みょうれんじ|日蓮宗
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2017年5月15日に初めてお詣りさせて頂きました。
西大須の交差点の南、大須スケートリンクの伏見通を挟んで向かい側のやや斜めに入る小路のすぐに妙蓮寺さんと顕性寺さんはあります。
顕性寺さんも妙蓮寺さんも日蓮宗のお寺です。
名古屋市史社寺編(大正4年版)に拠りますと、
まず顕性寺さんは、大正4年時点まで妙蓮寺さんの末寺でした。
元は、寛文年間(1661~1672年)に、中村甚五右衛門&平山権兵衛&津田助左衛門(いずれも熱田本遠寺檀家)及び1、2人が旗屋のだん峯山南にあった町屋敷を購入し題目唱所を建立し、法住院日聚を住まわせて熱田本遠寺の通所と呼んでいました。後に惠運坊と称し首題寺さんに属しました。
延宝3年(1675年)、愛知郡高針村(現在の千種区猪高町)に替地をもらって移転し妙蓮寺さんの末寺となりました。
延宝6年(1678年)、寺社奉行に許可をもらって名古屋橘町裏町屋に土地を購入して移転しました。
天和3年(1683年)、顕性寺の寺号に改めました。
ついで妙蓮寺さんは、
慶安2年(1649年)、觀照院日淳(本住寺第6世)が不受不施派の宗義を持って池上本門寺と法論しましたが意見が合致せず、本住寺さんを退去してこの地(大正4年時の中區南小川町⇒現在は新栄1丁目)に小庵を建てて住みました。
寛文元年(1661年)、本住寺さん檀徒の山本小八郎以下30人が日淳に帰依し、本住寺さんの道具をたくさん持ってきました。
寛文5年(1665年)、堂宇一部を建てました。また日淳に心を寄せていた普峯院殿(徳川義直娘)から寺地を拝領し日淳庵と号しました。
寛文12年(1672年)、小湊の誕生寺さんの末寺となりました。また、小湊の妙蓮寺さんの歴代住職に加えられ、日淳は妙蓮寺11世となり中興の祖となりました。ちなみに妙蓮寺さんは日蓮上人の父母に関連する日蓮宗内で重要な寺院であったようです。
寛文13年(=延宝元年で1673年)、小湊妙蓮寺さんと日淳庵が一体となりました。
宝永3年(1706年)、享保5年(1720年)に火災のため堂宇を焼失しましたが、その都度、再建されました。
寛永21年(1644年)に後水尾天皇皇女の理昌女王(久厳尼)が入寺して以来、妙蓮寺さんは尼門跡寺院となりました。
以後、古くなった堂宇を再建したりしたようです。
昭和20年(1945年)の空襲により妙蓮寺さんは堂宇と本尊はじめ諸仏像を焼失してしまいました。
その時、顕性寺さんがどのような状態にあったかわかりません。
昭和29年(1954年)、顕性寺さん境内に妙蓮寺さん本堂を建立したそうです。
今、お稲荷さんの脇のお堂とその奥に3階建てのお堂があります。さて、どちらが顕性寺さんで妙蓮寺さんでしょうか。

2017年5月15日撮影
顕性寺・妙蓮寺の入口です。掲示板には顕性寺さんと妙蓮寺さん両寺の名前が記載されています。入ってすぐに稲荷神社が祀られています。

2017年5月15日撮影
本堂と庫裏を外から写させて頂きました。
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妙蓮寺の情報
| 住所 | 愛知県名古屋市中区松原1-16-12 |
|---|---|
| 行き方 |
妙蓮寺の基本情報
| 名称 | 妙蓮寺 |
|---|---|
| 読み方 | みょうれんじ |
| 電話番号 | 052-321-6202 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| 宗旨・宗派 | 日蓮宗 |
|---|
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