とうしょうだいじ|律宗
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方唐招提寺のお参りの記録一覧(3ページ目)

奈良市にある南都六宗のひとつ、律宗の総本山の寺院。唐の僧・鑑真が晩年に過ごした場所で、建造物だけでも国宝は、金堂、講堂、鼓楼、経蔵、宝蔵と多くを有しています。
あり、この日は世界遺産巡りで参拝しました。

金堂(国宝):奈良時代に建立

左:金堂(国宝)
中央:講堂(国宝)
右:礼堂(重要文化財)


京都、奈良ツアーの2日目。
教科書に出てくるお寺ということで、鑑真と共に有名。
新宝蔵の中を見ることが出来ました。
南大門の扁額(本物)も見れました。

金堂

南大門

南大門の扁額(レプリカ)
孝謙天皇の御筆と伝えられ、本物は新宝蔵に保管されている

マップ

世界文化遺産 記念碑

金堂

金堂の鴟尾(しび、火除け)

鑑真和上御廟入口

鑑真和上御廟付近の林

鑑真和上御廟 橋

灯籠

鑑真和上御廟

北原白秋 歌碑

開山堂(中には鑑真和上の御身代わり像)

講堂

鐘楼

売店 御朱印所

宝蔵

経蔵

松尾芭蕉 句碑

弁天社

鑑真大和上一ニ五〇年御諱記念朱印帳
唐招提寺宝物 紙裁文 紋様

御朱印帳 説明

盧舎那仏の御朱印

盧舎那仏御朱印の説明

千手観音の御朱印

千手観音の御朱印の説明

鑑真大和上御朱印

鑑真大和上御朱印の説明

パンフレット(表)

パンフレット(裏)

旅行前の予習マインドマップ

世界遺産・律宗総本山・唐招提寺に参詣。
鑑真和上は日本に来るのに5回失敗し、6度目の航海で成功、しかし目が見えなくなっていたという歴史の教科書に載っている話の有名なお寺。
鑑真和上のお身代わり像は栃木県立美術館に貸し出し中だった。金堂にはご本尊盧舎那仏坐像と薬師如来立像と千手観音立像がある。
御朱印は御本尊「盧舎那仏」は書き込んでいただきました、鑑真和上御影は書置きのものをいただきました。

唐招提寺〜金堂の屋根に鳥が

唐招提寺〜金堂

唐招提寺〜鑑真和上御廟

唐招提寺御朱印〜盧舎那仏

唐招提寺御朱印〜鑑真和上御影

唐招提寺〜世界遺産の碑

唐招提寺〜鑑真和上御廟への道

唐招提寺〜南大門

唐招提寺〜鑑真和上御廟入口

唐招提寺〜講堂

松尾芭蕉句碑〜若葉しておん目のしずくぬぐはばや

北原白秋句碑〜水楢の柔き嫩葉はみ眼にして花よりもなほや白う匂はむ

律宗の総本山。開山は鑑真和上。
井上靖の小説「天平の甍」で有名。鑑真が渡日したのは753年、翌年東大寺に入り聖武天皇・孝謙天皇・沙弥ら440余人に戒律を授ける。
鑑真は76歳で入滅するが、伽藍の造営と律宗の発展に尽力したのは和上に従って来日した如宝のよう。
都が平安京に遷ると一時衰え戒律制度も廃れ、平安末期には興福寺の末寺なったと云わる。
復興に尽力したのは、鎌倉中期の中興の祖といわれる覚盛。
5月19日の命日に行われる「団扇撒き」行事は有名。
伽藍は戦国時代に地震により大被害を受けるも、徳川時代に将軍綱吉や桂昌院らの寄進で改修が行われる。
その後も罹災と再建・改修を繰り返しながら現在の姿に。
二回に分けて、初回は南大門から戒壇方面を

南大門
昭和35年創建当時の場所に天平様式で復元。
孝謙天皇直筆と伝える額の模作を掲げる。

南大門の扁額
寺伝では講堂若しくは中門に掲げられていたもの。
東大寺西大門のものとともに、今に残る奈良時代の扁額、周囲に飾りがついていたと想われる。

金堂
奈良時代・国宝。正面を壁のない吹き曝し、金堂では唯一の奈良時代の遺構。
1200余の歳月の間に、平安・鎌倉・江戸・明治と4回の修理・補強が行われる。
平成の大修理により全面解体・大修理を受ける。
中央に廬舎那仏坐像、左に薬師如来立像、右の千手観音立像は最古最大。

金堂の鴟尾
平成の大修理により古来のものは新宝蔵館へ。

金堂の柱
円柱の中ほどがわずかに膨らんでいる、エンタシス。

鼓楼(舎利殿)
和上請来の仏舎利を奉安していることから舎利殿とも呼ばれる。もとは経蔵。
団扇撒き行事はここで行われる。
覚盛上人が座禅を組んでいる時に蚊が飛んできて刺した。弟子が殺そうとした時「やめなさい、蚊に血を与えているこれも菩薩行、叩くのは不殺生戒に背く」と。
覚盛上人葬儀のおりに、法華寺の尼僧が団扇を供えたことから始まると伝。

講堂
平城宮の東朝集殿を移築した建物。
現在唯一の奈良時代の宮殿建築、天平時代の講堂は他に法隆寺の伝法堂が現存。
唐招提寺に移されることがなければ、平城宮の建物はこの世から消えていたことに。

鐘楼
創建時の建造物ではないが、鐘楼は平安時代初期のもの。

礼堂から東室を
もとの僧房を1283年改築、南北に長い建物で従来は僧侶の起居した僧坊。

礼堂と東室の間にある馬道

食堂跡
雑木林、礎石や土壇は確認できず。

会津八一歌碑
おほてらの まろきはしらの つきかげの うちにふみつつ ものをこそおもへ

松瀬青々句碑

戒壇
戒壇に登り「三師七証」のもとで、戒律を保つことを誓う授戒儀式を経て、正式な僧侶と認められる。
創建時に築かれた戒壇は中世に廃絶、現在の戒壇は1284年再興。
基壇上の宝塔は昭和53年に築かれたもの。
五代将軍綱吉の時代に桂昌院の寄進によって、きらびやかな戒壇堂が建立されるも、幕末1848年焼失。

薬草園
金堂の大修理の際に仮設建築物が建設されたため一時閉園後の開園。
昔懐かしい薬草の香り。
園内や周辺に蓮の花を多くみられます。
蓮は泥水の中からも清浄な花を咲かせる姿が、仏の智慧や慈悲を象徴、
仏教と深いつながりが。

西室跡

唐招提寺の投稿二回目、主に東側部分を周ってみました。
残念ながら塔跡については確認することは出来ませんでした。

醍醐井
かって修行僧の生活用水で、鑑真和上も飲んだという伝えの井戸水。

醍醐井戸脇の礎石
柱座を持つ礎石が4個。いずれのものであったのだろうか。

醍醐井前の石碑

開山堂
拝観時には、御身代わり鑑真像は出張中でした。

御影堂の屋根をかすかに望みます。
もとは興福寺一乗院の宸殿。
明治維新後に奈良県庁や裁判所庁舎として利用、昭和39年に移築。
鑑真の命日の6月6日の前後三日間公開。
今年は平成27年からの大修理を終へ特別公開。

北原白秋歌碑

鑑真和上御廟へ続く砂利道
左右の苔が美しいです。

鑑真和上御廟

経蔵
日本古来の高床式校倉、新田部親王邸から寺になった時に、米倉を改造したものとされています。
東大寺正倉院より古いと考えられています。

宝蔵
改造は無く、寺創建時の建立と考えられています。

新宝蔵へ向かう道
そう海池

弁天社

南大門横塀の瓦
唐招提寺の文字、寺務所の建築に伴って設置されたものか。

水鏡天神社
鑑真来日の際、舎利瓶が海に落ちた、懸命に祈ると金色の亀が背に載せて現れた。
鑑真が合掌すると亀はたちまち老翁となり、建てる寺の東南の隅に白い石と竜王が現れて、舎利と道場を守護するとと告げる。
鑑真が寺を建立すると、東南の隅に白石が現れたので池を掘り龍神の住処とし、鎮守の神として崇めると伝わる。
明治の神仏分離により独立するが、現在の管理は唐招提寺によって行われている。
唐招提寺側よりの通路は閉鎖されているため、秋篠川方面よりの入口が有ります。

東塔跡の森と寺務所用の駐車場
東塔の創建は810年五層の塔とも。
1802年まで東塔は創建時のまま存在すると伝えもあるが、倒壊・再建・焼失したとの記録もあり。
残念ながら心礎は破壊され姿を消したと想われる。
明治維新の上地令で官没され旧氏族に払い下げられる。
礎石は全部掘り出され売却され残らない。
心礎の一部は東京目白の椿山荘に送られ、手水鉢に転用
プール残存時は水飲み加工されるが、現在は破壊消滅したと想われる。
塔跡は明治まで礎石を残すも現在は見えず。

西塔跡と想われる場所を近鉄電車越しに
西塔の存在は明確でなく、建立されなかったとも。
民有地でもあり調査は困難か。

西方院
唐招提寺の奥の院とも呼ばれる寺院。
個人の居宅でもあり見学には事前連絡必要。

尼ヶ辻
鑑真がこの場所を選んだのは土が決めたと。
寺を建立する土地を探した時、唐招提寺辺りの土を舐めると故郷と似た甘い味がした。
この土地は「甘土」と呼ばれ、現在の地名「尼ヶ辻」と変わったと。

奈良県寺巡りの2寺目は、奈良市に在る唐招提寺です。2ヶ月半前の6月6日に訪れたばかりですが、8月23日と24日の2日間が地蔵盆で地蔵菩薩(重文)が開帳されるため、また訪れた次第です。(単なるもの好き)
一般的な盆休みも過ぎた平日、参拝客は疎ら。この日が僅か年2日の地蔵菩薩の開帳日と知って来たのは恐らく私一人。この地蔵菩薩と金堂、講堂の国宝仏群をゆっくり眺めても誰の邪魔にならず、静かに拝観出来たのは良かったです。
納経所・売店で御朱印帳を購入して、御朱印を頂きました。(前回と違うタイプは書置きのみだったのは残念。)
前回と同様に駐車場横のお店の前に置いてある仏像フィギュアのガチャを何度も回してしまいました。

御朱印(このタイプは書置きのみ)

南大門


金堂


礼堂

講堂

鐘楼

鼓楼

萩の花


地蔵堂への道


中興堂

地蔵堂(横から)

地蔵菩薩立像(重文)
(ネットから転載、ネット上に少ない)

鑑真和尚御廟への門



御廟

手前∶経蔵、奥∶宝蔵

金堂の梁の隅鬼?邪鬼?

奈良の寺院巡りの2寺目は、奈良市内に在る唐招提寺です。
律宗の総本山で、本尊は盧舎那仏(国宝)。
私自身、何十年振りの参拝です。
6月5日~7日は国宝·鑑真和上坐像の開帳があります(6月6日は鑑真の命日)。よって、先の秋篠寺の開帳とセットで参拝を考えていました。
が、鑑真和上坐像拝観が事前予約制になっているとは知らず、安置されている御影堂の近くにも入れませんでした。(仕方ないですね。)
参考までに、入山料は1000円、新宝蔵は200円、御影堂の鑑真和上坐像は500円です。御朱印をお願いすると300円ですのでフルセットで2000円ですね。(高いのか安いのか?)
唐招提寺は皆さんよくご存知なのでグダグダした説明は不要ですね。国宝だらけの大寺院。
国宝の金堂に9躯の国宝仏、更に2019年に国宝に指定された仏像6躯のうち2躯が講堂に、残りの4躯が新宝蔵に安置されていますのでそれらの拝観に。まあどれも凄いの一言。鑑真和上坐像は、昨年京都国博で観たからよしとします。因みに、開山堂内に鑑真和上坐像のレプリカがあります。本物ですと言われたら信じてしまうほど精巧です。
帰り際、駐車場横の売店を覗こうかなと思ったら、入口横にある仏像フィギュアのガチャ(カプセルトイ)が目に入ってしまい、ついつい手が伸びてしまいました。(1回300円で1000円以上遣ってしまった。)

御朱印

南大門(拝観受付)


金堂(国宝)

本尊·盧舎那仏坐像(国宝)(ネットから転載)

薬師如来立像(国宝)

千手観音立像(国宝)


金堂から見た南大門

礼堂(重文)

礼堂の奥に東室(重文)

鼓楼(国宝)

講堂(国宝)

鐘楼

開山堂

宝蔵(国宝)と経蔵(国宝)

新宝蔵




鑑真和上御廟への門


御廟

中興堂の門

訶梨帝母社

醍醐井戸

戒壇の門

戒壇

駐車場売店にあった仏像ガチャ

カプセルトイ

法隆寺を満喫した勢いで 「帰り道で有名な寺なかったか?」と自問自答していた時に浮かんだのが唐招提寺でした。
駐車場に車を停めたところ なぜか僧侶が通用門のような所に大勢いるのです。
何かあったのか?と思いながら門をくぐると。。。
どこテレビか分かりませんでしたが テレビクルーがいるのです。
受付の方に「今ならまだ間に合います。」と言われ 写真もほとんど撮らずにお参りさせていただきました。
学芸員らしき方に「勉強不足なのですが 何の式典ですか?」と尋ねたところ
「鑑真和上像がお戻りになられた記念式典です。」
勉強不足って結局サプライズになるのでした。
本物は写真撮影禁止ですので 書物を購入しました。



この先でビッグサプライズに驚く



こちらの鑑真和上像はレプリカだそうで ダブルで参拝できました



👣👭👣
娘が早く帰って来る日に
帰宅後ダッシュで💨💨💨
「唐招提寺」
金堂には千手観音様もいらっしゃって✨
とても間近で見れるので
迫力満点でステキでした〰️✨
ここは落ち着くわ〰️✨
開山御廟へ向かう道とか最高✨
私の御朱印集めは平成15年から。
唐招提寺で記念御朱印帳買ってからです✨
ってか、記念やったんや💨と、社務所のおば様に言われて、今頃 気付く🤣
そんな貴重な御朱印帳やったとは〰️✨
で、平成15年って何年前?😂
この時も2月に来てた〰️!
これで、やっと1冊終わりました✨
この間、子育てあったりして、1冊終わるの長かったな…シミジミ。
📸iPhone12Pro










最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ



























































































































15
0