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つゆのてんじんじゃ(おはつてんじん)

露天神社(お初天神)

大阪府 東梅田駅

6:00〜24:00/社務所9:00~18:00(御朱印は17:00まで)

投稿する
06-6311-0895

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印・御朱印帳

御朱印 (4種類)

露天神社(お初天神)でいただける御朱印は4種類です。

露天神社の御朱印

500円

真ん中に「露天神社」と墨書きされ、御神紋と神社印が重ねられています。
右上に「摂津曽根崎」「お初天神」の文字が紫色で押されています。
「曽根崎心中」に登場するお初(お初天神の由来)と徳兵衛の印が押されています。
※2021年現在、右下に「惡疫退散」の印が押されています。

水天宮の御朱印

500円
書き置きのみ

青海波紋が一面に描かれている台紙を使用しています。
右から「九州 久留米藩」の赤色の文字、「旧 大坂蔵屋敷御鎮座」の墨書き、真ん中に「水天宮」の墨書きに重ねて御神紋の椿の印が押されています。
「露天神社境内末社」の墨書きに神社印が重ねられています。
右下に描かれているのは「福犬」という安産祈願のご利益や子どもの守り神です。

玉津稲荷神社の御朱印

500円
書き込みのみ

右から「露天神社」「開運」「稲荷社」「参拝」、日付が墨書きされています。
右下に神社印が押されています。
台紙に境内にある玉津稲荷神社の鳥居が様子が描かれています。

金刀比羅宮の御朱印

500円

右から「高松藩・丸亀藩 旧大坂蔵屋敷御鎮座」「金刀比羅宮」「露天神社境内社」と墨書きされ、真ん中に御神紋が押されています。
台紙には淡い色合いで境内の社が描かれています。

500円

右から「高松藩・丸亀藩」「旧 大坂蔵屋敷御鎮座」御神紋「金刀比羅宮」「露天神社境内社」と墨書きされ、真ん中に「露天神社」の印が押されています。
金色の台紙に境内の社が単色で描かれています。

御朱印帳 (1種類)

露天神社でいただける御朱印帳は1種類です。

表面に「御朱印帳」「お初天神 露天神社」の文字と上空から見た境内が金色で描かれています。
裏面の上部に御神紋、下部にお初と徳兵衛の姿が金色で描かれています。
紺地に小花が散らされている、品のある御朱印帳です。

授与場所・時間

御朱印は社務所でいただけます。
受付時間は9時~17時30分

詳しくは公式サイトをご確認ください。

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御朱印について
御朱印
あり

通常御朱印は4種類いただけます。露天神社は「曽根崎心中」のお初と徳兵衛の絵。金毘羅宮は金色の台紙に墨書き。水天宮は和紙に青海波紋に福犬が描かれ、玉津稲荷社は鳥居の絵が台紙に描かれています。書き置きは裏がシールになっているものもあります。

限定
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
-

おすすめの投稿

四季
2022年06月10日(金)
214投稿

露天神社(つゆのてんじんじゃ)

~菅公聖蹟二十五拝~

主祭神  大己貴大神
     少彦名大神
     天照皇大神
     豊受姫大神
     菅原道真公

社格等  郷社
創建   大宝元年(700年)頃
本殿様式 神明造
別名   お初天神

札所等
菅公聖蹟二十五拝

この地はかつて曾根崎洲という大阪湾に浮ぶ孤島で、そこに「住吉住地曾根神」と祀っていたとされます。創建は西暦700年頃とされ、「難波八十島祭」旧跡の一社とされています。

社名は、「梅雨のころに神社の前の井戸から
水がわき出たため」という他、
菅原道真公が太宰府へ左遷される途中、
こちらで都を偲んで、
露とちる 涙に袖は朽ちにけり 
都のことを思い出づれば
詠まれました。

また、かつては難波神明宮とも呼ばれ、
日本七神明
(東京芝神明宮、京都松原神明宮、京都東山神明宮、大阪難波神明宮、加賀金沢神明宮、信濃安曇神明宮、出羽湯殿山神明宮)
の一つにも挙げられました。

近世では摂津国西成郡曾根崎村
(キタの西半)が氏地となります。
近松門左衛門のいた頃の天神の境内は
560余坪の広さがあり、近松は当時の天神の様子を「影暗く風しんしんたる曽根崎の森」、
「天神の森」と書き記すほど木が鬱蒼と茂っていたそうです。しかし、太平洋戦争による戦火と、その後の社殿復興のための境内の切り売りが行われ、現在の広さとなりました。

お初天神
元禄16年(1703年)に堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」が「天神の森(現在の社の裏手)」にて心中を遂げます。
一月後近松門左衛門はこの二人の悲恋を人形浄瑠璃『曽根崎心中』として発表したところ、当時の大きな話題となりました。
事件の神社は一躍有名となり、そのヒロインである「お初」の名前から以後今日に至るまで通称「お初天神」と呼ばれます。
曽根崎心中の中では「三十三に御身を変へ、色で導き情けで教へ、恋を菩提の橋となし、渡して観世音、誓ひは妙に有難し」
とお妙の名と観音信仰をかけてあります。

境内社
玉津稲荷

祓戸大神・御井神
金刀比羅宮・水天宮
(御祭神:天乃御中主大神、安徳天皇、大物主大神、崇徳天皇、住吉大神、他二柱)
開運稲荷社
(御祭神:玉津大神、天信大神、融通大神、磯島大神)
難波神明社
(御祭神:天照皇大神・豊受姫大神)
大阪三神明の夕日神明社。

表参道 裏参道 東参道 西参道があります。

大阪市北区曽根崎2-5-4

露天神社(お初天神)の像露天神社(お初天神)の建物その他露天神社(お初天神)の歴史露天神社(お初天神)の建物その他露天神社(お初天神)の手水露天神社(お初天神)の鳥居

表参道⛩️

露天神社(お初天神)の建物その他露天神社(お初天神)の建物その他露天神社(お初天神)の歴史露天神社(お初天神)の建物その他

裏参道

露天神社(お初天神)の建物その他露天神社(お初天神)の建物その他露天神社(お初天神)の建物その他露天神社(お初天神)の建物その他露天神社(お初天神)の末社露天神社(お初天神)の末社露天神社(お初天神)の庭園露天神社(お初天神)の建物その他露天神社(お初天神)の建物その他露天神社(お初天神)の建物その他露天神社(お初天神)の本殿露天神社(お初天神)の庭園露天神社(お初天神)の建物その他露天神社(お初天神)の狛犬露天神社(お初天神)の歴史露天神社(お初天神)の狛犬露天神社(お初天神)の鳥居露天神社(お初天神)の本殿露天神社(お初天神)の狛犬露天神社(お初天神)の狛犬露天神社(お初天神)の本殿露天神社(お初天神)の本殿露天神社(お初天神)の建物その他露天神社(お初天神)の狛犬露天神社(お初天神)の狛犬露天神社(お初天神)の本殿露天神社(お初天神)(大阪府)露天神社(お初天神)(大阪府)露天神社(お初天神)の建物その他露天神社(お初天神)の動物露天神社(お初天神)の絵馬露天神社(お初天神)の建物その他露天神社(お初天神)のおみくじ露天神社(お初天神)の絵馬露天神社(お初天神)の授与品その他

御朱印の種類が増えていて
素敵♡で購入しましたが、、、
帰宅したらありません😢
代わりに御札を記録させて頂きました
<(_ _)>

露天神社(お初天神)の授与品その他露天神社(お初天神)の授与品その他露天神社(お初天神)の自然露天神社(お初天神)(大阪府)露天神社(お初天神)(大阪府)露天神社(お初天神)(大阪府)

瓢亭

露天神社(お初天神)の建物その他露天神社(お初天神)の食事

夕霧そば

コロナ禍ではお休みされていて
今回はお邪魔することができました。

露天神社(お初天神)の食事

お初そば

露天神社(お初天神)の建物その他
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garu
2017年07月05日(水)
614投稿

近松門左衛門の「曽根崎心中」で有名な神社で、大阪人には通称「お初天神」という名前の方が通じます。
大阪梅田の繁華街のど真ん中にありますが、大阪人には馴染み深い神社ですので、その横に伸びる商店街は「お初天神通り商店街」と呼ばれています。

元々この社があった地域は曾根崎洲という大阪湾に浮ぶ孤島で、そこに「住吉住地曾根神」と祀っていたと社伝にはあります。
創建は西暦700年頃とされ、「難波八十島祭」(*1)旧跡の一社とされているのだそうです。
天照皇大神を祭神として祀ることから、かつては難波神明社とも呼ばれ、日本七神明(*2)の一つにも挙げられていました。
社名の「露」というのは諸説ありますが、「梅雨のころに神社の前の井戸から水がわき出たため」とか、「菅原道真が太宰府へ左遷される途中、ここで都を偲んで、(露とちる 涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出づれば)との一首を詠んで涙を流したからとも伝えられています。

近松が人形浄瑠璃「曽根崎心中」を書きあげたモデルとなった事件、元禄16年(1703年)に堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」が「天神の森(現在の社の裏手)」にて心中を遂げたというのがあるのですが、そのヒロインである「お初」の名前から以後今日に至るまで「お初天神」と通称されています。
でも、本当のお名前は「お妙さん」とおっしゃるようで、得てして事実とはこういうものなんだなと(苦笑)

1、浪速八十島祭とは、天皇の即位礼の翌年に行なはれた皇位継承の儀式の一つで、平安時代から鎌倉中期まで行なはれた。難波(大阪市北区・福島区のあたり)には大小多数の島々があり、これらの島々を大八洲おほやしまに見立て、島々の霊を招き寄せて大八洲の主としての天皇の資格を祝福するものといはれる。

2、東京芝神明宮、京都松原神明宮、京都東山神明宮、大阪難波神明宮、加賀金沢神明宮、信濃安曇神明宮、出羽湯殿山神明宮の七社の神明神社。 日本を代表する神明神社という括りと思われるが、出所などは不詳。『平成祭礼データ』「露ノ天神社由緒略誌」などに記述がみられる。

露天神社(お初天神)の建物その他

お初天神通り側の入り口1

露天神社(お初天神)の建物その他

お初天神通り側の入り口2

露天神社(お初天神)の本殿

本殿

露天神社(お初天神)の本殿

本殿

露天神社(お初天神)の建物その他

神牛舎

露天神社(お初天神)の建物その他

露ノ井

露天神社(お初天神)の建物その他

『曽根崎心中』の脾

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歴史

社伝によれば、創建は壱千百有余年を遡り、文徳天皇の御代、嘉祥三年(850)に定め給いて「難波八十島祭」の旧蹟にも数えられ、「住吉住地曽称神」を祀ると伝えられている。往地此の地は曽根洲と称する孤島にて、曽根洲、後の曽根崎の地名はこの御神名より起こる。
平安期、渡辺十郎源契来たりて入植せしより、渡辺氏一族を始め移植の民次第に増し、曽根崎村へと発展し、当社も産土神「曽根崎天神」として尊崇された。現在も梅田、曽根崎地区の鎮守として信仰を集めている。
昌泰四年(901)菅原道真公筑紫に左遷配流の途次、当地を過ぎ給う砌、境内の草木露深ければ「露と散る 涙に袖は朽ちにけり 都のことを 想い出づれば」と詠ぜられ、菅公太宰府にて御他界の後、その遺徳を偲び賜り合祀し、御歌より「露ノ天神社」と称する。(社名の由来その他諸説有り)
元禄十六年四月七日堂島新地天満屋抱えの「お初」と内本町醤油屋平野屋の手代「徳兵衛」、当社の「天神の森」にて憤死し、日を置かず時の戯曲作家「近松門左衛門」により「曽根崎心中」として激化された。
以後上演の度、男女身分の差無く多数の民衆感激し、挙って当社に参詣慰霊に訪れたと云う。「お初天神」と通称される所以である。

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露天神社(お初天神)の基本情報

住所大阪府大阪市北区曾根崎2-5-4
行き方

Osaka Metro谷町線「東梅田駅」
Osaka Metro御堂筋線・阪急電鉄・阪神電鉄「梅田駅」
Osaka Metro四ツ橋線「西梅田駅」

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名称露天神社(お初天神)
読み方つゆのてんじんじゃ(おはつてんじん)
通称お初天神
参拝時間

6:00〜24:00/社務所9:00~18:00(御朱印は17:00まで)

参拝にかかる時間

約10分

参拝料

なし

御朱印あり

通常御朱印は4種類いただけます。露天神社は「曽根崎心中」のお初と徳兵衛の絵。金毘羅宮は金色の台紙に墨書き。水天宮は和紙に青海波紋に福犬が描かれ、玉津稲荷社は鳥居の絵が台紙に描かれています。書き置きは裏がシールになっているものもあります。

限定御朱印あり
御朱印帳あり
電話番号06-6311-0895
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.tuyutenjin.com
おみくじあり
お守りあり
絵馬あり
SNS

詳細情報

ご祭神《主》少彦名大神,大己貴大神
《合》天照大神,豊受姫大神
《配》菅原道真
創建時代伝・欽明天皇時代
札所など

菅公聖蹟二十五拝(第11番)

ご由緒

社伝によれば、創建は壱千百有余年を遡り、文徳天皇の御代、嘉祥三年(850)に定め給いて「難波八十島祭」の旧蹟にも数えられ、「住吉住地曽称神」を祀ると伝えられている。往地此の地は曽根洲と称する孤島にて、曽根洲、後の曽根崎の地名はこの御神名より起こる。
平安期、渡辺十郎源契来たりて入植せしより、渡辺氏一族を始め移植の民次第に増し、曽根崎村へと発展し、当社も産土神「曽根崎天神」として尊崇された。現在も梅田、曽根崎地区の鎮守として信仰を集めている。
昌泰四年(901)菅原道真公筑紫に左遷配流の途次、当地を過ぎ給う砌、境内の草木露深ければ「露と散る 涙に袖は朽ちにけり 都のことを 想い出づれば」と詠ぜられ、菅公太宰府にて御他界の後、その遺徳を偲び賜り合祀し、御歌より「露ノ天神社」と称する。(社名の由来その他諸説有り)
元禄十六年四月七日堂島新地天満屋抱えの「お初」と内本町醤油屋平野屋の手代「徳兵衛」、当社の「天神の森」にて憤死し、日を置かず時の戯曲作家「近松門左衛門」により「曽根崎心中」として激化された。
以後上演の度、男女身分の差無く多数の民衆感激し、挙って当社に参詣慰霊に訪れたと云う。「お初天神」と通称される所以である。

体験祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭りアニメなどサブカル札所・七福神巡り伝説

Wikipediaからの引用

概要
露天神社(つゆのてんじんしゃ)は、大阪府大阪市北区曽根崎二丁目にある神社。旧社格は郷社。通称はお初天神。
歴史
歴史[編集] 社伝によれば、この地はかつて曾根崎洲という大阪湾に浮ぶ孤島で、そこに「住吉住地曾根神」と祀っていたとされる。創建は西暦700年頃とされ、「難波八十島祭」旧跡の一社とされている。社名は、「梅雨のころに神社の前の井戸から水がわき出たため」ともいうもののほか、菅原道真が太宰府へ左遷される途中、ここで都を偲んで、 露とちる 涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出づれば との一首を詠んで涙を流したからとも伝えられている。 時代が下ると祭神を天照皇大神として祀っていたことから、かつては難波神明社とも呼ばれ、日本七神明(東京芝神明宮、京都松原神明宮、京都東山神明宮、大阪難波神明宮、加賀金...Wikipediaで続きを読む
引用元情報露天神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%9C%B2%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=89155137

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