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こうふくじ|法相宗大本山

興福寺
奈良県 近鉄奈良駅

御朱印 (5種類)

興福寺では5種類の御朱印をいただけます。

  • 中金堂の御朱印
  • 東金堂の御朱印
  • 東金堂の御詠歌の御朱印
  • 令興福力の御朱印
  • 千手観音の御朱印

中金堂の御朱印

中金堂の御朱印
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御朱印について御朱印
あり

通常いただける御朱印は5種類です。御詠歌は柔らかい筆跡で、お堂の名前や「興福寺」の寺名のもとになっ…

限定
あり
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

有料🅿あり

巡礼

その他の巡礼の情報

西國三十三第9番札所(南円堂)
西国四十九薬師第4番札所(東金堂)
霊験七観音巡拝所(一言観音堂)

興福寺について

世界的に有名な阿修羅立像があるお寺


南円堂は西国三十三カ所第九番札所


東金堂は西国四十九薬師霊場第4番札所

おすすめの投稿

くるくるきよせん
くるくるきよせん
2026年06月17日(水)3573投稿

興福寺の各お堂を巡りましたが 堂宇はまだ他にあります。
あわせて投稿させていただきます。
まずは五重塔。
こちらはホトカミに登録されているのですが 工事中のため参拝できませんでした。
確か中金堂の工事が終わった頃に五重塔の工事が始まったように思います。
2023年だったかなぁ その時にも参拝した記憶があります。
令和14年に工事が終了するそうです。

続いて不動堂に行きました。
ネット情報。
不動堂は寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式で 寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り 2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。
前に藤棚があり みなさんここで涼んでいる感じです。
参拝しましょうよ。

次は南円堂西にある三重塔。
少し小さいですが 立派な三重塔です。
ネット情報。
康治2年(1143)に崇徳天皇の中宮の皇嘉門院(こうかもんいん)聖子が建て 治承4年(1180)に焼失し 間もなく再建されたと言われています。
北円堂と共に興福寺で最古の建物。
木割が細く軽やかで優美な線を醸し出し 平安時代の建築様式を伝えます。
初層内部の四天柱をX状に結ぶ板には東に薬師如来 南に釈迦如来 西に阿弥陀如来 北に弥勒如来を各1000体描き さらに四天柱や長押(なげし) 外陣(げじん)の柱や扉 板壁には宝相華文(ほうそうげもん)や楼閣(ろうかく) 仏や菩薩などが集う浄土の風景 貴族風の人物などを描きます。
なお 明治時代の神仏分離令(廃仏毀釈)以降 現在の内陣(東側須弥壇)には かつて興福寺子院であった世尊院の弁才天坐像とその諸尊(十五童子)を遷して安置されています。

最後にご朱印をいただこうと 興福寺の寺務所に行きました。
行列は短くなっておらず 20mほどの行列でした。
最後尾に並びましたら 初めて気づきました。
境内塔頭寺院があったのです。
興善院という塔頭寺院が 寺務所の裏手にあったのです。
あいにく塔頭寺院の境内に入ることはできませんでしたが 行列していなければ気づかなかったと思うと 運が良かったと思います。

氷室神社~国立博物館~興福寺。
このルートだけで3時間以上かかり もう時刻は13時を過ぎていました。
この続きは「ならまち」を散策します。

興福寺(奈良県)

修理工事についてのお知らせ

興福寺(奈良県)

工事スケジュール

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歴史

藤原鎌足夫人の鏡大王が夫の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、天智天皇8年(669年)山背国山階(現京都府京都市山科区)に創建した山階寺(やましなでら)が当寺の起源である。壬申の乱のあった天武天皇元年(672年)、山階寺は藤原京に移り、地名の高市郡厩坂をとって厩坂寺(うまやさかでら)と称した。
和銅3年(710年)の平城遷都に際し、鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し「興福寺」と名付けた。この710年が実質的な興福寺の創建年といえる。中金堂の建築は平城遷都後まもなく開始されたものと見られる。
その後も、天皇や皇后、また藤原家によって堂塔が建てられ整備が進められた。不比等が没した養老4年(720年)には「造興福寺仏殿司」という役所が設けられ、元来、藤原氏の私寺である興福寺の造営は国家の手で進められるようになった。

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興福寺の情報

住所奈良県奈良市登大路町48
行き方

JR 奈良駅 市内循環バス「県庁前」下車すぐ
  近鉄 奈良駅 徒歩5分

興福寺の基本情報

名称興福寺
読み方こうふくじ
参拝時間

9:00~17:00

参拝料

中金堂500円、東金堂500円、国宝館900円、興福寺3カ所共通拝観券(中金堂・東金堂・国宝館)1600円(各堂中高生、小学生、団体、身障者割引あり)

御朱印あり

通常いただける御朱印は5種類です。御詠歌は柔らかい筆跡で、お堂の名前や「興福寺」の寺名のもとになったお経の言葉(令興福力)等が真ん中に力強い筆で書かれています。

限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳あり
電話番号0742-22-7755

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

ホームページhttp://www.kohfukuji.com/
おみくじあり
絵馬あり

巡礼の詳細情報

西国薬師四十九霊場

第4番

御真言:

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

神仏霊場巡拝の道

詳細情報

ご本尊不空羂索観音
宗旨・宗派法相宗大本山
創建時代710年(和銅3年)
開山・開基藤原不比等
本堂前一間吹き放し、三手先斗栱、寄棟造
文化財

国宝
東金堂
五重塔
北円堂(附:旧内陣小壁8枚、銘札1枚)
三重塔
木造文殊菩薩坐像(東金堂)
木造維摩居士坐像 定慶作(東金堂)
木造四天王立像(東金堂) ※右列に広目天像の画像あり。
木造十二神将立像(東金堂) ※右列に伐折羅像と波夷羅像の画像あり。
木造弥勒仏坐像 運慶作(北円堂) ※右列に画像あり。
木造無著立像・木造世親立像 運慶作(北円堂)
木心乾漆四天王立像(北円堂)
木造不空羂索観音坐像 康慶作(南円堂) ※右列に画像あり。
木造四天王立像(南円堂) - 2018年度国宝指定[43][44]
木造四天王立像(中金堂) ※右列に画像あり。
乾漆八部衆立像 8躯(国宝館・旧西金堂)
乾漆十大弟子立像 6躯(国宝館・旧西金堂)
木造金剛力士立像 2躯(国宝館・旧西金堂)
木造天燈鬼立像・木造龍燈鬼立像(国宝館・旧西金堂)
木造法相六祖坐像 6躯 康慶作(南円堂)
板彫十二神将像(国宝館・旧東金堂)
銅造仏頭(国宝館・旧東金堂)
木造千手観音立像(附:像内納入品)(国宝館・旧食堂)
金銅燈篭
梵鐘
華原磬
日本霊異記上巻 延喜四年書写奥書
興福寺金堂鎮壇具(銀製鍍金唐花文鋺2口、銀製鍍金唐草文脚杯残欠1口、銀鋺7口、水晶念珠玉5箇、水晶玉類6箇)

重要文化財
大湯屋
南円堂
木造薬王菩薩・薬上菩薩立像(中金堂)
銅造薬師如来および両脇侍像(東金堂)
木造阿弥陀如来坐像(菩提院大御堂)
木造阿弥陀如来坐像(仮講堂)
木造釈迦如来坐像(国宝館)
木造薬師如来坐像・像内納入品(薬師経)(仮講堂)
木造仏頭(附:仏手2箇)(国宝館・旧西金堂本尊)
木造飛天・化仏 11躯(飛天8、化仏3)(国宝館・旧西金堂本尊光背付属)
木造帝釈天立像(仮講堂)- 寺では「梵天像」と称している。
木造梵天・帝釈天立像(国宝館)
木造地蔵菩薩立像(仮講堂)
厨子入木造弥勒菩薩半跏像(附:像内納入品)(国宝館) - 大乗院持仏堂旧所在
厨子入木造吉祥天倚像(中金堂)
銀造仏手(国宝館)
木造大黒天立像(中金堂)
木造広目天立像(奈良国立博物館寄託) - 四天王のうちの1体。残り3体は滋賀・MIHO MUSEUM(持国天)および奈良国立博物館(増長天・多聞天)所蔵。
木造聖観音立像(弥勒菩薩立像)快円作(本坊持仏堂)
木造釈迦如来立像(1929年盗難)
絹本著色慈恩大師像
絹本著色慈恩大師像
絹本著色淄州(ししゅう)大師画像
絹本著色二天王画像
護法善神扉絵 12面
細字(さいじ)法華経 天平十六年書写奥書
経典釈文断簡
成唯識論巻十 天平宝字五年小治田弟成書写奥書
紺紙金字成唯識論 10巻[注 6][注 7]
紺紙金泥金剛般若波羅蜜経 奥に康永二年二条良基の願文あり
宋版一切経 4,354帖
講周易疏論家義記断簡
大慈恩寺三蔵法師伝 10巻
僧綱補任 6巻
明本抄 巻第一、第三、第六、第十紙背文書(内1通栄西自筆)附:建暦二年十二月廿三日貞慶付嘱状等(6通)1巻
延暦寺智行高僧伝
左府抄 3巻 寛喜三年実信鈔写奥書
聖徳太子伝暦 4帖 徳治二年書写奥書
篳篥譜(ひちりきふ)
興福寺別当次第 6巻
造興福寺記
春日版版木 2,778枚(附 版本瑜伽師地論(春日版)91巻、版本大般若経(春日版)610巻)

ご由緒

藤原鎌足夫人の鏡大王が夫の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、天智天皇8年(669年)山背国山階(現京都府京都市山科区)に創建した山階寺(やましなでら)が当寺の起源である。壬申の乱のあった天武天皇元年(672年)、山階寺は藤原京に移り、地名の高市郡厩坂をとって厩坂寺(うまやさかでら)と称した。
和銅3年(710年)の平城遷都に際し、鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し「興福寺」と名付けた。この710年が実質的な興福寺の創建年といえる。中金堂の建築は平城遷都後まもなく開始されたものと見られる。
その後も、天皇や皇后、また藤原家によって堂塔が建てられ整備が進められた。不比等が没した養老4年(720年)には「造興福寺仏殿司」という役所が設けられ、元来、藤原氏の私寺である興福寺の造営は国家の手で進められるようになった。

体験
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