御朱印・神社お寺の検索サイト
英賀寺内町にあった英賀御堂は、播磨における浄土真宗布教の拠点として栄えました。英賀合戦後、この亀山に移築され亀山御坊と呼ばれるようになります。釣鐘や飾瓦などは英賀御堂のものです。また、本堂…続きを読む
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尼崎にある佐々成政が死んだ法園寺へ。 天正15年(1587年)の九州征伐で功をあげたことを契機に、成政は肥後一国(現在の熊本県)を与えられた。成政は、地域住民の感情に配慮せず検地を行おう…続きを読む
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亀岡から車で湯の花温泉という山の中にある鄙びた温泉郷へ向かう。そこのさらに奥に、谷性寺(こくしょうじ)という真言宗寺院がある。山崎合戦で敗れ、小栗栖の森で土民に刺し殺された光秀。その首は…続きを読む
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阪堺電車で花田口まで乗り、そこから歩き、もうひとつの堺事件スポット・妙国寺へ。双方の銃撃戦でフランス人たちを多数殺害してしまった土佐藩士ら。事件翌日の早朝、京都にいた山内容堂は、すぐさま…続きを読む
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三木氏がここに城を構え、 的形から室津にかけて支配し一大勢力を誇った場所です。一時は播磨における最大の都市であり、別所氏の三木城、小寺氏の御着城と並ぶ、播磨三大城に数えられるほどの巨城で…続きを読む
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飯盛山山頂から獣道と竹藪を抜け、七曲りと呼ばれるコースを通って下山し、ゴールであるこちらへ。ここも2年ぶりの再訪。実際にあった心中事件の主人公で、歌舞伎や浄瑠璃、文楽にも題材にされたお染…続きを読む
黒田官兵衛と、その息子である黒田長政ゆかりの、京都にある報恩寺に来た。この寺は長政の京都における宿舎になった場所で、息を引き取ったとされる「最期の部屋」も残されている。快慶作と伝わる阿弥…続きを読む
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泰山府君(太山王)と閻魔の像を見に高円山を登る。境内から眺める奈良盆地はなかなか良かった。心を奪われたのは目的の閻魔ではなく、その隣にいらした、鎌倉時代に作られたという木造地蔵菩薩立像。…続きを読む
NHK 大河ドラマ「真田丸」で、京極忠高の陣が登場しました。雲光院(阿茶局)と常高院が会談し、大坂冬の陣の和議が成立。続く夏の陣での豊臣方の悲劇や、真田幸村の運命を決定づけたこの場所こそ、…続きを読む
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妙法寺と、冬の陣講和の地である熊野大神宮は隣あっていて、住宅密集地の中なのに荘厳な雰囲気があります。願い事を書いた護摩木を火にくべてきました。ついでに、厄よけぜんざいが振る舞われていたので…続きを読む
こちらは、織田方が毛利と戦う決意をした(加古川評定)加古川城のあった場所で、現在は称名寺があります。当時の城主は糟屋武則で、官兵衛の推薦を受け秀吉の小姓となり、のちの賤ヶ岳の合戦では「賎ヶ…続きを読む
東福寺塔頭のひとつである光明院へ。
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細川ガラシャの墓がある崇禅寺へ。すぐそばには、嘉吉の乱で家臣である播磨の国主赤松満祐に討たれ、この寺に首を捨て置かれた「悪御所」こと足利義教の墓もあった。さらに、浄瑠璃「崇禅寺馬場の仇討」…続きを読む
加古川から自転車で10キロほど、志方町というひなびた田舎まで北上する。志方小学校横に観音寺という場所があるが、ここが官兵衛の妻光姫が生まれた志方城址である。金子ノブアキが演じた光の兄櫛橋…続きを読む
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谷町八丁目にある久本寺へ。ここは『あさが来た』の山王寺屋こと、江戸時代に大坂で両替商として栄えた「天王寺屋」の菩提寺です。創設者の天王寺屋五兵衛は1623年(元和9年)に、現在の住吉区の…続きを読む
平日ですがそんなの関係なしに大混雑の東福寺へ。塔頭の一つである、西郷隆盛と月照ゆかりの即宗院を初めて見学してきました。慣れない着物と草履のため、採薪亭跡はなんとか行けましたが、東征戦亡の碑…続きを読む
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秋季特別公開中の両足院へ。如拙の三教図、長谷川等伯の竹林七賢図屏風、伊藤若冲の雪梅雄鶏図や、七類堂天谿の最近開眼会が行われたばかりの襖絵などを見る。緑の苔が美しい方丈前庭や、書院前の池が…続きを読む
真田信繁ゆかりの志紀長吉神社へ。「勝守」買いました。
関ヶ原の戦いで敗れた真田信繁・真田昌幸親子が、最初に流された蓮華定院へ向かう。建物の裏手に、初代松代藩主となる兄真田信之と、その次男で二代藩主信政の墓所がある。
久しぶりに書院南庭や方丈前庭の白砂を眺める。一時荒れ果てていた戦国末期、細川幽斎によって再興されていることから肥後熊本藩と深い縁があり、横井小楠の墓がここにあるのもそのためだ。時期的に方…続きを読む
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