やくしじ|法相宗
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薬師寺の御朱印・御朱印帳
通常いただける御朱印は6種類。蓮を使った朱印が重ねられている御朱印が多いのが特徴です。限定御朱印は吉祥天や玄奨三蔵の姿が朱印で押されています。 | |||
限定 | |||
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御朱印帳にお書き入れ | |||
素材・技法 | |||
御朱印帳 | |||
参拝時間 | 開門:午前8時半 閉門:午後5時(拝観受付 16時半まで) | ||
電話番号 | 0742-33-6001 |
御朱印・御朱印帳の詳細情報
御朱印
薬師寺では、通常6種類の御朱印がいただけます。
季節や行事に合わせた限定御朱印が頒布されています。
薬師如来の御朱印
真ん中に薬師如来と書かれ、右上に西国薬師第一番の印、上部に梵字(薬師如来)の印、下部に南都薬師寺の印が押されています。
中央に薬師如来、右に日光菩薩、左に月光菩薩を配した薬師三尊は、薬師寺創建当初より金堂にお祀られている薬師寺の御本尊で、いずれも国宝です。
弥勒佛の御朱印
真ん中に弥勒佛と書かれ、右上に兜率天宮の印、真ん中に梵字(法苑林菩薩 弥勒菩薩)の印、下部に薬師寺大講堂の印が押されています。
兜率天とは天上界の一つで、釈迦入滅後の56億7千万年後の救済に向けて弥勒菩薩が内院で修行を重ねているとされます。
南無佛の御朱印
真ん中に南無佛と書かれ、右上に国宝 三国伝来の印、上部に仏足石の印、下部に南都薬師寺の印が押されています。
薬師寺の大講堂に祀られている仏足石は753年に造られたもので、現存する中では日本最古です。
聖観世音の御朱印
真ん中に聖観世音と書かれ、右上に大和北和八十八ヶ所第四拾九番の印、真ん中に梵字(観音菩薩)の印と薬師寺東院堂(やくしじとういんどう) の印が押されています。
薬師寺東院堂には、本尊である国宝・聖観世音菩薩像が安置され、その四方を鎌倉時代の四天王像が守護しています。
無量光の御朱印
真ん中に無量光と書かれ、上部に食堂(じきどう)の天井意匠を模した印、真ん中に梵字の印、下部に薬師寺食堂の印が押されています。
食堂内天井の雲の模様は、文化功労者である伊藤豊雄氏のデザインによるものです。
限定御朱印
薬師如来 西国四十九薬師霊場開創三十周年記念御朱印
真ん中に薬師如来と書かれ、右上に西国薬師第一番の印、左上に西国四十九薬師霊場開創三十周年 薬師寺の印、上部に梵字(薬師如来)の印、下部に南都薬師寺の印が押されています。
西国四十九薬師霊場開創三十周年の記念印は、2019年10月1日~2021年12月31日の間、西国薬師四十九霊場全てのお寺でいただけます。
吉祥天像限定御朱印
右に吉祥招福と書かれ、真ん中に薬師寺吉祥天像(やくしじきちじょうてんぞう)の印、左下に薬師寺の文字が入っています。
薬師寺吉祥天像は、奈良時代の吉祥天の画像で、1951年に国宝指定されました。
この御朱印は、毎年1月1日~1月15日と秋の大宝蔵殿の特別公開時にのみいただけます。
不東限定御朱印
右上に不東と書かれ、真ん中に三蔵法師玄奘の印、左下に薬師寺 玄奘三蔵院の文字が入っています。
玄奘三蔵は真の仏法を求めて、いかなる困難に直面してもインドに着くまでは一歩も東に帰るまいという不東の決意で、インドに旅立ちました。
この御朱印は、玄奘三蔵院の特別公開時にのみいただけます。
御朱印帳
飛天の御朱印帳
紺色の地に、表面は飛天がデザインされ、左上に御朱印帳の文字が入っています。
薬師寺の国宝・東塔の上部を飾る水煙(すいえん)と呼ばれる、雷や火災から塔を守るという祈りを込めた装飾物には、24人の飛天(仏教で諸仏の周囲を飛行遊泳し礼賛する天人)が透かし彫りされています。
授与場所・時間
御朱印・御朱印帳ともに、基本は大講堂にある納経所でお受けできます。
特別公開時では、玄奘三蔵伽藍・食堂・東塔・本坊でもお受けできます。
御朱印の受付時間は8時30分~16時30分。
詳しくは公式サイトをご確認ください。
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私が、「そうだ!奈良に行こう!」と思ったきっかけは、もちろん、真言豊山派総本山で朝の勤行を体験したいこともあったが、たまたまNHKで観た薬師寺の解体修理の番組に感動したからであった。
NHKの番組の内容であるが。
矢沢永吉の大ファンであった大工見習が奈良で棟梁に出逢い、「薬師寺を建立した時の大工の気持ちになれ」と言われ、そこから自分の物語が始まるのである。
私は、工作だの手仕事だのは苦手だ。何せ、中学生時代にミシンで手を怪我するくらい不器用、今でも針で裾上げなど血が出る。
だから、大工さんの気持ちはわからない。
けれども、本来、薬師寺を建立しようとした天武天皇の気持ちは理解できる。当時は医療が発達していなかったので、薬師如来に切に懇願したいという思いがあったのだと思うのだ。
『日本書紀』天武天皇9年(680年)11月12日条には、天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願し、百僧を得度(出家)させたとある。薬師寺東塔の屋上にある相輪支柱に刻まれた「東塔檫銘」(とうとうさつめい、「さつ」は木偏に「察」)にも同趣旨の記述がある。しかし、天武天皇は寺の完成を見ずに朱鳥元年(686年)没し、伽藍整備は持統天皇、文武天皇の代に引き継がれた。
「東塔檫銘」には、「清原宮に天の下を統治した天皇(天武)の即位八年、庚辰の歳、中宮(後の持統天皇)の病気のため、この伽藍を創り始めたが、完成しないうちに崩御したので、その意志を継いで、太上天皇(持統)が完成したものである」旨が記されている。ここでいう「天皇即位八年、庚辰之歳」は、『書紀』の「天武天皇9年」と同じ年を指している。すなわち、『書紀』は天智天皇の没した翌年(壬申年、西暦672年にあたる)を天武天皇元年とするが、天武が正式に即位したのはその翌年(西暦673年にあたる)であり、「天皇即位八年」とは即位の年から数えて8年目という意味である。
NHKの放送を観た当時の私は、鼠径部の痛みに悩まされていた。病院に行き、10月25日に大腸内視鏡検査の予約をしたばかりであった。
だから、その検査の前には是非、薬師寺に行きたい!そう願っていたのだ。
奈良公園、奈良駅から少し離れていたのが良いかもしれない。思ったほど観光客もおらず、特に外国人観光客に悩まされることなく、静かに参拝出来た。近鉄の駅が目の前で、特急に乗ってしまえば京都駅まで楽に行けるのであるが、この場所は静かすぎる。
聖地であり、静地だ。
もちろん、薬師如来に出逢うことが目的であった。なんと穏やかなのだろう。
女性スタッフが書いてくださった御朱印であるが、ここ数年間、色々な神社仏閣巡りをした中で、一番感動する文字であった。
受付スタッフに伺うと、ここの御朱印担当は皆、字が上手なのだという。
それだけ慣れているのであろう。
秩父札所巡りでも感じたが、手馴れている人は速いし、上手なのだ。
何しろ、秩父の場合は、あと5分後にバスがー、次は2時間半後ーー!みたいなこともあるので、都内や横浜辺りは遅いなーー、と思ってしまう。
紫式部の紫の実が、こちらへどうぞ!と招いてくれるようであった。
式部の実 時越え招く 薬師寺よ
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