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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2023年5月※七寺(長福寺)ではいただけません

ななつでら|真言宗智山派稲園山

七寺(長福寺)

愛知県 大須観音駅

投稿する
052-231-1715

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

あり(3台)

巡礼

東海三十六不動尊霊場
名古屋廿一大師霊場第2番札所
東海三十六不動尊霊場第9番札所

ご利益

七寺(長福寺)について

7代藩主・宗春の時代には藩主の祈願所にもなった寺院。七寺一切経などの戦災を逃れた寺宝を有している。
(名古屋時代MAPより)

当時の寺と城と町の関係をパネル展示しており予約すると拝見することができます。

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ますみん
2021年09月22日(水)
822投稿

(東海三十六不動9番札所)
(名古屋二十一大師2番札所)

大須観音にほど近い位置にあります。
735年、行基によって開かれたのに始まり、。当時の寺名は正覚院と称した。よれば、天平7年(735年)、行基によって尾張国海東郡萱津(現・愛知県あま市)に開かれたのに始まり、当時の寺名は正覚院でした。
 787年、紀是広が77区の仏閣と12の僧坊からなる七堂伽藍を建立したことから、以後、これに因んで七寺と呼ばれるようになったということです。
887年の水害や941年の兵火により荒廃したが、仁1167年に、勝幡城城主・尾張権守大中臣安長が寺を現在の稲沢市七ツ寺町に移し、七堂伽藍と12僧坊を再建しますが、再び寺塔のほとんどは建武の乱の戦火で焼失してしまいます。
 1591年、豊臣秀吉の命で清洲に寺を移し本堂を再建し、復興を行っています。
 1611年、徳川家康の清洲越しの命によって現在地に移転されるに当たって本堂が清洲から移築され、1730年より尾張徳川家の祈願所となりました。
 当時の大須界隈にあっては大須観音や名古屋御坊を凌ぐ寺勢を誇ったともいわれています。
 1945年、名古屋大空襲で本堂、三重塔など経蔵以外の七堂伽藍全てが焼失してしまいます。
 戦後元のようには復興できず、現在ではコンパクトな境内になっています。
空襲時に難を逃れた観音様と菩薩様が重要文化財に指定されています。
境内には、青銅製の大日如来蔵がいらっしゃいますが、満身創痍です。なんとかできれば良いのですが。

七寺(長福寺)の御朱印

御朱印 東海三十六不動9番

七寺(長福寺)の御朱印

御朱印 名古屋二十一大師2番

七寺(長福寺)の御朱印

御朱印 豊川稲荷

七寺(長福寺)の建物その他

七寺の文化財

七寺(長福寺)の建物その他

寺号標

七寺(長福寺)の鳥居

稲荷社

七寺(長福寺)の地蔵

地蔵菩薩像

七寺(長福寺)の仏像

大日如来像

七寺(長福寺)の建物その他

荼枳尼天堂

七寺(長福寺)の本殿

本堂

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歴史

正式名称は稲園山正覚院長福寺といいます。
天平7年(735)僧行基により尾張国中島郡萱津の庄に開創。七寺の呼称は延暦6年(787)紀是広が七堂伽藍を建立したことに由来する。稲沢、清州を経て、慶長16年(1611)家康公の命を受け当地に移転、諸堂整備され尾張徳川藩の祈願所として栄える。
太平洋戦争で諸堂が焼失してしまう。
本尊は阿弥陀如来であったが、戦災で焼失したため、脇侍の観世音菩薩と勢至菩薩を祀る。
(名古屋廿一大師霊場巡拝マップより)

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七寺(長福寺)の基本情報

住所愛知県名古屋市中区大須2-28-5
行き方

地下鉄鶴舞線「大須観音」下車 2番出入口 南へ徒歩7分

アクセスを詳しく見る
名称七寺(長福寺)
読み方ななつでら
通称長福寺
参拝時間

9:00~17:00

参拝にかかる時間

約20分

参拝料

500円

御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号052-231-1715
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
お守りあり
SNS

詳細情報

ご本尊聖観世音菩薩・大勢至菩薩
山号稲園山
院号正覚院
宗旨・宗派真言宗智山派
創建時代天平七年(735)
開山・開基行基
札所など

名古屋廿一大師霊場第2番札所
東海三十六不動尊霊場第9番札所

文化財

観音・勢至菩薩座像(国指定重要文化財)
唐櫃入一切経(国指定重要文化財)

ご由緒

正式名称は稲園山正覚院長福寺といいます。
天平7年(735)僧行基により尾張国中島郡萱津の庄に開創。七寺の呼称は延暦6年(787)紀是広が七堂伽藍を建立したことに由来する。稲沢、清州を経て、慶長16年(1611)家康公の命を受け当地に移転、諸堂整備され尾張徳川藩の祈願所として栄える。
太平洋戦争で諸堂が焼失してしまう。
本尊は阿弥陀如来であったが、戦災で焼失したため、脇侍の観世音菩薩と勢至菩薩を祀る。
(名古屋廿一大師霊場巡拝マップより)

体験祈祷御朱印お守り国宝重要文化財札所・七福神巡り

Wikipediaからの引用

概要
長福寺(ちょうふくじ)は、愛知県名古屋市中区大須にある真言宗智山派の準別格本山の寺院。山号は稲園山(とうえんざん)。本尊は観音菩薩・勢至菩薩。七寺(ななつでら)とも称される。
歴史
歴史[編集] 創建[編集] 寺伝によれば、天平7年(735年)、行基によって尾張国海東郡萱津(現在の愛知県あま市)に開かれたのに始まる。当時の寺名は正覚院と称した。 延暦6年(787年)12月、紀是広が7歳で亡くなった我が子を弔う為に7区の仏閣と12の僧坊からなる七堂伽藍を建立したことから、以後、これに因んで七寺と呼ばれるようになった。七堂伽藍は仁和3年(887年)の水害や天慶4年(941年)の兵火により荒廃したが、仁安2年(1167年)、勝幡城城主・尾張権守大中臣安長が娘の菩提を弔うため、婿であった豊後守親実と共に計らって寺を現在の稲沢市七ツ寺町に移し、七堂伽藍と12僧坊を再建した。 ...Wikipediaで続きを読む
行事
年中行事[編集] 1月1日 - 新春元朝護摩祈祷会 旧2月初午 - 初午大祭大般若祈祷会 春分の日 - 春季彼岸法要 8月19日 - 盂蘭盆施餓鬼会 秋分の日 - 秋季彼岸法要 11月酉の日 - 大須酉の市 毎月18日 - 観世音菩薩御縁日
引用元情報長福寺 (名古屋市中区)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%95%B7%E7%A6%8F%E5%AF%BA%20%28%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%B8%82%E4%B8%AD%E5%8C%BA%29&oldid=93798957

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