いなばじんじゃ
伊奈波神社岐阜県 田神駅
午前9時〜午後4時
御朱印(1種類)
伊奈波神社では、「伊奈波神社」の御朱印をいただけます。
また、毎月最終金曜日には限定御朱印が頒布されています。
伊奈波神社の御朱印
真ん中に伊奈波神社と書かれ、右上に五七の桐と十六菊の神紋の印、真ん中に伊奈波神社の印が押されています。
伊奈波神社の創建は約1900年前に遡り、美濃をはじめ諸国を開拓した五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)の御偉徳を偲び稲葉山の地に鎮斎したのが始まりとされます。
中世に入り、斉藤道三が稲葉山城を築く際に現在の地に遷座し、以後、岐阜の総鎮守として織田氏、徳川氏から尊崇され、特に水を防ぐ神社として信仰されてきました。
御朱印 | 真ん中に伊奈波神社と書かれ、社印が押された御朱印です。 境内社である黒龍神社の御朱印もあります。 … | ||
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限定 | |||
御朱印帳にお書き入れ | ■お書入れ ・伊奈波神社 ・岐阜東照宮 ・黒龍神社 | ||
御朱印帳 | 普通サイズ(11×16) | ||
駐車場 | あり |
岐阜県・岐阜市を代表する神社です。
美濃国厚見郡の式内社「物部神社」の論社であり、同国三宮です。第12代垂仁天皇さまの第一子である五十瓊敷入彦命さまを祀り、岐阜市最大の神社として岐阜県神社庁には金幣社に指定されています。妃の淳熨斗媛命さまを祀る金神社と御子の市原隼隼雄命さまを祀る橿森神社と合同で岐阜まつりを斎行しています。
《鳥居と社号碑》
ちなみに美濃国三宮には諸説があり、養老町の多岐神社も三宮と言われています。
《社務所》
《二の鳥居》
境内で初宮詣でに来ていた方が写真撮影を行っています。
《手水舎》
水は流れています。洗ひつるここも・・・(略)
《太鼓橋》
《楼門》
斎藤道三が稲葉山の山頂に居城を構える際に現在地へ遷座しました。この稲葉山城は織田信長に奪取された後に破却され、新たに造営されたのが今の岐阜城です。
《黒龍神社》
伊奈波神社が山頂から遷座してくる前から当地に鎮座しています。ちなみに同じく当地には物部神社があったとされ、遷座してきた際に合祀されたと見られています。
《拝殿》
伊奈波神社は『延喜式』神明帳には名前は出てきませんが『美濃国神明帳』には「正一位 伊奈波大神」として神階授与の記録が残されており、美濃国内ではかなりの信仰を持っていたことが窺えます。ご祭神の五十瓊敷入彦命さまは朝敵として当地で討たれたという伝承がされていますが、弟にあたる景行天皇さまは武内宿禰さんに命じて当社を創建したとあり、また天武天皇さまが大海人皇子の時代に壬申の乱の先勝祈願に訪れるなど、朝廷に認識されていながら式内社ではないという特殊な立ち位置にいます。
《絵馬掛け》
《和歌三神社・須佐之男神社・天満宮》
《楓稲荷社》
いつもお世話になっております。
《吉備神社》
岡山の吉備津彦命さまを祀る神社で、針祭が行われています。この針祭は使い終わった針に感謝する祭りであり、淡嶋信仰のある神社でよく見られる針供養の形式に似ています。
《金山神社・愛宕神社》
昨日は、月初。
一日参りに上がらせていただきました。
まず、岐阜市内に在る金神社。
先月九月の御礼と、今月よりのお願い、願掛けに参拝させていただきました。
その後、先日九月二七日に参拝に上がらせていただきました、伊奈波神社へ月初のご挨拶に。
金神社も伊奈波神社共に、月初と言う事もあってでしょうか。。。参拝客が多い事。
同じ御魂を持った方々が沢山みえるのだなと、心温まる一日を迎えられ、素敵な月初めができました事御礼申し上げます。
昨日は、お参りのみになるかと思いきや、何やら限定の御朱印の気配を感じましたので、、、
いざ社務所へ。神無月の神事の限定御朱印でしょうか?勉強不足で申し訳ないのですが、、、素敵な御朱印と出会えてしまいましたので、
二種からなる御朱印☆ありがたく頂戴致しました。
素敵な月初め、御朱印とも出会え、
重ね重ね御礼申し上げます。
誠にありがとう御座います。
主祭神である五十瓊敷入彦命は、第十一代垂仁天皇と日葉酢姫命の長男であり、第十二代景行天皇の兄にあたります。
『古事記』『日本書紀』によると命は父である垂仁天皇から弓矢を賜り武事をおさめ、また勅命により河内、大和、摂津、美濃などの諸国を開拓され、八百もの池溝をひらかれました。これにより、農事が豊かになり、天下が泰平になったと伝えています。更に、物部十千根命の協力の下、石上神宮に神剣千口を納め有事に備える等、農耕や軍事にご活躍されました。
伊奈波神社古縁起では景行天皇の勅命により、「金石」という鏡を破る不思議な神石が命によって奥州から美濃に運ばれたと記されています。この「金石」が一夜にして山となり、そこへ命と王子達がお隠れになりました。この山が「金石」によってできた事から「金山」と呼ばれ、後に「稲葉山」となりました。命が薨去なされた翌年(景行14年)に、命のご遺徳を偲び、忠臣の竹内宿禰が稲葉山近くの丸山の地に命をお祀りになられ、天文8年に斎藤道三が稲葉山を居城とするにあたり、現在の稲葉山の麓の地に奉遷されました。
当地は揖斐・長良・木曽の三川に囲まれ、水の恩恵に浴していますが、一方では洪水等の水害に悩まされてきました。稔り豊かな土地を願う人々にとって、水を制するには金を以って当てるという陰陽五行説より、周囲には水・金に関する地名が多くあり、当社は水防の神としても信仰されてきました。[当神社HPより]
住所 | 岐阜県岐阜市伊奈波通り1丁目1番地 |
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行き方 | JR岐阜駅または名鉄岐阜駅から「岐阜バス」に9〜10分乗り、「伊奈波通り」バス停下車、徒歩5〜6分
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名称 | 伊奈波神社 |
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読み方 | いなばじんじゃ |
通称 | 伊奈波さん |
参拝時間 | 午前9時〜午後4時 |
参拝にかかる時間 | 約20分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり 真ん中に伊奈波神社と書かれ、社印が押された御朱印です。
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限定御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 058-262-5151 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://www.inabasan.com |
絵馬 | あり |
SNS |
ご祭神 | 《主祭神》 五十瓊敷入彦命 《配祭神》 渟熨斗媛命 日葉酢媛命 彦多都彦命 物部十千根命 |
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ご神体 | 不詳 |
創建時代 | 景行天皇十四年 |
創始者 | 武内宿禰命 |
本殿 | 入母屋造 |
ご由緒 | 主祭神である五十瓊敷入彦命は、第十一代垂仁天皇と日葉酢姫命の長男であり、第十二代景行天皇の兄にあたります。
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体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り祭り武将・サムライ札所・七福神巡り伝説 |
概要 | 伊奈波神社(いなばじんじゃ)は、岐阜県岐阜市伊奈波通りにある神社。式内社論社、美濃国三宮で、旧社格は国幣小社。 2015年(平成27年)4月24日、「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜 」の構成文化財として日本遺産に認定される。 |
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歴史 | 歴史[編集] 社伝によれば、景行天皇14年、武内宿禰が稲葉山北西の椿原(現在の岐阜公園内の丸山)に五十瓊敷入彦命を祀ったのに始まるとされる。壬申の乱の際に天武天皇が当社に戦勝を祈願したという。 天文8年(1539年)、斎藤道三が稲葉山に稲葉山城を築城するにあたり、現在地に遷座した。この際、その地にあった物部十千根命を祀る物部神社を合祀し、稲葉山城の鎮守とした。以降も、岐阜の総産土神として篤い崇敬を受けた。明治6年に県社に列格し、昭和14年に国幣小社に昇格した。戦後の昭和27年7月に岐阜県神社庁より県神社庁長参向指定神社(金幣社)の指定を受ける、 『延喜式神名帳』では、美濃国厚見郡の神社と...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | アクセス[編集] 公共交通機関(路線バス) JR岐阜駅または名鉄岐阜駅から岐阜バス「N80高富」行他、N系統の行先番号「N32」~「N86」の岐阜公園・長良橋方面行きおよび「市内ループ左回り」で約10分、『伊奈波通り』下車後徒歩で約7分。 その他 JR岐阜駅より自転車で約20分。JR岐阜駅にてレンタルサイクルの利用が可能。 |
行事 | 祭礼[編集] 2月3日 - 節分祭。9時から20時に節分特別祈祷、18時から節分手筒煙火奉納(約110本の手筒煙火による厄払い)。 4月5日[1] - 同市内の金神社(妃神・淳熨斗媛命を祀る)・橿森神社(子神・市隼雄命を祀る)と共同で行われ、岐阜まつりと呼ばれている。 ^ 「年中行事事典」p56 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版 |
引用元情報 | 「伊奈波神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%BC%8A%E5%A5%88%E6%B3%A2%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=102787519 |
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