こうぜんじ|天台宗|鳳樹山
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今回は大阪府泉南地区の寺院巡り+αです。
(+αは和歌山県立博物館と岸和田城)
和歌山市の和歌山県立博物館で特別展「仏像のプロフィール わかやまうまれ、わかやまそだち」を観てから平井峠を越えて大阪府泉南郡岬町に在る鳳樹山 興善寺を参拝しました。
天台宗で、本尊は大日如来。
この本尊・大日如来坐像は重文で、薬師如来坐像、釈迦如来坐像も重文です。
この3像は修復を行い、この度修復が終わって戻り、三佛像修理完了記念公開(無料)が行われましたので参拝しました。(5/11~5/31)
仏像拝観については、ご住職がいらっしゃれば拝観可能(志納)の様ですが、遠方の方は事前に連絡してから伺うのが宜しいかと思います。(物腰の柔らかいご住職さんでした。)
ーーー後日アップします。

御朱印

三佛像修理完了記念のチラシ


山門

鬼子母神堂


不動堂

聖徳太子堂

常行回向堂

不動堂の裏手の石段を上がると本堂

鐘楼

本堂


本尊・大日如来坐像(重文)
(ネットから転載)

釈迦如来坐像(重文)

薬師如来坐像(重文)

駐車場から蓮池越しの本堂

ーオマケー
和歌山県立博物館

特別展「仏像のプロフィール わかやまうまれ、わかやまそだち」
歴史
興善寺は仁寿二年(852年)第五十五代文徳天皇(在位850~858年)の勅願により、慈覚大師円仁が創建したと伝えられています。
寺伝によれば初めこの地に千数百年を経たる大楠木があり、その幹下の空洞に一人の行者が多年浄行をしていました。
里人は楠入道と称して病の者があれば祈祷して癒し、このことが遠近に伝わり、遂に天皇の耳にまで届きました。
天皇は勅を出され楠入道は参内し祈る事により、たちどころに御回復いたしました。
天皇は金吊を下さるという事でしたが楠入道はこれを辞退し
「わたしの住んでる地にお堂を建て大日如来をおまつりすることが永年の願いでした。どうかこの願いを叶えてください。」
と言い残し忽然と消えてしまいました。
天皇は楠入道の行方がわからない為、慈覚大師に当山開基の勅を出され、寺の地形が唐(現 中国)の長安(現 西安)にある大興善寺に似ていた事から、鳳樹山 興善寺の号を授けました。
創建当時は広大な寺領に七堂伽藍を構えていたと伝えられていますが、元亀天正(1570年頃)の兵火によって焼失、本尊は僧の手によって蓮池に投げ込まれ難を免れました。明暦元年(1655年)中興の祖 専海大僧都が紀州粉河寺より興善寺へ来られ、元禄初期(1690年頃)再建され現在に至ります。
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| 名称 | 興善寺 |
|---|---|
| 読み方 | こうぜんじ |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 072-495-0001 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://houjuzan-kouzenji.jp |
詳細情報
| ご本尊 | 大日如来 |
|---|---|
| 山号 | 鳳樹山 |
| 宗旨・宗派 | 天台宗 |
| 創建時代 | 仁寿二年(852) |
| 開山・開基 | 慈覚大師 |
| 文化財 | 大日如来(胎蔵界)、薬師如来、釈迦如来(国指定重要文化財) |
| ご由緒 | 興善寺は仁寿二年(852年)第五十五代文徳天皇(在位850~858年)の勅願により、慈覚大師円仁が創建したと伝えられています。
天皇は金吊を下さるという事でしたが楠入道はこれを辞退し
創建当時は広大な寺領に七堂伽藍を構えていたと伝えられていますが、元亀天正(1570年頃)の兵火によって焼失、本尊は僧の手によって蓮池に投げ込まれ難を免れました。明暦元年(1655年)中興の祖 専海大僧都が紀州粉河寺より興善寺へ来られ、元禄初期(1690年頃)再建され現在に至ります。 |
| 体験 | 坐禅(座禅)写経・写仏重要文化財 |
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