こうふくじ|法相宗大本山
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楽しみ方興福寺のお参りの記録一覧
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興福寺境内と周辺部を分けて周ってみました。
藤原氏の氏寺・一門の繁栄を願うために建立された「私立」の寺院。「国立」の官寺である薬師寺寺や大安寺を凌ぎ、東大寺が創建されるまでは平城京最大のお寺。
藤原不二等の死後は、孫である聖武天皇や光明皇后によって相次いで堂塔を造営、皇室と密接な関係を結ぶことによって庇護を受けることになる。
都が平安京に遷ると、平城京の寺は移転が認められず打撃を受けた寺院もありましたが、隆盛を誇る藤原氏に支えられ、南円堂など新たな堂宇を建立。
1180年平重衡いよってほぼ全てが焼失したが、藤原一門の支援により速やかに復興。
江戸時代の1717年、講堂より出火した大火により中金堂や南円堂などを焼失、中金堂は本格的な復興を見ぬまま明治維新を迎えています。

南大門跡
東大寺の南大門と同じくらいのものがあったと言われています。現在発掘調査ごの礎石のみが整備されています。

般若の芝
興福寺南大門跡の般若ノ芝で5月11日と12日に行われる薪能が、現在全国各地で行われている薪能で最も古い歴史をもちます。日程はご確認を。

興福寺の境外を周って観ました。
慶応四(1868)年、いわゆる神仏分離令が出されると、興福寺一山はいち早く復飾願いを出し、春日社の神司となり僧侶がいなくなり主がいなくなりました。
千体仏は束ねられ薪となり、金泥の経巻が金を取るために焼かれ、天平写経古文書は漆器の包み紙となり、仏像仏具は売り払われ海外へ流失、五重塔が五圓あるいは五十圓で売りに出され、相輪等の金属を取るために焼かれそうになったのを、類焼を心配する近所の反対で中止になったとかは有名な話しですね。

東向商店街
近鉄奈良駅を出ると奈良まちへ向かう東向商店街の入り口に。
興福寺にお尻を向けないように東向きに店の入り口を構え、昔は東向きにしか店が無かったと。現在はアーケード下通りの両側に店舗が並んでいますが。

猿澤池
池には龍が住み、竜宮に通じ、如何なる旱魃にも水は半分以上には減らないとされる。
「澄まず、濁らず、出ず、入らず、蛙わずかに、藻が生えず、魚が七分に水三部」というような説明がありますが。
猿沢池は興福寺の放生池であり神聖な伽藍の一部。
でもなんで❔、猿を池に放り込む❔、まさか。
中国仏教が由来とされているようですが。

奈良県奈良市登大路町にある法相宗の大本山の寺院で、山号はなし。本尊は中金堂の釈迦如来で、南都七大寺の一つ。
京都山科の藤原鎌足私邸に建立された「山階寺」がその前身である。
飛鳥時代を経て、和銅3年(710)平城遷都に伴い、藤原不比等によって現在地に移転。その際に「興福寺」と名付けられ、以降、藤原氏の氏寺として大いに繁栄し、奈良時代初期には四大寺の一つにあげられ、四町四方に170坊あまりの堂舎が立ち並ぶ寺院として隆盛を極めた。
境内には光明皇后創建とされる五重塔(室町時代再建・国宝)、北円堂(鎌倉時代再建・国宝)の国宝建築物をはじめ、南円堂(江戸時代再建・重要文化財)、国宝館などがある。また、多くの仏教彫刻の名品を所蔵し、 「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。





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