坂神社の右隣にある<恵比寿神社>。
恵比寿神社の近くにある<針塚>。
ここで社務所に向かい御朱印を拝受。写真は社務所の左隣にある<絵馬殿>。江戸時代後期1829年の再建、明治の1883年改築。
上部には絵馬が飾ってあり、下には「八幡祭り」で使用する「ひきずり松明」などの奉納品が展示されている。
参拝を終了し神門をくぐろうとすると、神門の裏側で発見した<狛犬>。石製ではないみたい。ずいぶん古そうで良い感じ。(o^―^o)
対をなす神門裏側の<狛犬>。台座とともに木製かしら。
最後に、最も印象に残った<社殿>全景。大きさ華やかさに、近江商人の篤い信仰が伺える。(^▽^)/
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