こうふくじ|法相宗大本山
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方興福寺のお参りの記録一覧
絞り込み

669年藤原鎌足の妻・鏡大王が山階陶原に造営した山階寺が起源と伝わる。
山階寺には鎌足が造営した釈迦三尊像を安置したとされる。
672年飛鳥浄御原宮に遷都され、山階寺も大和国高市郡厩坂に移り厩坂寺と改められる。
710年平城京に遷都されると、厩坂寺は藤原不比等(藤原鎌足の子)により現在地に移され興福寺と称したという。
714年に金堂、721年北円堂(元明天皇、元正天皇の勅命で藤原不比等の慰霊のため)、726年に東金堂(聖武天皇による)、730年に五重塔(光明皇后による)、813年に南円堂(藤原冬嗣により父・藤原内麻呂の供養のため)が建立され主要伽藍が整備された。
藤原氏の氏神である春日社(春日大社)と神仏習合。
隆盛し大和国のほとんどの荘園を領有するほどの力を持っていた。
東金堂は1415年、三重塔は鎌倉時代前期(1185年~1274年)、五重塔は1426年、北円堂は1210年の再建で国宝。
南円堂は1789年、大湯屋は1426年再建で重文指定されている。
中金堂の裏手にある仮講堂は、2018年中金堂が落慶するまでは仮金堂であった。1600年増田長盛により建てられた薬師寺金堂を1974年移築したものである。





【世界遺産】
【西国三十三所第9番(南円堂)】
10年以上願っていた「阿修羅さんと会いたい」の気持ち遂に達成😂
所在地:奈良県奈良市登大路町48
山 号:なし
宗 派:法相宗
寺 格:大本山
本 尊:釈迦如来
建 立:669年(天智天皇8年)
由緒
法相宗の大本山である興福寺。その前身である「山階寺(やましなでら)」は、天智8年(669)に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡女王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊や四天王などの諸仏を安置するために造営したものと伝えられており、この名称は後世においても 興福寺の別称として使われています。そして、壬申の乱(672)の後、飛鳥に都が戻った際に、山階寺も移され、その地名を取って「厩坂寺(うまやさかでら)」と名付けられます。さらに、和銅3年(710)、平城遷都の際、藤原不比等の計画によって移されるとともに、「興福寺」と名付けられました。その後は、天皇や皇后、また藤原氏の手によって次々に堂塔が建てられ整備が進められ、奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられ、特に摂関家・藤原北家との関係が深かったために手厚く保護され、寺勢はますますさかんになります。平安時代には春日社の実権を手中におさめ、大和国を領するほどになり、また、鎌倉幕府・室町幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たりました。文禄4年(1595)の検地では「春日社興福寺」合体の知行として2万1千余石と定められ、徳川政権下においてもその面目は保たれました。その後、明治政府による神仏分離令や社寺領上知令に伴う廃仏毀釈などにより興福寺は苦境に立たされましたが、寺僧や有縁の人々の努力で復興が進展し、新たな興福寺としてその歴史を刻み続けています。(HPより)
もっと読む




最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ


























































