こうみょうじ|浄土宗(浄土宗鎮西派)大本山|天照山
光明寺神奈川県 和田塚駅
【参拝時間】
①開門:午前6時/閉門:午後5時(4月1日より10月14日まで)
②開門:午前7時/閉門:午後4時(10月15日より3月31日まで)
【御朱印・土産物の受付】午前9時より午後4時まで(通年)
こうみょうじ|浄土宗(浄土宗鎮西派)大本山|天照山
【参拝時間】
①開門:午前6時/閉門:午後5時(4月1日より10月14日まで)
②開門:午前7時/閉門:午後4時(10月15日より3月31日まで)
【御朱印・土産物の受付】午前9時より午後4時まで(通年)
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり。10台ほど。総門に向かって左側の塀沿いの道を進み、山門前の境内が駐車場を兼ねています。(夏季7月・8月は有料です。近隣に、民間有料駐車場もあります。) |
1240年鎌倉幕府4代執権・北条経時が良忠のために佐助ガ谷に建てた蓮華寺が前身。
1243年現在地に移り光明寺と改められた。
1698年建築の本堂(改修中)は重文指定されている。
総門
山門
本堂
鐘楼
梵鐘
稲荷大明神
延命地蔵尊
延命地蔵尊
開山堂
大聖閣
大聖閣
書院
24.04.06。鎌倉駅東口より逗子行きバスで10分。「光明寺前」下車、鎌倉市材木座海岸近くにある浄土宗の大本山。
本日の鎌倉花詣その③。鎌倉33観音巡りとして参詣(28/33)。桜も満開で多くの人がカメラ片手に訪れていました。
鎌倉三十三観音霊場第18番札所
札所本尊
総門
寺号標
総門の扁額
「勅願所」
明王4年(1495)に後土御門天皇の勅命により国家鎮護などを祈願する「勅願寺」となった由来からと思われます。
山門
山門手前の右手に
菜の花
桜が満開です。
↓
大殿(本堂)遠景
令和の大改修中
令和12年(2030)完成予定。
高倉健の墓碑
鐘楼
繁栄稲荷大明神
↓
延命地蔵尊
↓
開山堂(仮本堂)
↓
良忠上人
開山堂の右手前に蘇鉄
蘇鉄の裏手に「善導塚」
善導大師像
大正8年(1919)造立。
開山堂の右手に
「記主庭園」
夏は蓮の花で有名です。
大聖閣
阿弥陀如来様が見えます。
大殿前より振り返り
山門方向。
寺務所
こちらで直書きの御朱印を拝受。
おまけ
材木座海岸より由比ヶ浜方向を望む。
23.03.30i 鎌倉「光明寺」 桜が満開の頃 _ 鎌倉市材木座
真は過去のページと ほぼ全て重複しますが、私的な参拝年月日記録。
01-1) 浄土宗大本山「天照山蓮華院光明寺」 _ 鎌倉市材木座
総門を潜ってからの、山門(三門:三解脱門)方向
開基:鎌倉幕府第四大執権 北条経時 _ 墓所(供養塔)も当寺院裏の高台
鎌倉三十三観音18番、鎌倉二十四地蔵22番、東国花の寺百ヶ寺 / 鎌倉2番
HP: https://komyoji-kamakura.or.jp < cf. 浄土宗寺格等級 >
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01-2) 向かって、山門左手前から。
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01-3) 向かって、山門右手前から。
01-4) 向かって、山門右側面方向。 ( 立ち位置背後は、塔頭「蓮乗院」)
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02-1) 山門を潜って、振り返ってからの左方。
やむを得のことでしょうず本堂修復覆屋建造時の重機搬入搬出のために、境内で数カ所の桜は枝打ちされています。
’ 桜切る馬鹿 梅切らぬ馬鹿 ’ とは言われますが、
嘗ては広く枝を伸ばしていたが
既に末期ソメイヨシノ老木の幾本かは2m前後で幹が切られています。
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02-2) 山門を潜って、振り返ってからの左方。
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03-1) 鐘楼周辺
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03-2) 鐘楼周辺
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04) 仮本堂を担う、’ 開山堂 ’ で拝礼 合掌し 山門方向を振り返る。
約十年間の予定で、本堂 ’ 大殿 ’ は修復中。
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05) ’ 記主庭園 ’ 方向
<(修復中の本堂のときと同じく無料で)開山堂に上がり仏像を拝めるし、
テラス状渡り廊下から蓮池庭園を鑑賞できる。>
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06) 左:開山堂方向
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07) ’ 繁栄稲荷大明神 ’
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08) ’ 延命地蔵尊 ’ & ’ 網引き地蔵尊 ’ 周辺
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09-1) 写真08)の裏側。
てっきり通行止めと思っていたが、おっ おおっ! 通行OKになっている!
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09-2) 少し先の方を撮った。 時代により数箇所の説があるが、東海道古道とされる道。
<先を進むと ’ 光明寺裏山の展望場所 ’ = 鎌倉市立第一中学校正門周辺~
~ (姥子台/うばこだい)谷戸の古道狭隘路を下り(自宅前を通り)~
~ (分断され)小学校横の古道を上り ~
~ (「披露山神社」への古道が分断された)TBS披露山庭園住宅敷地内を通り~
~ 1)「披露山公園」駐車場最奥から尾根道古道を下り元・石原邸裏へ抜ける ~ ’ 七曲り ’ を下り ~
~(昭和18年まで開成学園手前まで小坪だった)海岸 逗子市新宿地区 「新宿稲荷社」周辺へ抜ける ~
/ 2) 「披露山神社」周辺分かれ道から元・石原邸前へ抜ける ~
(/ ~ ・・・ ~ ・・・~ 神話 ’ ヤマトタケルノミコト東征 ’ の 横須賀「走水神社」方面へ )>
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10-1) 元 ” 私立材木座幼稚園 ” 跡地方向 <光明寺所有地>
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10-2) 元 ” 私立材木座幼稚園 ” 跡地から ’ 天照山 ’ 方向
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10-3) 写真09)へ至る道( = ’ 三尊語五祖の庭園 ’ 塀の外)から、元幼稚園の崖方向。
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10-4) 写真09)へ至る道( = ’ 三尊語五祖の庭園 ’ 塀の外)から、元幼稚園の崖方向。
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10-5) 写真09)へ至る道( = ’ 三尊語五祖の庭園 ’ 塀の外)から、
元幼稚園の崖方向をズームアップ。 律儀にも、毎年 赤い花が咲く。
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10-6) 元幼稚園跡地から、大改修中の本堂覆屋方向。
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23.03.30i #鎌倉 「 #光明寺 」# 桜 が満開の頃 _ #鎌倉市材木座
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2023-04-05
/ #2023桜 #鎌倉三十三観音 #鎌倉二十四地蔵 #東国花の寺百ヶ寺
諸説有って不明とされていますが説の一例として:
仁治元年(1240年)佐助ヶ谷に開創した蓮華寺を起源とし、
寛元元年(1243年)現在地に移築し光明寺と改称したという説があります。
住所 | 神奈川県鎌倉市材木座6-17-19 |
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行き方 | ・JR横須賀線鎌倉駅東口から、京急バス 7番のりば ’小坪経由 逗子駅行 ’約10分「光明寺バス停」下車で徒歩1分。
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名称 | 光明寺 |
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読み方 | こうみょうじ |
参拝時間 | 【参拝時間】
【御朱印・土産物の受付】午前9時より午後4時まで(通年) |
参拝にかかる時間 | 大殿(本堂)と境内ならば約20分。その他で大殿裏の古道から高台の展望場所 ~ 内藤家墓所前を散策できます。 |
参拝料 | なし。大殿、石庭観覧場所、紀主庭園観覧場所へ上がるのにも無料です。(ただし2020年現在、10年掛かりで大殿修理で開山堂が仮本堂です。) |
トイレ | あり。総門を潜って直ぐの場所 < と、大殿(本堂)の外廊下(石庭観覧場所)から堂の裏側に在ります。ただし大殿は2020年から十年掛かりの修復中です。> |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0467-22-0603 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://komyoji-kamakura.or.jp/ |
SNS |
鎌倉三十三観音霊場 第18番 | 御本尊:如意輪観音 御真言: おん はだま しんたまに じばら うん 御詠歌: 出る日も 入る日もともに 南無阿弥陀 仏の光 うけぬ日ぞなき |
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東国花の寺百ヶ寺 | |
鎌倉二十四ヵ所地蔵めぐり 第22番 | 御本尊:阿弥陀如来 |
ご本尊 | 阿弥陀如来 |
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山号 | 天照山 |
院号 | 蓮華院 |
宗旨・宗派 | 浄土宗(浄土宗鎮西派)大本山 |
創建時代 | 不明 < 諸説有って不明だが説の一例として:仁治元年(1240年)佐助ヶ谷に開創した蓮華寺を起源とし、寛元元年(1243年)現在地に移築し光明寺と改称したという説> |
開山・開基 | 開基:北条経時 / 開山:浄土宗三祖の 然阿良忠 |
本堂 | 入母屋造、銅板棒瓦葺き。(桁行9間、梁間11間。実寸は間口奥行ともに約25メートル。) |
文化財 | 国宝: 『当麻曼荼羅縁起絵巻二巻・附松平定信添書一巻』
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ご由緒 | 諸説有って不明とされていますが説の一例として:
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体験 | おみくじ仏像傾聴御朱印お守り国宝重要文化財有名人のお墓札所・七福神巡り除夜の鐘法話 |
概要 | 光明寺(こうみょうじ)は、神奈川県鎌倉市材木座にある浄土宗の寺院である。寺格は大本山。山号を天照山と称する。本尊は阿弥陀如来。 |
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歴史 | 歴史[編集] 寺伝によれば、開基は北条経時、開山は浄土宗三祖然阿良忠であり[1]、仁治元年(1240年)佐助ヶ谷に開創した蓮華寺を起源とし、寛元元年(1243年)現在地に移築し光明寺と改称したとされるが、『然阿上人伝』は鎌倉入を正元元年(1259年)としており、疑問視されている[2][注釈 1]。 13世紀から14世紀にかけての歴史はあまり定かでないが、室町時代には中興開山とされる祐崇(ゆうそう、? - 1509年)によって復興された。明応4年(1495年)には後土御門天皇より勅願寺に定められている。 近世には、浄土宗の関東十八檀林の第一位の寺として栄えた[4]。 ^ 新編鎌倉志 1...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通[編集] JR横須賀線・江ノ島電鉄鎌倉駅から京浜急行バス小坪経由逗子駅行き「光明寺」下車徒歩すぐ |
引用元情報 | 「光明寺 (鎌倉市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%85%89%E6%98%8E%E5%AF%BA%20%28%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B8%82%29&oldid=100197373 |
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