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かんのんしょうじ|単立繖山(きぬがさざん)

観音正寺

公式滋賀県 安土駅

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0748-46-2549

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

最新のお知らせ

近江聖徳太子霊跡御朱印

2021年10月01日(金) 〜

令和3年10月1日から始まります

【近江聖徳太子霊跡の御朱印】

を授与している11の神社とお寺の一覧地図を作りました!

滋賀県は移動手段が限られています。
11社寺を回られる時はお車がお勧めです。

車で社寺を回りつつ、
行く先々のお店や、各地域の道の駅などに立ち寄ったりしながら、
滋賀県のいい所を見て回っていただきたい!!

と思っています。

琵琶湖岸から鈴鹿山脈の麓まで、
近江聖徳太子霊跡の社寺は点在しています。
行く先々で違った景色や美味しい食べ物などを楽しんで頂けたらと思います。

もちろん、聖徳太子霊跡の神社やお寺の魅力も楽しんでくださいね。

作った地図はざっくりした物なので、
カーナビで回ってくださいね!(笑)
印刷して近江聖徳太子霊跡のお供にしていただければ幸いです。

近江聖徳太子霊跡、どうぞよろしくお願いいたします。

観音正寺(滋賀県)

印刷できる方は印刷してご利用ください。
住所の他に電話番号も載せてありますので、
カーナビの入力などにご利用ください。

『近江聖徳太子霊跡』御朱印開始!!

2021年10月01日(金) 〜

久しぶりの投稿です。
忙しい夏をなんとか乗り越える事ができました。

さて、
告知です。

近江聖徳太子霊跡の御朱印が
10月1日(金)から開始されます。

みな様、どうぞよろしくお願いいたします。

観音正寺(滋賀県)

令和3年10月1日から
東近江聖徳太子霊跡のご朱印の授与が始まります。

…そもそも巡礼とは何でしょう?…

西国の観音巡礼は、
『観音さま』をお参りして回るのが目的です。
車で回るようになったのはつい最近で、
『車での巡礼』はまだ100年も経ってはいないでしょう。
つまり、観音さまに会うためにひたすら『歩いた』のが
西国観音巡礼だったはずです。

歩いている間…在るのは自分と観音さまだけ。
ある意味、とても贅沢な時間のようにも思えますね。

さて、東近江の聖徳太子霊跡の巡礼。
観音さまではなくて『聖徳太子』になります。
一つ一つ聖徳太子の霊跡を回りながら、
この地に伝わり残る聖徳太子の伝説の姿を
知ってもらい心のどこかに聖徳太子を宿してもらう。

聖徳太子と『同行二人』の巡礼。
…在るのは自分と聖徳太子だけ…
聖徳太子と一緒に、東近江の『いい所』を回ってもらえたらと思います。

東近江聖徳太子霊跡巡礼、始まります。

お知らせをもっと見る(12件)
御朱印について
御朱印
あり

西国の御朱印、聖徳太子(上宮太子)、奥之院の御朱印があります。

令和4年5月22日の御開帳の時には、
『秘印』の授与が御開帳の期間中だけおこなわれます!!
ただいま製作中です。
お知らせもしていく予定ですのでお楽しみに。

限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
-

巡礼

ご利益

観音正寺について

西国第三十二番札所 観音正寺です

令和4年5月22日から43年ぶりになる『御開帳』が始まります。
同時に聖徳太子1400年御遠忌も始まります!

その他にもいろいろ発信していきますのでお楽しみに。
よろしくお願いします。

■西国三十三カ所第三十二番札所

おすすめの投稿

nomuten
2021年11月14日(日)
456投稿

滋賀県寺巡りの3寺目は2寺目の石馬寺と同じ山塊の繖山(きぬがさやま)に在る繖山 観音正寺です。繖山に市境がありますのでこちらは近江八幡市です。
西国三十三所観音霊場 第32番、天台宗で、本尊は千手観音。
車で行くには、近江八幡市側の表参道ルートと東近江市側の裏参道ルートの2つあり、表参道ルートは駐車エリアが少なく約400段の割と急な石段を上がる必要がありますので、裏参道ルートの方が断然楽に行けますが、現在裏参道ルートは豪雨による崩壊で通行止めです。(両ルートとも駐車料金は不要ですが、林道整備協力金が必要です。一緒の事ですが。)

伝えによれば、605年に聖徳太子がこの地を訪れ、自ら彫った千手観音を祀ったのが始まりとの事である。(湖東地域には聖徳太子の伝承が多数あり、あながち作り話だけではないかもしれない。)
綿々と法灯を受け継いできましたが、1993年失火により本堂を焼失、国の重文指定されていた本尊も焼失した。2004年に本堂を再建、新たにインドから白檀を輸入し本尊も再製した。
焼失前に本尊のお前立観音が2012年に見付かり、現在秘仏となっていますが、来年の2022年に開帳されます。

先に記載しましたが、表参道ルートで駐車場へ向かったところ案の定満車状態。Uターンして少し下がって路肩の少し広い所に駐車。400段上がりました。8分掛かって境内に到着。
仁王の間を抜けて、拝観受付で拝観料を納めます。右側は諸堂が並んでいますが、工事中で柵がしてあり近寄れません。正面突き当たりには再建された本堂です。右側奥けら靴を脱いで本堂に上がります。内陣真ん中に真新しい大きな千手観音が祀られています。(別料金を納めると内陣に入って観音に直に触れることができます。)
下陣で手を合わせてから左側の納経所で御朱印を戴きました。
繖山の南斜面中腹370mに位置するため、南方向の眺望はいいです。
尚、麓に在る紅葉が有名な教林坊は、観音正寺の塔頭の1つでした。(現在は独立)

観音正寺の御朱印

御朱印(軸装納経帳)

観音正寺(滋賀県)

ここから約400段

観音正寺(滋賀県)

鐘楼

観音正寺の像

門はないが仁王像

観音正寺の建物その他

寺務所/書院

観音正寺の手水

手水

観音正寺の建物その他観音正寺の本殿観音正寺(滋賀県)

護摩堂

観音正寺の建物その他観音正寺の本殿

本堂

観音正寺の本殿観音正寺の景色

本堂からの眺望

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惣一郎
2022年05月13日(金)
969投稿

【西国三十三所巡り(15/33)】

観音正寺(かんのんしょうじ)は、滋賀県近江八幡市安土町石寺にある天台宗系単立の寺院。山号は繖山(きぬがささん)。本尊は千手観音菩薩。西国三十三所第32番札所。

寺伝によると、聖徳太子が諸国遍歴の際、殺生で人魚となった漁師の成仏のため、千手観音像を刻み堂宇を建てたのが始まり。はじめ仏法興隆寺、願成就寺と呼ばれ、現在の本堂より100m上に七堂伽藍を構えていた。のちに近江國蒲生郡佐々木荘領主・佐々木氏が観音寺城を築城したため、当寺は南の観音谷に移され、織田信長による落城後の1597年に現在の鐘楼付近に移転、明治に入り現在地に移された。なお、江戸時代末期まで、本堂須弥壇裏に人魚のミイラを安置していたが、当時の酒好き住職が酒屋にミイラを預け、取り戻した時には尾ひれがなくなり、30㎝ほどに縮まったと言われている。

当寺は、JR琵琶湖線・近江八幡駅の東方2kmの観音寺山(標高433m)の南側中腹にある。南側山麓の門前町・石寺から参道があるが、自然石を並べただけの1200段の過酷な階段。山の南西側にある五個荘観光センターから有料道路で境内500m手前まで入ることができるが、そこからでも400段以上の過酷な階段が待っている。きつい山登りの末辿り着く境内は南北に細長く広くはないので、北端に大きな本堂があるがそれ以外には見どころは少なめ。境内からの眺望は素晴らしい。

今回は、西国三十三所の札所であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、自分以外にも多くの参拝者が訪れていた。

観音正寺(滋賀県)

山裾の入口から1200段ある石段を、有料道路を使って残り400段余りの場所までショートカット。ここが中腹の駐車場からの参道入口。

観音正寺(滋賀県)

石段を登っても登っても先が見えず、だんだん不安になってくる。
(参拝時点では石段の段数を知らなかったこともあり...)

観音正寺の建物その他

有料道路の料金所のおじさんが「途中休みながら登った方が良い」といった理由がここら辺でやっと分かる。なるほど。。。
自然石の石段はやっぱりハード。(^_^;)

観音正寺(滋賀県)

400段以上の石段を登り切ったところ(境内南側)。登っている途中はそれなりに辛いので長い時間に感じたが、実測15分弱で到着。
入口は特に山門などはなく地味な印象。

観音正寺の景色

登り切った右手から、南側の景色が見える。東海道新幹線が走っているのが見える。
長い列車だと400mを超える新幹線の一編成全体を見たのは初めてかも。(o^―^o)

観音正寺(滋賀県)

境内南側の東寄りにある<鐘楼>。江戸時代まではこの辺りに本堂があったらしい。

観音正寺(滋賀県)

境内南側の西寄りにある<水神舎>。

観音正寺(滋賀県)

水神舎前から本堂のある北方向を望む。参道は絶賛工事中...(^_^;)

観音正寺(滋賀県)

参道左側の<吽形仁王像>。

観音正寺(滋賀県)

参道右側の<阿形仁王像>。

観音正寺の建物その他

参道を進むと、左側に現れる<拝観受付>。

観音正寺(滋賀県)

参道右側には、ちょっとした池がある。

観音正寺(滋賀県)

池の対岸にある<弁財天>。

観音正寺の像

参道左側にある<聖徳太子像>。

観音正寺(滋賀県)

参道左側にある<地蔵堂>。樽のような形と茅葺屋根がユニーク。

観音正寺の地蔵

参道左側にある<大日如来>と<子授・子育地蔵尊>。

観音正寺(滋賀県)

参道左側にある<大仏>。

観音正寺の景色

参道左側から見た、観音寺山西側の景色。遠くまで見渡し良好。(o^―^o)

観音正寺(滋賀県)

参道左側にある<巨木>。

観音正寺(滋賀県)

巨木の根本には小祠がある。

観音正寺の建物その他

参道右側の<書院>。当寺の最古の建物で江戸時代後期の1796年建立。なお、昨年2021年に書院をはじめ、書院庭門、地蔵堂、護摩堂、札堂、鐘堂、手水舎の7棟が国の登録有形文化財に指定された。

観音正寺(滋賀県)

参道右側の<水屋>。

観音正寺(滋賀県)

参道右側の<札堂>。

観音正寺(滋賀県)

<札堂>内部。

観音正寺の建物その他

参道右側の<護摩堂>。

観音正寺の建物その他

参道右側の<太子堂>。

観音正寺の本殿

参道が少し上がっていき、突き当りにある<本堂>。明治期に彦根城の欅御殿を拝領して本堂としていたが1993年に焼失、2004年に再建。

観音正寺(滋賀県)

<本堂>正面。

観音正寺(滋賀県)

<本堂>を斜めから。

観音正寺(滋賀県)

本堂の右手には、巨岩が積み重なっている。

観音正寺の仏像

巨岩の壁の麓にある<水かけ観音>。

観音正寺(滋賀県)

巨岩の壁の様子。独特な外観。

観音正寺の本殿

<本堂>内部の中央には大きな赤提燈が掛かっている。

観音正寺(滋賀県)

本堂の左手(西側)にある<納経所>。御朱印はこちら。

観音正寺(滋賀県)

本堂から見た境内全景。

観音正寺(滋賀県)

本堂から出て、斜めから見た本堂。

観音正寺(滋賀県)

本堂右側奥にある<おちゃこ(お茶子)稲荷>。当寺の鎮守社。

観音正寺の建物その他

本堂の北側にある、本堂と繋がっている建物。

観音正寺の本殿

最後に、<本堂>全景。大きく堂々とした構え。(^▽^)/

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歴史

近江国は、日本のほぼ中央に位置するが、その近江国でもまた中央、すなわち日本の「臍」ともいうべき要衝に位置するのが、標高432.9メートルの繖山、別名観音寺山であります。西国三十二番札所・観音正寺は、貴人にさしかざす衣蓋のようにふんわりとした美しい山容から名付けられたこの繖山の山中にひっそりと佇んでいる。
寺伝によると、往古、聖徳太子がこの地に来臨された折節、紫雲たなびくこのお山をご覧になって「これぞ霊山なり」とおぼしめし、太子自らが千手観音の像を刻み、堂塔を建立されたのが、当寺の縁起であるという。以来、太子が近江国に創建された十二箇寺中の随一の寺院として、湖東地方に勢威を振るってきた。ところが、応仁・文明の乱に際し、近江国守護職・佐々木六角氏がこの山に居城を築いたため、寺は兵乱に罹ったり、山麓に移されたりするなど苦難の路を辿ることとなった。その後、永禄十一年(1568)、織田信長により六角氏が滅ぼされたため、慶長二年(1597)、再び山上に堂塔が営まれることとなったが、往時をしのぶべくもなかったようである。古来、万事吉祥の縁結びの祈祷道場として老若男女の尊崇を集め、四季を通じての景勝の名刹である。

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観音正寺の基本情報

住所滋賀県近江八幡市安土町石寺2
行き方

1:表参道 石寺楽市より石段(1,200段)約45分
      表参道料金ゲートより山道を表参道山上駐車場 駐車場より石段(440段)
2:裏参道 五個荘料金ゲートより東近江市管理山道にて裏参道山上駐車場 駐車場より山道(約500m)約10分(注)東近江市管理山道の利用可能時間 午前8時より午後4時まで
      観音寺口バス停下車 結神社より境内まで山道(山道は一部石段)約50分

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名称観音正寺
読み方かんのんしょうじ
参拝時間

8:00〜17:00

参拝料

入山料:500円

トイレ釣り鐘堂の横
御朱印あり

西国の御朱印、聖徳太子(上宮太子)、奥之院の御朱印があります。

令和4年5月22日の御開帳の時には、
『秘印』の授与が御開帳の期間中だけおこなわれます!!
ただいま製作中です。
お知らせもしていく予定ですのでお楽しみに。

限定御朱印なし
電話番号0748-46-2549
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.kannon.or.jp/index.html
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詳細情報

ご本尊千手観音菩薩
山号繖山(きぬがさざん)
宗旨・宗派単立
創建時代1400年前
開山・開基聖徳太子
札所など

西国第三十二番札所

ご由緒

近江国は、日本のほぼ中央に位置するが、その近江国でもまた中央、すなわち日本の「臍」ともいうべき要衝に位置するのが、標高432.9メートルの繖山、別名観音寺山であります。西国三十二番札所・観音正寺は、貴人にさしかざす衣蓋のようにふんわりとした美しい山容から名付けられたこの繖山の山中にひっそりと佇んでいる。
寺伝によると、往古、聖徳太子がこの地に来臨された折節、紫雲たなびくこのお山をご覧になって「これぞ霊山なり」とおぼしめし、太子自らが千手観音の像を刻み、堂塔を建立されたのが、当寺の縁起であるという。以来、太子が近江国に創建された十二箇寺中の随一の寺院として、湖東地方に勢威を振るってきた。ところが、応仁・文明の乱に際し、近江国守護職・佐々木六角氏がこの山に居城を築いたため、寺は兵乱に罹ったり、山麓に移されたりするなど苦難の路を辿ることとなった。その後、永禄十一年(1568)、織田信長により六角氏が滅ぼされたため、慶長二年(1597)、再び山上に堂塔が営まれることとなったが、往時をしのぶべくもなかったようである。古来、万事吉祥の縁結びの祈祷道場として老若男女の尊崇を集め、四季を通じての景勝の名刹である。

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