だいじょうぼう|高野山真言宗|崑崙山寳満寺
大乗坊大阪府 難波(南海)駅
6:00~18:00
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楽しみ方
関西小旅行最終日 法案寺南坊の後に参拝。
大阪花御朱印巡りのチラシでこちらも御朱印が拝受できることを知りました。
日本橋電気街の堺筋とオタロードの中間の通りにあります。周りの喧騒とうってかわり、ひっそりとした小さなお寺。
他の方の投稿を後から読むと、最初に御朱印をいただいたから参拝するのがこちらの作法のようですが、知らずに参拝後に男性の方にお願いしました。
ホトカミや他の投稿でも男性の方の対応に批判もありますが極めて普通の対応でした。

摂津國八十八所第29番。日本橋もずいぶん変わったなぁ・・・と懐かしみながらGoogleMap頼りに到着。境内はこじんまりとした中に詰め込まれている感じ。不動明王、一願龍王、お稲荷さんをお参りしてから本堂に。正面中央に毘沙門天が二体見え、向かって左に大黒天、右に吉祥天とのこと😊善膩師童子も居られるはずなのだが確認できず・・・😥入り口右手にもこれでもかと仏様が並んでおり愛染明王や聖天様(御厨子)などのお姿も確認できました。毘沙門天は秘仏だそうで見れたのは御前立と中立ちの毘沙門天なのだそう。春と秋に御開帳とのことです。ちなみにここは御朱印をいただいてから参拝するスタイルの寺院だそう。御朱印は朱印状と同じく参拝の許可証(納経は別とのこと)であるのでいただいてからお詣りするのが正式なのだそうです。まああくまでこちらではですが、こちらにお詣りの折は先に御朱印をいただきましょう😊
案内看板
山門
寺号標
狛犬阿
吽
一願空鉢大龍王
地蔵様たち
圓點地蔵菩薩
不動明王
稲荷さん。当所鎮守とある
三九郎稲荷、伊呂波稲荷、照葉稲荷、白吉稲荷、伊佐吉稲荷とある・・・そんなに🤣
毘沙門天扁額
もと天王寺牛が崎にあった崑崙山宝満寺の子院で、新坊と称したが、天文(1532年 - 1555年)・天正(1573年 - 1592年)の頃、再三の戦火を罹り、秀言律師が本尊を奉じて各地に流寓し、本坊は廃絶となり、難波の地に大乗坊のみ再建された。
文禄(1592年 -1596年)の頃、宝及律師が船場の豪商灰屋善兵衛の別荘を寺とし、現在地に移転。
万延年間(1860年 - 1861年)には堂島の米問屋二川家の寄進により寺勢大いにあがり、長町の毘沙門堂と親しまれる[1]。
昭和20年(1945年)の空襲で堂宇は全焼。
| 住所 | 大阪府大阪市浪速区日本橋3-6-13 |
|---|---|
| 行き方 | 南海電車 なんば駅 徒歩8分
|
| 名称 | 大乗坊 |
|---|---|
| 読み方 | だいじょうぼう |
| 通称 | 日本橋毘沙門天 |
| 参拝時間 | 6:00~18:00 |
| 参拝にかかる時間 | 約15分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | なし |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 06-6643-4078 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| 絵馬 | あり |
| 大阪七福神 第3番 | 仏さま:毘沙門天 |
|---|---|
| 摂津国八十八箇所 |
| ご本尊 | 《ご本尊》毘沙門天 (重文) 吉祥天 善膩子童子 大黒天 弁財天 不動明王 弘法大師 一願空鉢大龍王 稲荷五社合祀 他多数 |
|---|---|
| 山号 | 崑崙山寳満寺 |
| 宗旨・宗派 | 高野山真言宗 |
| 創建時代 | 1592年 - 1596年(文禄年間) |
| 開山・開基 | 秀言律師 |
| 文化財 | 木造毘沙門天立像(重要文化財)
|
| ご由緒 | もと天王寺牛が崎にあった崑崙山宝満寺の子院で、新坊と称したが、天文(1532年 - 1555年)・天正(1573年 - 1592年)の頃、再三の戦火を罹り、秀言律師が本尊を奉じて各地に流寓し、本坊は廃絶となり、難波の地に大乗坊のみ再建された。
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| ご利益 | 学問の神様・合格祈願金運商売繁盛厄除け |
| 体験 | 御朱印重要文化財札所・七福神巡り |
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