ほっけじ|光明宗
法華寺公式奈良県 新大宮駅
8:30~16:30(受付16:00)
秋の特別拝観。ガイドブックなどでよく見る、珍しい光背が蓮の国宝十一面観音像を拝見に。綺麗‼︎ため息が出る。光背が繊細で、蓮の花を背負っているから女性的なのかと思ったらお顔立ちは男性的。こちらもお気に入りリスト入りで。
東大寺を創建した聖武天皇の皇后となった、藤原光明子が女人のための総国分尼寺として、法華寺の名で知られる法華滅罪之寺として創建。
一説に東大寺が女人の参拝を禁じたため、光明皇后が父の藤原不比等の宅を移建し、十一面観音を安置し男子不入の国分尼寺としたという。
都が平安京に遷り平安後期には荒廃したが、平重衡率いる軍勢により大きな被害を受ける。
鎌倉時代には、東大寺俊乗坊重源や叡尊により復興を進める。
叡尊は、寺内に戒壇を設け尼僧に戒律を授け、明治に至るまで唯一の尼僧の戒壇道場となります。
室町時代には、兵火や地震でほとんどの伽藍を失い、興福寺の末寺の西大寺の末寺となっています。
江戸時代から正式に門跡寺院となり現在に続きます。
平成11年に真言律宗から独立し、光明宗となります。
法華寺の鳥居といわれるものは、確認しておりません。
赤門
参拝時は彼岸花が咲いていました。淀君が復興。
横笛堂
「平家物語」などで語られる横笛、尼となった後に住んだとされる。
飛び地境内にあったものを寺内に移築。
喜一稲荷神社
薬師堂
鐘楼
上層に縁や高欄を設けない珍しい形式。
本堂や南門と同時に復興されたものか。
護摩堂
平成16年建立。室町時代に倒壊して以来の復興。
南門
正門、1601年淀君が復興。
万葉歌碑
いにしへの古き堤は年深み池の渚に水草生ひにけり 万葉集巻三・山部赤人
本堂
創建時の講堂位置に、淀君が豊臣家の家老であった片桐且元を奉行に復興。
慈光殿
宝物館。昭和54年建立。
名勝庭園
本堂奥の本坊客殿と庭園は江戸初期に仙洞御所から五されたもの。
参拝時は公開されていませんでした。
会津八一歌碑
ふちはらのおほききさきを うつしみにあひみるごとく あかきくちびる
華楽園
蓮池 コロナ禍の影響か、前回訪問時ほど手入れがされてなくて
から風呂
江戸時代に再建された一種の蒸し風呂。
光明皇后が病人・貧者を入浴させたとの伝承。
から風呂横の井戸
常に清らかな水をたたえたと。
光月亭
梅林で名高い月ヶ瀬村の旧東谷家住宅を、昭和46年に移築。
華楽園内の華供養碑
奈良時代の平城遷都の時に、藤原不比等邸としてこの地に邸宅を構え、不比等没後娘の光明皇后が、皇后宮とし、その後宮寺に改め聖武天皇の国分寺・国分尼寺の詔の発布後、総国分尼寺法華滅罪寺と改められその当時から略して法華寺と呼ばれるようになる。
現在の本堂は、桃山時代後期に淀君と息子の秀頼君の命により、普請奉行の片桐且元の手により建立されたもので、鐘楼堂と南門も同時代の建立である。また、本堂で授与している「お守犬」は、昭和の解体修理の時に地下遺構から発見され、光明皇后から口伝で尼僧に受け継がれている手作りのお守りとして改めて認知されることとなり、現在も法華寺の尼僧の手で一つ一つ作られている。
法華寺境内には、光明皇后が「我千人の垢を流さん」と発願され、その当時お風呂が珍しかった時代に、
「浴室(からふろ)」を建立し、病気の者や貧者を助けんと、浴室に蒸気を満たし、千人の人々を助けた伝説が残る日本最古のお風呂も現存している。(外観のみ観覧できる)
住所 | 奈良県奈良市法華寺町882 |
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行き方 | 近鉄 大和西大寺駅
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名称 | 法華寺 |
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読み方 | ほっけじ |
参拝時間 | 8:30~16:30(受付16:00) |
参拝にかかる時間 | 約60分 |
参拝料 | 一般拝観 大人700円 小中学生350円 華楽園のみ300円 特別拝観の期間は拝観料が異なります。HPをご確認ください。 |
御朱印 | あり 御朱印の種類 本尊十一面観音
「神仏霊場会」 「大和秀麗八十八面観音」 上記通年本堂にて授与 阿弥陀三尊 ご開帳時のみ本堂にて授与
本尊様の御朱印について 1月1日~15日(松の内)
確定日
上記日程の日の御朱印には、お守り犬の印を押印させていただいております。 |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0742-33-2261 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://hokkejimonzeki.or.jp/ |
SNS |
神仏霊場巡拝の道 | |
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大和北部八十八ヶ所 別格 | 御本尊:十一面観音 |
ご本尊 | 国宝 十一面観世音菩薩 |
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宗旨・宗派 | 光明宗 |
創建時代 | 745年 |
開山・開基 | 光明皇后 |
本堂 | 桃山時代に復興され、天平建築の特長を捉え、組み物や彫刻や金具飾りなどは桃山建築の特徴が出ている本堂である。 |
文化財 | 国 宝 十一面観音菩薩年三回特別御開帳(本堂)
国 宝 絹本着色阿弥陀三尊及び童子像三幅年一度公開(慈光殿)
国 宝 維摩居士座像(本堂)通年公開 重要文化財 仏頭 (本堂)通年公開 重要文化財 木造天部形頭部(傳、梵天・帝釈天)(本堂)通年公開
重要文化財 本堂・鐘楼堂・大門 重要有形民俗文化財 法華寺のカラブロ 奈良県指定文化財 客殿・光月亭 名勝 法華寺庭園 4月1日~6月10日公開日 本堂その他仏像 鎌倉時代 文殊菩薩騎士像
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ご由緒 | 奈良時代の平城遷都の時に、藤原不比等邸としてこの地に邸宅を構え、不比等没後娘の光明皇后が、皇后宮とし、その後宮寺に改め聖武天皇の国分寺・国分尼寺の詔の発布後、総国分尼寺法華滅罪寺と改められその当時から略して法華寺と呼ばれるようになる。 現在の本堂は、桃山時代後期に淀君と息子の秀頼君の命により、普請奉行の片桐且元の手により建立されたもので、鐘楼堂と南門も同時代の建立である。また、本堂で授与している「お守犬」は、昭和の解体修理の時に地下遺構から発見され、光明皇后から口伝で尼僧に受け継がれている手作りのお守りとして改めて認知されることとなり、現在も法華寺の尼僧の手で一つ一つ作られている。 法華寺境内には、光明皇后が「我千人の垢を流さん」と発願され、その当時お風呂が珍しかった時代に、
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体験 | 写経・写仏おみくじ御朱印お守り国宝重要文化財花の名所札所・七福神巡り除夜の鐘 |
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