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さんのみやじんじゃ

三宮神社
兵庫県 旧居留地・大丸前駅

10:00〜16:00(祈祷受付時間〜15:00)日曜休

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
なし

なし

巡礼

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八社神社巡り

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2025年04月09日(水) 20時26分47秒
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兵庫県神戸市中央区にある神社です。
神戸の中心地 三宮という地名は この三宮神社由来とされています。
JR三ノ宮駅は もとは現在地より西側 この三宮神社近くにあったと言われています。
主祭神は湍津姫命(たきつひめのみこと)です。
生田神社の八柱の裔神を祀った一宮から八宮までの神社(生田裔神八社)の中の三柱目に当たります。
残念ながら 5分遅れで到着したため ご朱印は拝受できずです。
航海の安全と商工業の繁栄を守る神として 古くから一般の崇敬厚い神社です。
古い記録がなく いつ創設されたかなどについては未詳。
祭神は水の神である湍津姫命。
境内に「河原霊社」や「史蹟 神戸事件発生地碑」があり 神社なのに当時の大砲が置かれています。
これは神戸事件の参考資料として置かれています。
慶応4年(明治元年、1868年)には 三宮神社前において 岡山藩(備前藩)兵と外国兵の衝突が発生しました。
備前藩の隊列が行進中に 外国軍艦の水兵は隊列を横切りました。
これに怒った備前藩隊員が水兵を切りつけたことが国際事件となりました。
結果 備前藩砲兵隊長の滝善三郎が詰め腹を切らされ 6か国の立会人が注視する中で切腹したのです。
明治政府初の外交事件となったこれを 神戸事件あるいは 備前事件と呼びます。
明治維新当時は こういう事件がいくつも起きています。
悲しい歴史ですね。

三宮神社(兵庫県)

南側に鳥居

三宮神社(兵庫県)

石柱

三宮神社(兵庫県)

由緒書

三宮神社(兵庫県)

本殿

三宮神社(兵庫県)

神戸事件発生地の石柱

三宮神社(兵庫県)

神戸事件について

三宮神社(兵庫県)

内容はなかなかえぐい

三宮神社(兵庫県)

明治時代の大砲 事件のものではない

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歴史

国際港都神戸市の中心に鎮座して商工業繁栄・交通安全・知恵授けの御神徳の高い守護神である。
創祀年代不詳なれど江戸時代享保年間の手水鉢、寛延元年の石燈籠が現存しているが、それらは以前尼崎藩領であった為、藩公の信仰の篤い所から奉納されたものと伝聞されている。
明治維新以前は周辺は三・四十戸余りの田園的一寒村でであったが慶應三年十二月七日(1868年1月1日)に神戸の港が開港され居留地が設置されるに至って急速に開発され、それまでうっ蒼とした鎮守の森の景観が著しく失われると共に神域中心に住宅・商家・商館等が立ち並び異常な発展を遂げる事になった。
明治六年十一月に県令で三宮神社の社名が三宮町の地名となる。
神社は昭和二十年に第二次世界大戦の空襲戦禍で灰燼と化し、その後都市復興計画により神域は極めて狭少となり再三の移転を経た上社殿が造営され、更に、境内整備が進められて荘厳な神域になった。
平成七年一月十七日午前五時四十六分の大震災に因り甚大な当損壊の被害に遭ったが、斯くの如く復興・復旧と相成ったのである。
境内には三宮稲荷・安高稲荷大明神の末社があり、古くから霊験あらたかな神として広汎な信仰を得ている。
本殿東側には河原霊社がある。源平生田ノ森合戦の際戦況が膠着状態の時、河原太郎高直・次郎盛直兄弟が先陣を切って打って出て源氏方の勝利の道を拓いた勇者の霊を祀った小社である。

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三宮神社の基本情報

住所

兵庫県神戸市中央区三宮町2-4-4

行き方

市営地下鉄旧居留地・大丸前駅下車

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名称

三宮神社

読み方

さんのみやじんじゃ

参拝時間

10:00〜16:00(祈祷受付時間〜15:00)日曜休

参拝料

なし

トイレなし
御朱印あり
限定御朱印なし
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳なし
電話番号078-331-2873
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://sannomiyajinja.jp
絵馬

あり

SNS

巡礼の詳細情報

生田裔神八社

第3番

詳細情報

ご祭神《主》瑞津姫命
創建時代

不詳

本殿

一間社流造銅板葺

ご由緒

国際港都神戸市の中心に鎮座して商工業繁栄・交通安全・知恵授けの御神徳の高い守護神である。
創祀年代不詳なれど江戸時代享保年間の手水鉢、寛延元年の石燈籠が現存しているが、それらは以前尼崎藩領であった為、藩公の信仰の篤い所から奉納されたものと伝聞されている。
明治維新以前は周辺は三・四十戸余りの田園的一寒村でであったが慶應三年十二月七日(1868年1月1日)に神戸の港が開港され居留地が設置されるに至って急速に開発され、それまでうっ蒼とした鎮守の森の景観が著しく失われると共に神域中心に住宅・商家・商館等が立ち並び異常な発展を遂げる事になった。
明治六年十一月に県令で三宮神社の社名が三宮町の地名となる。
神社は昭和二十年に第二次世界大戦の空襲戦禍で灰燼と化し、その後都市復興計画により神域は極めて狭少となり再三の移転を経た上社殿が造営され、更に、境内整備が進められて荘厳な神域になった。
平成七年一月十七日午前五時四十六分の大震災に因り甚大な当損壊の被害に遭ったが、斯くの如く復興・復旧と相成ったのである。
境内には三宮稲荷・安高稲荷大明神の末社があり、古くから霊験あらたかな神として広汎な信仰を得ている。
本殿東側には河原霊社がある。源平生田ノ森合戦の際戦況が膠着状態の時、河原太郎高直・次郎盛直兄弟が先陣を切って打って出て源氏方の勝利の道を拓いた勇者の霊を祀った小社である。

体験札所・七福神巡り
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