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短歌や俳句にまつわる神社お寺8選

最終更新:2019年01月10日(木)
公開:2018年12月29日(土)

平成最後の年末年始ですね。

元号は天皇とともに代わりますが、その天皇皇后両陛下が、毎年はじめに国民とともに和歌を披露される「宮中歌会始(きゅうちゅううたかいはじめ)」をご存知ですか?
来年はその歌会始も平成最後となります。

和歌をはじめとした詩歌(和歌や俳句などの韻文)には、ホトカミがテーマとする「神社お寺」が、古来から多く詠まれています。
神社やお寺は、歴史ある建物や仏像、美しい自然など、心を動かされる魅力の宝庫です。

今回は、主要な詩歌とそれらにまつわる寺社をピックアップして、「短歌や俳句にまつわる神社お寺8選」をご紹介します!

末広がりの「八」選、ぜひ最後までご覧くださいね。

この記事の書き手
篆刻家・書家・俳人修行中

小谷 由果


上智大学文学部国文学科卒業。俳人の新人賞である「第9回北斗賞」準賞入賞。俳句、書、篆刻(てんこく)が好き。神社やお寺は、創作のインスピレーションの宝庫!寺社吟行おすすめです。
https://www.cotaniyuca.com

    目次

  1. 出雲大社
  2. 伊勢神宮
  3. 太宰府天満宮
  4. 出羽三山神社
  5. 熊野那智大社
  6. 三峯神社
  7. 本能寺
  8. 法隆寺

八百万の神々が集まる「八雲立つ」出雲の中心

1.出雲大社

出雲大社


出雲大社は、全国から旧暦十月に八百万の神々が集まる出雲の中心として知られ、旧暦十月は一般的には「神無月」、出雲では「神在月(かみありづき)」と呼ばれます。

八百万の神々は、そこで翌年の様々な取り決めをする会議「神議り(かみはかり)」をしているとされています。

俳句では冬の季語に、「神無月」「神渡」「神の旅」「神送り」「神の留守」「神在祭」「神等去出(からさで)の神事」「神迎」などがありますが、これらは全て出雲にまつわる季語です。

神送り出雲へ向ふ雲の脚 正岡子規

<現代語訳>
神送りの季節、雲は出雲へ向かう神のように悠然とした脚取りである。

「神送り」は、神無月に八百万の神々が出雲へ旅立つ前に、参詣して神を送ることです。ゆっくりと動いていく雲に、送られる神の姿を重ねています。

「雲の脚」という表現は、神代にスサノヲ(須佐之男命)が詠んだといわれる日本最古の和歌「八雲立つ」を思わせます。

夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁(古事記)
やくもたつ いずもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を

<現代語訳>
雲が幾重にも湧き出る出雲の地に、大切な妻を守るため、幾重にも垣を巡らすぞ、幾重もの垣を。

スサノヲは、太陽の神さまである姉のアマテラス(天照大御神)とともに、高天原(天つ国)に住んでいましたが、アマテラスがスサノヲの粗暴を恐れて天岩戸に隠れてしまい、世界が真っ暗になってしまいました。

その罪でスサノヲは、八百万の神々によって高天原を追放され、出雲へ降ります。

そこで、ヤマタノオロチの生贄(いけにえ)になる寸前だった美しいクシナダヒメに出会い、ヤマタノオロチを退治しました。
そして無事にクシナダヒメを妻として、出雲に留まり詠んだ歌とされています。

そのスサノヲの子が、のちに国づくりを成し遂げる オオクニヌシ(大国主神)であり、 出雲大社のご祭神となるのです。

オオクニヌシは、国土を開拓し、農耕・漁業・医薬やまじないなどを広めて国づくり(中つ国)を成し遂げました。
その後、天つ国のアマテラスから国譲りを求められ、自身の「宮殿」の建設と引きかえに、アマテラスの孫ニニギに国譲りをします(天孫降臨/てんそんこうりん)。

そしてオオクニヌシは、目に見えない世界を司り、男女のご縁だけでなくあらゆる繋がりの「むすび」の力によって、人々を幸福へ導く神として鎮まりました。
そのオオクニヌシの宮殿が、出雲大社の由来です。

出雲大社|ホトカミ

ホトカミの以前の記事に、「神等去出の神事」をおこなう万九千神社、錦田宮司のインタビューも掲載されています。
縁結び出雲で錦田宮司に聞いた「神社の現在と100年後」

僧である歌人・西行も涙をこぼした

2. 伊勢神宮

伊勢神宮


伊勢神宮は、正式名称を「神宮」といい、皇室の祖神であり、日本全国を守ってくださる総氏神さまともいわれる天照大御神(アマテラス)を主祭神としてまつっています。
古くから多くの参拝者が訪れ、江戸時代には「お蔭参り(お伊勢参り)」が流行しました。

平安から鎌倉時代に多くの和歌を詠んだ歌人の西行は、出家した僧でありながら、伊勢神宮に参拝した際にこのような句を詠んだと言われています。

何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさに涙こぼるる

<現代語訳>
どなたがいらっしゃるのかは知らないけれども、ありがたさに涙がこぼれる

仏教・神道の枠を超えて、神宮には圧倒的な何かを感じたのでしょうね。
西行の残した和歌は2000首以上にのぼり、のち江戸時代に「俳諧(はいかい)」を完成させた松尾芭蕉にも多大な影響を与えています。

俳句の季語に「伊勢参」(春)、「初伊勢」(新年)などがあります。

伊勢神宮内宮(皇大神宮)|ホトカミ

菅原道真の念が、京都から大宰府に梅を飛ばした?

3. 太宰府天満宮

太宰府天満宮


「学問の神様」として有名な菅原道真は、中流貴族で文章博士の父と、大伴旅人・大伴家持ら歌人を輩出した伴氏の母から生まれました。
幼少より詩歌の才能を発揮し、朝廷文人社会の中心的存在に。

皇族との関係を強化し、中央集権政治を推し進める道真は、しだいに藤原氏など有力貴族の反発を招いていきます。
そして、「道真は自身の娘婿を皇位に就けようと謀っている」と虚偽の罪を着せられ、京都から大宰府に左遷、そのまま失意のうちに大宰府で亡くなってしまいます。

その後、天変地異が相次ぎ、それを道真の祟りだと恐れた朝廷は、多くの死傷者が出た「清涼殿落雷事件」から、道真を雷神と結びつけ、京都に北野天満宮、続いて大宰府に安楽寺天満宮(太宰府天満宮)を建立しました。

その太宰府天満宮には、「飛梅伝説」が存在しています。
道真が京都を左遷で去る際、愛でていた庭木の梅を歌に詠むと、その梅が、一晩にして京都から大宰府に飛んできた、というのです。

「言霊」という言葉があるように、詩歌の才能のある道真の言葉には、そんな力もあったのでしょうか。不思議な伝説ですね。

東風吹かばにほひをこせよ梅花主なしとて春を忘るな 菅原道真

<現代語訳>
東風(こち)が吹いて春が来たら、芳しい花を咲かせておくれ、梅の木よ。主人(私)がいないからといって、春を忘れてはならないよ。

和歌が堪能だった道真は、「和歌の神様」とも呼ばれています。
ホトカミの以前の記事にも、菅原道真についてより詳しく書かれているので、こちらもぜひ読んでみてくださいね。
菅原道真はなぜ学問の神様なの?道真の生涯と神さまになるまで

太宰府天満宮|ホトカミ

松尾芭蕉「おくのほそ道」ゆかりの聖地

4. 出羽三山神社

出羽三山神社


江戸時代、俳諧を芸術として完成させた松尾芭蕉は、西行の歌枕や名所旧跡を巡る中で詠んだ「おくのほそ道」が有名ですが、その中で「出羽三山」にまつわる句がいくつか詠まれています。

涼しさやほの三か月の羽黒山 松尾芭蕉

<現代語訳>
涼しいなあ。羽黒山からほんのりとした三日月が見えているよ。

季語は「涼し」で夏。ほんのり三日月の出ているのを、涼しくなってきた夕刻の羽黒山から見た芭蕉。
修験道の根本である羽黒山ならではの、道中にふと感じる清い涼しさがあったのでしょう。
 
「おくのほそ道」には、芭蕉の俳諧と紀行文が収録されており、その中には出羽三山の名称の歴史も記されています。

延喜式に「羽州里山の神社」と有。書写、「黒」の字を「里山」となせるにや。「羽州黒山」を中略して「羽黒山」と云にや。「出羽」といへるは、「鳥の毛羽を此国の貢に献る」と風土記に侍とやらん。月山・湯殿を合て三山とす。


<現代語訳>
延喜式に「羽州里山の神社」とある。書きうつすときに、「黒」の字を「里山」としてしまったのだろうか。また、「羽州黒山」を中略して「羽黒山」と言うのだろうか。この国を出羽と言うのは、鳥の羽を国の貢物として朝廷に献上したから、と風土記に書いてあるということである。羽黒山に、月山と湯殿山を合わせて三山と称している。

出羽三山神社|ホトカミ

高浜虚子ら俳人たちも魅了する御神体「那智の滝」

5. 熊野那智大社

熊野那智大社


世界遺産に指定された「紀伊山地の霊場と参詣道」の熊野三山は、「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」の三社を指します。
このうち「熊野那智大社」では、「那智の滝」そのものが御神体とされています。

生命の母としての水を豊かに湛え、古来より延命長寿の信仰を集める「那智の滝」の姿は、多くの人々の心を動かし、名句を生んできました。

大正・昭和期の俳壇を席巻した、「ホトトギス」主宰の高浜虚子が残した句があります。

神にませばまことうるはし那智の滝 高浜虚子

<現代語訳>
神であらせられるので、真に美しいのだ、那智の滝は。

「まこと(真)うるはし(美し)」と、真直ぐに那智の滝を讃えています。

神さまの御姿は本来直接目に見えるものではないですが、「那智の滝」は、神さまの御姿そのものに見え、それは数多の表現を鍛錬してきた虚子の言葉をも、真直ぐにしてしまう力を感じさせます。

また、この「那智の滝」は、現代俳壇で最も注目される俳人の一人である、堀本裕樹も句にしています。

那智の滝われ一滴のしづくなり 堀本裕樹

<現代語訳>
壮大なる那智の滝を前にして、私は一滴のしづくのような存在である。

那智の滝の大きさと、一滴のしづくの小ささとの対比。
しかもその小さなしづくを「われ」とするその感性に、和歌山出身の作者のアイデンティティを感じます。
那智の滝を生命の母と捉え、壮大なる自然の一部としての”われ”を自覚しているのです。

人間は、確かに人間の”しづく”から生まれる。それは親や先祖、また人間になる前の生命、ひいては自然からでもある、と思い起こさせてくれます。

神道はもともと自然信仰であり、森羅万象に神さまが宿るという考え方。日常の中でその自然への畏怖を持ち、また自身も自然の一部として共存している、ということなのです。

その原始的な神道を体感する場所として、このダイナミックな御神体「那智の滝」は、人々を古代から魅了しています。

熊野那智大社|ホトカミ

現代前衛俳句の旗手・金子兜太の故郷

6. 三峯神社

三峯神社


埼玉県の秩父は、現代前衛俳句の旗手として活躍し、今年2018年に98歳で亡くなった、金子兜太の故郷です。
東京大学を卒業後に日本銀行に入行するも、第二次世界大戦で出兵。捕虜となりますが、無事に帰国し日本銀行に復職。その後「海程」を主宰し、数々の賞や勲章を受けるなど、長きにわたり俳人として活躍しました。

そんな激動の長い人生の中でも、育った地である秩父への愛は深く、秩父を詠んだ数々の句を残しています。
その中に、オオカミを神さまの使い(お犬様)とする三峯神社を思い起こさせる名句があります。

おおかみに螢が一つ付いていた 金子兜太
(現代語の句なので訳は省略)

今は乱獲により絶滅したと言われているニホンオオカミ。
幻となったその神聖なオオカミ(大神)に、儚く小さな灯を明滅させるたった一匹の螢。秩父の魂、変わりゆく自然への想いを感じます。

三峯神社|ホトカミ

明智光秀の歌に隠された意味とは

7. 本能寺

本能寺


本能寺といえば、「敵は本能寺にあり」と、織田信長家臣の明智光秀が起こした「本能寺の変」であまりにも有名ですね。

この「本能寺の変」を起こす前、明智光秀は京都の愛宕神社で連歌会「愛宕百韻」を催し、そこで光秀が出した発句で、すでにこの謀反を匂わせていた、と言われています。

ときは今 あめが下しる 五月かな 明智光秀

<現代語訳>
時は今、雨が降る五月であるなあ。

「時」=「土岐」、「雨が下しる」=「天が下知る」で、「土岐氏一族出身の光秀が、天下に号令する」という意味だと言われています。

さて、本能寺の変により主君の織田信長を自害させた光秀ですが、直後に羽柴(豊臣)秀吉に敗れ、敗走する途中に落武者狩りに遭い、天下をとってわずか二週間足らずで亡くなったと言われています。
光秀の天下はあまりに儚いものとなりました。

本能寺|ホトカミ

正岡子規のあの有名な句は、夏目漱石の句にそっくり?

8. 法隆寺

法隆寺


正岡子規は、明治時代に俳句と短歌の革新運動を展開し、それまでの俳諧から発句を独立させ、「俳句」という概念を作り上げました。

結核を長く患い、喀血(かっけつ)していたことから、「鳴いて血を吐く」と言われるホトトギスの漢字表記である「子規」を俳号としました。

子規といえば、この句が有名ですね。

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規

<現代語訳>
法隆寺にて、柿を食べていると鐘が鳴ったのであるよ。

奈良の法隆寺は、現存する世界最古の木造建築で、607年の創建とされています。
そして、柿は奈良名産の御所柿。無類の果物好きで、中でも柿が大好きであったという子規。

絶品の御所柿を食べていると、その味の感動と呼応するように響く鐘の音。
いにしえから続くような伸びやかな音、鐘の冷んやりとした質感にも、秋の趣を感じます。

この子規の句、実はこの前に夏目漱石がそっくりな句を作っていたのをご存じでしょうか。

鐘つけば銀杏散るなり建長寺 夏目漱石

<現代語訳>
建長寺にて、鐘をついたら銀杏の葉が散ったのであるよ。

夏目漱石は、現代において小説家として有名ですが、実は小説家になる前は俳人として活動していました。
愛媛の松山に英語教師として赴任していた頃で、その時の号は「愚陀仏(ぐだぶつ)」といい、下宿先を「愚陀仏庵」として俳句に熱中していたのです。

すでに漱石と親交の深かった子規は、喀血(かっけつ)して静養後に故郷松山に帰った際、この愚陀仏庵に長期滞在し、二人は切磋琢磨の日々を送りました。

子規の法隆寺の句は、その愚陀仏庵から帰京する途中、奈良へ立ち寄った際に詠まれました。漱石への挨拶句の意味もあったのかもしれませんね。

法隆寺|ホトカミ

おわりに

今回ご紹介した神社やお寺は、これまでの長い歴史の中で詩歌に詠まれてきたものの、ほんの一部です。

みなさまもぜひ、好きな神社やお寺で発見した心の動きを、ホトカミに投稿してみてくださいね!

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