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みょうおういん|真言宗御室派飯盛山 <飯盛山寛喜寺明王院>

明王院の御由緒・歴史
神奈川県 神武寺駅

ご本尊木造五大明王像
創建時代1235年(嘉禎元年)
開山・開基発願:鎌倉幕府将軍  開基:藤原頼経  開山:阿闍梨定豪
ご由緒

< 明王院さま公式Webサイトから引用 
http://www.myooin.com/engi.html >
明王院は1235年(嘉禎元年)、
鎌倉幕府四代将軍 藤原頼経により建立されました。
鎌倉幕府の将軍の発願によって建立された、
鎌倉市内に現存する唯一の寺院です。
幕府の鬼門の方角に当たる十二所に鬼門除けの祈願所として、
五大明王をおまつりしています。
五大明王とは、中心の不動明王(ふどうみょうおう)、
その周りを囲む大威徳明王(だいいとくみょうおう)、
軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)、
降三世明王(ごうざんぜみょうおう)、
金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)からなる
五体の明王様の総称です。
明王院は鎌倉幕府の祈願所、
そして将軍家の祈願所として御祈願を修してまいりました。
国難を救いたい、
どうしても叶えたい願い事があるなどの特に強い御祈願をするときには、
五大明王の前で護摩法要を修して御祈願をいたします。
鎌倉幕府最大の危機、
日本が初めて外国の脅威にさらされた元寇のときにも
明王院で異国降伏の法要が修された記録が残っています。
見事に国難を救って下さった御本尊様でもあります。
鎌倉で五大明王をおまつりしているのは明王院だけです。
御不動様の御縁日にあたる毎月28日午後1時より
本堂で執り行われる護摩法要はどなたでもご参加いただけ、
現代に生きる我々の願いも叶えていただきたいと
多くの御参りの方でにぎわいます。

歴史
歴史[編集] 鎌倉市街地の東方、金沢街道から北に入り、滑川を渡った位置にある。この寺は、寛喜3年(1231年)鎌倉幕府4代将軍藤原(九条)頼経によって発願された寺で[1]、寺号の「寛喜寺」は発願の年号による。嘉禎元年(1235年)に落慶し鶴岡八幡宮別当の定豪が開山に迎えられた。 寺は寛永年間(1624 - 1644年)の火災で焼失し、その後再建されたものである。本尊として不動明王を中心とする五大明王像を安置するが、不動明王像のみが鎌倉時代のもので、他の4体は上記の火災後の造立である。不動明王像は作風から鎌倉時代の仏師・肥後別当定慶の作と推定されている。明王院は藤原頼経開基の寺院であるが、...Wikipediaで続きを読む
引用元情報明王院 (鎌倉市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%98%8E%E7%8E%8B%E9%99%A2%20%28%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B8%82%29&oldid=91491271

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