みょうおういん|真言宗御室派|飯盛山 <飯盛山寛喜寺明王院>
明王院神奈川県 神武寺駅
9:00~16:00
御朱印 | |||
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限定 | |||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | |||
駐車場 | なし |
光触寺を後に徒歩にて向い鎌倉市十二所の明王院を参拝しました。
明王院も他の参拝が居なかったので鎌倉33観音(8番)・鎌倉13仏(1番)・鎌倉24地蔵尊(番外)3つの御朱印を頂きました。
鎌倉33観音(8番)を頂いた事で鎌倉33観音霊場巡りは結願しました。
明王院について(お寺の案内板より)
鎌倉幕府の四代将軍藤原頼経が、将軍の祈願寺として建立しました。
幕府の鬼門の方角にあたるため、鬼門除け祈願寺として本尊の五大明王がお堂にそれぞれ祀られていたことから、古くから五大堂と呼ばれていました。
五大明王とは、不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王で鎌倉市内で祀られているのは明王院だけです。
【宗派】真言宗泉涌寺派
【創建】寛喜3年(1231年)
【本尊】五大明王
【開山】定豪
【開基】藤原頼経
【山号】飯盛山
【院号】明王院
【寺号】寛喜寺
【正式】飯盛山 寛喜寺 明王院
【別称】五大堂
「明王院の札所」
・鎌倉33観音(8番)
・鎌倉13仏(1番)
・鎌倉24地蔵尊(番外)
※境内は写真撮影禁止のためあまり写真がありません。
明王院の案内図
明王院の寺号標
(境内の撮影禁止)
鎌倉33観音(8番)の御朱印
鎌倉13仏(1番)の御朱印
鎌倉24地蔵尊(番外)の御朱印
鎌倉33観音 御朱印一覧表①
鎌倉33観音 御朱印一覧表②
21.12.11。JR横須賀線/江ノ電「鎌倉駅」東口よりバスで「泉水橋」下車、徒歩4分。鎌倉市十ニ所にある真言宗泉涌寺派の寺院。
《鎌倉十三佛霊場第一番札所》
《鎌倉三十三観音霊場第八番札所》
山号 飯盛山
寺号 寛喜寺
創建 嘉禎元年(1235年)
開基 藤原頼経
本尊 不動明王
鎌倉幕府の将軍の発願によって建立された、鎌倉市内に現存する唯一の寺院です。幕府の鬼門の方角に当たる十ニ所に鬼門除けの祈願所として、五大明王をおまつりしています。
五大明王とは、中心の不動明王、その周りを囲む大威徳明王、軍荼利明王(ぐんだり〜)、降三世明王(ごうざんぜ〜)、金剛夜叉明王からなる五体の明王様の総称です。(後略)
〜明王院HPより〜
本年3月に「鎌倉十三佛霊場巡り」として参詣。今回は「古都・鎌倉紅葉巡り」第三弾 及び「鎌倉三十三観音霊場巡り」その⑥。週末の快晴日でしたが、市内中心地から離れている地区で人も少なくゆっくりと散策できました。
鎌倉三十三観音霊場第八番札所。
寺号標。
山門。
参道。
本堂遠景。
境内は撮影禁止。
寺務所
直書きの御朱印を拝受しました。
庫裡
何故かバスケのゴールが!
<寺院名を間違えて投稿したための再投稿>
明王院(みょうおういん)は、神奈川県鎌倉市十二所にある真言宗御室派の寺院。山号は飯盛山。寺号は寛喜寺。本尊は五大明王。「五大堂」とも称される。鎌倉三十三観音8番札所。札所本尊は十一面観世音菩薩。
創建は1235年、開基は鎌倉第4代将軍・藤原頼経、開山は鶴岡八幡宮別当の定豪(弁ノ僧正)。鎌倉の鬼門除けの祈願寺として建立、不動明王、降三世、大威徳、軍茶利、金剛夜叉の五明王を奉安する壮大な伽藍を擁していたが、鎌倉幕府とともに衰退。江戸初期の災禍で不動明王以外すべて焼失。現在は、小さなお堂に本尊の<五明王>、新しい観音堂に札所本尊の<十一面観世音>が祀られている。
当寺は鶴岡八幡宮の東方、金沢街道(県道204号線)沿いにある。バスだと鎌倉駅から15分ほど、ハイランド入口バス停下車数分。境内は広くはないが草木が多い。
参拝時は週末の午前中で、他に参拝者はいなかった。
※鎌倉強化合宿1日目、杉本寺(1番札所)、光触寺(7番札所)に続く3寺院目。
※明王院は、<鎌倉十三仏巡り>の1番札所になっていて、専用御朱印帳も領布している。思い付きでこちらも始めてしまった。凝りないヤツ...(;´▽`A``
境内までの道路上に立つ<五大堂 明王院>の石碑。
境内入口の門は簡素な木製。まるで神社の鳥居のよう。
境内は綺麗にされているが、植物が激しく生い茂っている感じ。
※ここで<境内 写真撮影禁止>と書かれた札を見付けたので撮影終了...( ;∀;)
藁葺屋根のお堂。その直前まで木々が生えているため、引きで全景を撮ることはできなかった。お堂の左手に寺務所・授与所がある。御朱印はそちら。
< 明王院さま公式Webサイトから引用
http://www.myooin.com/engi.html >
明王院は1235年(嘉禎元年)、
鎌倉幕府四代将軍 藤原頼経により建立されました。
鎌倉幕府の将軍の発願によって建立された、
鎌倉市内に現存する唯一の寺院です。
幕府の鬼門の方角に当たる十二所に鬼門除けの祈願所として、
五大明王をおまつりしています。
五大明王とは、中心の不動明王(ふどうみょうおう)、
その周りを囲む大威徳明王(だいいとくみょうおう)、
軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)、
降三世明王(ごうざんぜみょうおう)、
金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)からなる
五体の明王様の総称です。
明王院は鎌倉幕府の祈願所、
そして将軍家の祈願所として御祈願を修してまいりました。
国難を救いたい、
どうしても叶えたい願い事があるなどの特に強い御祈願をするときには、
五大明王の前で護摩法要を修して御祈願をいたします。
鎌倉幕府最大の危機、
日本が初めて外国の脅威にさらされた元寇のときにも
明王院で異国降伏の法要が修された記録が残っています。
見事に国難を救って下さった御本尊様でもあります。
鎌倉で五大明王をおまつりしているのは明王院だけです。
御不動様の御縁日にあたる毎月28日午後1時より
本堂で執り行われる護摩法要はどなたでもご参加いただけ、
現代に生きる我々の願いも叶えていただきたいと
多くの御参りの方でにぎわいます。
住所 | 神奈川県鎌倉市十二所32 |
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行き方 | JR横須賀線または江ノ島電鉄線「鎌倉駅」より、
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名称 | 明王院 |
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読み方 | みょうおういん |
参拝時間 | 9:00~16:00 |
参拝にかかる時間 | 15分 _ 境内では撮影禁止 |
参拝料 | なし(志納) _ 境内では撮影禁止 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0467-25-0416 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.myooin.com/ |
お守り | あり |
SNS |
鎌倉三十三観音霊場 第8番 | 御本尊:十一面観音 御真言: おん まか きゃろにきゃ そわか 御詠歌: ももあまり 八つと数ふる 患いを ひとたちにする ちえのいちはし |
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鎌倉十三仏霊場 第1番 | 御本尊:不動明王 御真言: なうまくさんまんだばざらだん せんだんまかろ しやだそわたや うんたらた かんまん |
鎌倉二十四ヵ所地蔵めぐり 番外 | 御本尊:五大明王 |
ご本尊 | 木造五大明王像 |
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山号 | 飯盛山 <飯盛山寛喜寺明王院> |
院号 | 明王院 |
宗旨・宗派 | 真言宗御室派 |
創建時代 | 1235年(嘉禎元年) |
開山・開基 | 発願:鎌倉幕府将軍 開基:藤原頼経 開山:阿闍梨定豪 |
文化財 | 木造不動明王坐像 _ 国指定重要文化財 |
ご由緒 | < 明王院さま公式Webサイトから引用
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体験 | 祈祷仏像御朱印お守り重要文化財武将・サムライ札所・七福神巡り伝説 |
概要 | 明王院(みょうおういん)は、神奈川県鎌倉市十二所にある真言宗泉涌寺派の寺院。山号は飯盛山。寺号は寛喜寺。本尊は五大明王で、「五大堂」とも称される。鎌倉観音霊場の8番札所。 |
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歴史 | 歴史[編集] 鎌倉市街地の東方、金沢街道から北に入り、滑川を渡った位置にある。この寺は、寛喜3年(1231年)鎌倉幕府4代将軍藤原(九条)頼経によって発願された寺で[1]、寺号の「寛喜寺」は発願の年号による。嘉禎元年(1235年)に落慶し鶴岡八幡宮別当の定豪が開山に迎えられた。 寺は寛永年間(1624 - 1644年)の火災で焼失し、その後再建されたものである。本尊として不動明王を中心とする五大明王像を安置するが、不動明王像のみが鎌倉時代のもので、他の4体は上記の火災後の造立である。不動明王像は作風から鎌倉時代の仏師・肥後別当定慶の作と推定されている。明王院は藤原頼経開基の寺院であるが、...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「明王院 (鎌倉市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%98%8E%E7%8E%8B%E9%99%A2%20%28%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B8%82%29&oldid=102502304 |
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