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かんのんしょうじ|単立繖山(きぬがさざん)

観音正寺の御由緒・歴史
公式滋賀県 安土駅

ご本尊千手観音菩薩
創建時代1400年前
開山・開基聖徳太子
ご由緒

近江国は、日本のほぼ中央に位置するが、その近江国でもまた中央、すなわち日本の「臍」ともいうべき要衝に位置するのが、標高432.9メートルの繖山、別名観音寺山であります。西国三十二番札所・観音正寺は、貴人にさしかざす衣蓋のようにふんわりとした美しい山容から名付けられたこの繖山の山中にひっそりと佇んでいる。
寺伝によると、往古、聖徳太子がこの地に来臨された折節、紫雲たなびくこのお山をご覧になって「これぞ霊山なり」とおぼしめし、太子自らが千手観音の像を刻み、堂塔を建立されたのが、当寺の縁起であるという。以来、太子が近江国に創建された十二箇寺中の随一の寺院として、湖東地方に勢威を振るってきた。ところが、応仁・文明の乱に際し、近江国守護職・佐々木六角氏がこの山に居城を築いたため、寺は兵乱に罹ったり、山麓に移されたりするなど苦難の路を辿ることとなった。その後、永禄十一年(1568)、織田信長により六角氏が滅ぼされたため、慶長二年(1597)、再び山上に堂塔が営まれることとなったが、往時をしのぶべくもなかったようである。古来、万事吉祥の縁結びの祈祷道場として老若男女の尊崇を集め、四季を通じての景勝の名刹である。

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