こうふくじ|法相宗大本山
興福寺奈良県 近鉄奈良駅
9:00~17:00
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楽しみ方興福寺では5種類の御朱印をいただけます。


興福寺の各お堂を巡りましたが 堂宇はまだ他にあります。
あわせて投稿させていただきます。
まずは五重塔。
こちらはホトカミに登録されているのですが 工事中のため参拝できませんでした。
確か中金堂の工事が終わった頃に五重塔の工事が始まったように思います。
2023年だったかなぁ その時にも参拝した記憶があります。
令和14年に工事が終了するそうです。
続いて不動堂に行きました。
ネット情報。
不動堂は寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式で 寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り 2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。
前に藤棚があり みなさんここで涼んでいる感じです。
参拝しましょうよ。
次は南円堂西にある三重塔。
少し小さいですが 立派な三重塔です。
ネット情報。
康治2年(1143)に崇徳天皇の中宮の皇嘉門院(こうかもんいん)聖子が建て 治承4年(1180)に焼失し 間もなく再建されたと言われています。
北円堂と共に興福寺で最古の建物。
木割が細く軽やかで優美な線を醸し出し 平安時代の建築様式を伝えます。
初層内部の四天柱をX状に結ぶ板には東に薬師如来 南に釈迦如来 西に阿弥陀如来 北に弥勒如来を各1000体描き さらに四天柱や長押(なげし) 外陣(げじん)の柱や扉 板壁には宝相華文(ほうそうげもん)や楼閣(ろうかく) 仏や菩薩などが集う浄土の風景 貴族風の人物などを描きます。
なお 明治時代の神仏分離令(廃仏毀釈)以降 現在の内陣(東側須弥壇)には かつて興福寺子院であった世尊院の弁才天坐像とその諸尊(十五童子)を遷して安置されています。
最後にご朱印をいただこうと 興福寺の寺務所に行きました。
行列は短くなっておらず 20mほどの行列でした。
最後尾に並びましたら 初めて気づきました。
境内塔頭寺院があったのです。
興善院という塔頭寺院が 寺務所の裏手にあったのです。
あいにく塔頭寺院の境内に入ることはできませんでしたが 行列していなければ気づかなかったと思うと 運が良かったと思います。
氷室神社~国立博物館~興福寺。
このルートだけで3時間以上かかり もう時刻は13時を過ぎていました。
この続きは「ならまち」を散策します。
藤原鎌足夫人の鏡大王が夫の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、天智天皇8年(669年)山背国山階(現京都府京都市山科区)に創建した山階寺(やましなでら)が当寺の起源である。壬申の乱のあった天武天皇元年(672年)、山階寺は藤原京に移り、地名の高市郡厩坂をとって厩坂寺(うまやさかでら)と称した。
和銅3年(710年)の平城遷都に際し、鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し「興福寺」と名付けた。この710年が実質的な興福寺の創建年といえる。中金堂の建築は平城遷都後まもなく開始されたものと見られる。
その後も、天皇や皇后、また藤原家によって堂塔が建てられ整備が進められた。不比等が没した養老4年(720年)には「造興福寺仏殿司」という役所が設けられ、元来、藤原氏の私寺である興福寺の造営は国家の手で進められるようになった。
| 住所 | 奈良県奈良市登大路町48 |
|---|---|
| 行き方 | JR 奈良駅 市内循環バス「県庁前」下車すぐ
|
| 名称 | 興福寺 |
|---|---|
| 読み方 | こうふくじ |
| 参拝時間 | 9:00~17:00 |
| 参拝料 | 中金堂500円、東金堂500円、国宝館900円、興福寺3カ所共通拝観券(中金堂・東金堂・国宝館)1600円(各堂中高生、小学生、団体、身障者割引あり) |
| 御朱印 | あり 通常いただける御朱印は5種類です。御詠歌は柔らかい筆跡で、お堂の名前や「興福寺」の寺名のもとになったお経の言葉(令興福力)等が真ん中に力強い筆で書かれています。 |
| 限定御朱印 | あり |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| 電話番号 | 0742-22-7755 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://www.kohfukuji.com/ |
| おみくじ | あり |
| 絵馬 | あり |
| ご本尊 | 不空羂索観音 |
|---|---|
| 宗旨・宗派 | 法相宗大本山 |
| 創建時代 | 710年(和銅3年) |
| 開山・開基 | 藤原不比等 |
| 本堂 | 前一間吹き放し、三手先斗栱、寄棟造 |
| 文化財 | 国宝
重要文化財
|
| ご由緒 | 藤原鎌足夫人の鏡大王が夫の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、天智天皇8年(669年)山背国山階(現京都府京都市山科区)に創建した山階寺(やましなでら)が当寺の起源である。壬申の乱のあった天武天皇元年(672年)、山階寺は藤原京に移り、地名の高市郡厩坂をとって厩坂寺(うまやさかでら)と称した。
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| 体験 |
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