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はやまじんじゃ

早馬神社
公式宮城県 気仙沼駅

開門時間:6:00~17:00
授与所・御朱印:9:00~16:30

御朱印・御朱印帳

通常御朱印

500円


通常御朱印 - 直書き・書き置き
 右上には梶原氏の家紋「丸に並び矢」と、伊達家の家紋「九曜紋」が押されております。左下の左馬(ひだりうま)は福を招く守り駒で、御朱印をお受けになった方の幸せ、「万事うまくいく」ことが願われております。参拝のおしるしとしてどうぞお受けください。
(1月・例祭日は、書き置きのみの授与となりますこと御了承ください)

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氏子以外の参拝
氏子以外の参拝
あり
歓迎
御朱印について御朱印
あり

右には梶原氏の家紋「丸に並び矢」と伊達家の家紋「九曜紋」が、左には左馬(ひだりうま)が配されていま…

限定
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御朱印帳にお書き入れ
あり

■お書き入れ  ・通常御朱印 (正月期間1月1日から1月31日までと、例祭日は書き置きのみのお渡し…

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御朱印帳
あり

普通サイズ(11×16)

パーキング
駐車場
あり

あり 40台(無料)

早馬神社について

鎌倉武将 梶原景時公ゆかりの早馬神社。
令和8年(2026年)は午年(うま年)。全国でも数少ない馬の名が入っている早馬神社(はやまじんじゃ)は12年に1度のご縁年の年、「早馬神社午歳御縁年」を迎えます。
古来より、馬は神聖な存在としても崇められ、神社の伝承には白馬が早馬山を駆け登るとともに、疫病が消え去り、吉兆を示した記述も見られ、「何事もうまくいく」御神徳があるとして信仰を集めています。
午年御縁年にあたり午年の1年間、一番人気のお守り「馬九行久守(うまくいく守)」の午年御縁年限定や、午年御縁年限定御朱印、うまくいく絵、馬みくじなどを授与致します。
12年に一度の午年(馬年)は馬の神社、早馬神社へ。

おすすめの投稿

ホークアイキャメル
ホークアイキャメル
2025年05月21日(水) 23時17分59秒
283投稿

早馬神社(はやまじんじゃ)へ参拝に上がりました👏宮城県気仙沼市唐桑町宿地区にある神社です。建保5年(1217年)、鎌倉幕府御家人・梶原景時の兄である梶原景実によって創建されました。

【由緒】
梶原景実が源頼朝の命により、夫人である北条政子の安産祈願を執り行い、無事に男子(二代将軍 源頼家)を出産したという史実から、安産・子育てに御利益があるとして広く信仰されています。
宮城県気仙沼市唐桑町宿浦に里宮・拝殿が、唐桑町宿の早馬山山頂に奥宮・社殿が鎮座しています。

【御祭神】
倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)

◯ NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」
早馬神社の創建に関わる梶原景実(専光房良暹)は、源頼朝の忠臣として知られる鎌倉幕府の有力御家人、梶原景時(かじわら かげとき)の兄にあたります。
NHK大河ドラマで描かれたように、源頼朝の死後、二代将軍源頼家を支えるために集められた13人の合議制のメンバーの中に、梶原景時も名を連ねていました。景時は頼朝の厚い信頼を得ていましたが、その剛直な性格から他の御家人との対立を深め、やがて失脚し滅ぼされることになります。
早馬神社の由緒にある通り、梶原景実は、頼朝の命を受け、北条政子の安産祈願を執り行い、頼家が無事に誕生したことから、安産祈願の神社として信仰を集めることになりました。この経緯は、鎌倉幕府草創期の重要な出来事と深く結びついており、早馬神社は「鎌倉殿」とそれに連なる「13人」の時代に、その歴史的ルーツを持つことになります。
弟の景時が幕府内で権力闘争に巻き込まれていく一方で、兄の景実はこの地で早馬神社を創建し、代々宮司を務めることとなります(現在の宮司様は33代)これにより、早馬神社は鎌倉幕府黎明期の歴史を今に伝える貴重な存在となっています。

◯東日本大震災の影響と復興
2011年3月11日に発生した東日本大震災では、海抜12メートルの高台に位置する早馬神社にも約15メートルの大津波が襲来しました。これにより、拝殿、社務所、宮司宅が約2.5メートル浸水し、全ての道具が破壊されました。幸いにも流失は免れ、屋根、柱、外壁が残ったため、1年をかけて修復が行われました。気仙沼市唐桑町の宿浦地区の沿岸部では、早馬神社のみが倒壊を免れました。
震災後、全国からの支援により復興が進められています。2012年9月には、震災からの早期復興を願い、全国の篤志者の奉賛により境内に「東日本大震災復興祈願碑」が建立されました。この碑の上部には「大津波浸水高さここまで」と刻まれ、津波の高さと恐ろしさを語り継ぎ、同様の犠牲者を二度と出さないことを願っています。
現在、早馬神社は、震災により命を落とされた方々を悼み、残された人々の早期復興を祈る「震災復興祈願祭」を執り行っています。また、浸水はしたものの唯一倒壊を免れた神社の神職が「語り部」として当時の状況や教訓を伝えています。

早馬神社は、その歴史と由緒あるご利益から、地元の方々はもちろん、県内外からも多くの参拝者が訪れる神社です。震災を乗り越え、地域の復興の象徴としても重要な役割を担っています。機会があれば是非、皆様も参拝に上がっていただけたら嬉しいです☺️

早馬神社のその他建物
早馬神社の鳥居
早馬神社のその他建物
早馬神社の鳥居
早馬神社の手水舎
早馬神社のその他建物
早馬神社の本殿・本堂
早馬神社の本殿・本堂
早馬神社の本殿・本堂
早馬神社の本殿・本堂
早馬神社の御朱印

御朱印

早馬神社の食事

気仙沼市は港町です🐟
海鮮丼をいただきました(美味しい〜)😋

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ご祈祷

<安産祈願>

安産祈願は子宝に恵まれたことを感謝し、神さまに無事な出産と赤ちゃんの健康をお祈りする人生儀礼です。 胎児の成長・出産は人知の及ばない神秘的なものです。母子ともに健康で穏やかな出産でありますよう御神前で祈願致します。 早馬神社を創建した梶原景実(鎌倉武将 梶原景時の兄、『吾妻鏡』では専光房良暹)が、鎌倉幕府初代将軍 源頼朝公の直々の命によって頼朝公夫人 北条政子の安産祈願を執り行う中、政子は無事安産にて男子(二代将軍源頼家公)を出産しました。 鎌倉幕府編纂の歴史書『吾妻鏡』にも記されており、早馬神社初代が北条政子の安産祈願を執り行い、安産であった史実より、早馬神社は古くより安産・子育てに御利益ありといわれております。 

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授与品

馬九行久守(うまくいく守)

馬九行久守(うまくいく守)

800円
3色(金、黒、紅白)

早馬神社一番人気のお守り。表と裏に合計九頭の馬が描かれています。
古来より九頭の馬は、万事馬九行久(ばんじうまくいく)と縁起が良く、九つの開運招福にご利益がございます。

午年御縁年限定 馬九行久守(うまくいく守)

午年御縁年限定 馬九行久守(うまくいく守)

800円
白色

12年に一度の午年御縁年にしか手にすることのできない、清らかな白色の馬九行久守(うまくいく守)

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境内・文化財

早馬神社

御祭神 倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)。宮城県気仙沼市唐桑町宿浦75 宿浦港鎮座。
「森は海の恋人」で有名な舞根、宿浦のリアスの入江に鎮座。

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例祭・神事

  早馬神社夏詣(なつもうで)  7月1日~8月31日

早馬神社夏詣は、半年の無事を感謝し、罪穢れを祓い清め、これから半年の更なる平穏無事を願う夏の参詣で、夏詣期間中、境内には涼やかな厄除風鈴の音色が響き渡ります。

☆一の鳥居脇、参道に厄除風鈴棚を設置

☆手水舎に花手水(はなてみず)を設置

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歴史


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名称

早馬神社

読み方

はやまじんじゃ

通称

早馬さん

参拝時間

開門時間:6:00~17:00
授与所・御朱印:9:00~16:30

参拝にかかる時間

20分

参拝料

なし

トイレあり 2ケ所
御朱印あり

右には梶原氏の家紋「丸に並び矢」と伊達家の家紋「九曜紋」が、左には左馬(ひだりうま)が配されています。

限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり

■お書き入れ
 ・通常御朱印
(正月期間1月1日から1月31日までと、例祭日は書き置きのみのお渡しとなりますこと、ご了承ください)

■書き置きのみ
 ・季節限定御朱印 
 ・梶原景時公武将印

御朱印の郵送対応なし
御朱印帳あり
電話番号0226-32-2321
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスhayama@jinja.jp
ホームページhttps://hayama.jinja.jp
おみくじ

あり

お守り

あり

絵馬

あり

SNS

詳細情報

ご祭神《主》倉稲魂命
創建時代

1217年

創始者

梶原景実(専光房良暹)

ご由緒

建保5年(1217年)、鎌倉若宮(鶴岡八幡宮)の臨時別当であった梶原景実《かじわらかげざね…鎌倉武将 梶原景時公の兄》は、源頼朝公の死亡、梶原一族の没落、又、和田氏、畠山氏が滅んで行くのを見て、世を憂い鎌倉を離れ、蝦夷千島を目指して下り、その途中である藤原高衡ゆかりの本吉荘、気仙沼市唐桑町石浜にたどりつきました。            
 家の脇に社を建て、源頼朝公《鎌倉幕府初代将軍》、梶原景時公《頼朝公の一の郎党(家来)・鎌倉幕府十三人の合議制の一人》、梶原景季公《かげすえ…景時公の子》の御影を安置し、一族の冥福を祈り梶原神社を建立しました。             
 2年後、一族の梶原景茂 《かげもち…梶原景時公の3男》の子である大和守景永(やまとのかみ けいえい)は、景実の所在を尋ねこの地に至り、景実の猶子(ゆうし)となりました。景永は神職となり、景実と共に早馬山頂に早馬神社(奥宮)を建立しました。以来、連綿と梶原氏直系子孫が宮司を務めております。
 石浜の里宮・居宅は慶長16年(1611年)の慶長三陸地震の大津波により流失し、明戸へ移った後、約350年前に現拝殿が鎮座する宿浦へ遷座しました。
 中世には本山派修験として『良厳院』(りょうごいん)の院号を授かり、仙台藩時代には伊達家の祈祷師として仕え、九曜紋を授かりました。

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