御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ネコ大バナー※三峯神社ではいただけません

みつみねじんじゃ

三峯神社

埼玉県 三峰口駅

投稿する
0494-55-0241

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印・御朱印帳

御朱印(4種類)

三峯神社では、「三峯神社」3種類と、奥宮で1種類の御朱印がいただけます。

三峯神社の御朱印

300円 直書き

中央に三峯神社の印。右上には、「奥秩父三峰」の印に重ねて、標高1100mの山中にあるので「登拝」の文字があります。

500円
書置き

狼のイラスト入り。秩父山中に棲息する狼は、眷属・紙使「お犬様」として
崇められています。鳥居の前や境内にも狛犬ではなく狼が鎮座しています。

500円
書置き

菖蒲のイラスト入り。社紋として用いられている「菖蒲菱(あやめびし)」は
花山院宮家の紋です。
神仏習合の時代、三峯神社は観音院高雲寺と称し、歴代の山主(住職)が花山院宮家の養子に入った歴史があることから、花山院宮家の家紋を社紋として使うようになりました。

三峯神社奥宮の御朱印

300円 直書き
500円 書置き

印が中央の「奥宮」のみのシンプルで美しい三峯神社・奥宮の御朱印。三峯神社の拝殿から90分ほど山道を歩いていく妙法ヶ岳(標高1,329m)の山頂でいただけます。

御朱印帳(3種類)

三峯神社の御朱印帳は全部で3種類です。

花の御朱印帳

1500円
約16㎝×11㎝

紺地に秩父山中に咲く四季の花々が刺繍された美しいデザインです。
三峯神社の社紋のアヤメや、ユリ、カタクリなどが描かれています。

狼の御朱印帳

3000円
約18.4㎝×12.4㎝

本殿や狼、菖蒲菱がほどこされた、木彫り調の御朱印帳。
重厚なデザインですが柔らかい素材です。

花柄の御朱印帳

1500円

着物の柄のような可愛らしい和風デザインの御朱印帳。定期的に柄が変わります。

授与場所・時間

御朱印・御朱印帳ともに本殿正面向かって左側の御朱印所でお受けできます。

授与時間は9時~16時。

現在新型コロナ感染拡大防止のため、また、情勢により変更があります。詳しくは公式サイトをご確認ください。

御朱印をもっと見る|
297
御朱印について
御朱印
あり

三峯神社は山上に位置することから、右上には『登拝』の文字が書かれています。アヤメとオオカミが描かれたアートな御朱印も書き置きでいただけます。

限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

普通520円

ご利益

三峯神社について

大人気!白の氣守


三峯神社では、氣守りというお守りが一番人気です。
普段は、赤・緑・青・ピンクの4色なのですが、1日だけは白の氣守りをいただけます。
手に入れるのも大変困難であり、希少価値もあるのですが、それ以上にご利益がすごいといわれ大変な人気ようです。

拝殿横に浮き上がる「龍」


拝殿横の石畳に浮かび上がる龍がいます。
この龍は元々はなかったのですが、ある辰年から急に浮かび上がるようになったそうです。
縁起物だとされており、待ち受けにすると良いことが起こるかも…

境内の温泉⁉︎浸かってお肌すべすべに


三峯神社ツアーのバスがあるほど、人気の三峯神社。
週末には東京始め関東から多くの参拝客が訪れます。
三峯神社の魅力は、全国でも珍しく、境内に温泉があることです。
「神の湯」は5分浸かればお肌がすべすべになるといわれ、
人気があります。(日帰り入浴可・600円)

絶大なご利益がある裏お札とは?


三峯神社には、表と裏の2種類のお札があるようです。
表のお札とは、普通に社務所でお受けできるお札のことで、
裏のお札というのは、社務所には置いていないお札のことです。
裏のお札には、
「お借りしたら寄り道せずに家に帰り、必ず一年以内にお返しに行く」
という決まりがあり、かなりのご利益があるとひそかに有名になりつつあります。

『神主さんの日常』の舞台


瀬上あきらのエッセイ漫画『神主さんの日常』は、三峯神社の神職「山中さん」や、埼玉県神社庁に実際に取材したものです。三峯ならではの山のお悩みも……。

おすすめの投稿

ひろっく
2021年11月16日(火)
42投稿

埼玉県秩父市 三峯神社。
秩父三社が一社、西武秩父駅から朝一番のバスに乗り80分、渋滞にかかり途中下車し、山道を登り、ようやく辿り着いた先は正に神域でした。空気がピンとして私には強すぎるくらい。御神木から氣を頂き身体を巡らせると心地よい。紅葉のハイシーズンは人が多すぎるので時期外れにまた来よう。帰り三峰商店街にてお蕎麦を頂き、また大混雑で座れないバスで戻りましたとさ。三峰ロープウェイ復活しないかしら。

【由緒】
三峯神社の由緒は古く、当山大縁起によると日本武尊(やまとたけるのみこと)が伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)をお祀りしたのが始まりと伝わります。
景行天皇の命により東国平定に遣わされた尊は、甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向われる途中三峯山に登り、山川が清く美しい様子をご覧になり、国をお生みになられた二神をおしのびになって仮宮を建てお祀りし、この国が永遠に平和であることを祈られました。この時、尊を道案内したのが狼(山犬)であったとされ、神様の使いとして一緒にお祀りされています。
その後、景行天皇は日本武尊が平定した東国を巡幸された折に三峯山に登られ、三山高く美しく連らなることから「三峯の宮」の称号をたまわりました。
降って文武天皇の時、修験の祖役小角(おづぬ)が伊豆から三峯山に往来して修行したと伝えられています。この頃から当山に修験道が始まったものと思われます。
淳和天皇の時には、勅命により弘法大師が十一面観音の像を刻み、社殿の脇に本堂を建て本地堂としました。
こうして徐々に佛教色を増し、神前奉仕も僧侶によることが明治維新まで続きました。
鎌倉期から畠山重忠などの東国武士を中心に篤い信仰をうけていましたが、正平7年(1352)足利氏を討つ兵を挙げた新田義興・義宗等が、戦い敗れ当山に身を潜めたことから、社領を奪われ、山主も絶えて、衰えた時代が140年も続きました。
文亀二年(1503)、修験者月観道満がこの荒廃を嘆き、27年という長い年月をかけて全国を行脚し、復興資金を募り社殿・堂宇の再建を果たしました。
天文2年(1533)、山主龍榮が京都の聖護院へ参じ、「大権現」の称号をたまわって、坊門第一の霊山となりました。以来、天台修験の関東総本山となり観音院高雲寺と称しました。
更に、観音院第七世の山主が京都花山院宮家の養子となり、以後の山主は、十万石の格式をもって遇れました。
現在社紋として用いている「菖蒲菱(あやめびし)」は花山院宮家の紋であります。
やがて、享保5年(1720)日光法印という僧によって、「お犬様」と呼ばれる御眷属(ごけんぞく)信仰が遠い地方まで広まりました。
以来信者も全国に広まり、三峯山の名は全国に知られました。
その後明治の神佛分離により寺院を廃して、三峯神社と号し現在に至っています。

秩父市グルメ③三峯神社参道駐車場近くに三峰商店街がある。とはいえお店は数軒。いも田楽やみそおでん、お蕎麦に焼き椎茸に川魚など一通りの名物を頂ける。今回立ち寄ったのは三峰お犬茶屋山麓亭のお蕎麦です。

三峯神社の建物その他三峯神社の鳥居三峯神社の狛犬三峯神社の狛犬三峯神社の狛犬三峯神社(埼玉県)三峯神社の山門三峯神社の狛犬三峯神社の狛犬三峯神社(埼玉県)三峯神社の狛犬三峯神社(埼玉県)三峯神社の鳥居三峯神社の狛犬三峯神社の狛犬三峯神社の鳥居三峯神社(埼玉県)三峯神社(埼玉県)三峯神社の狛犬三峯神社の狛犬三峯神社の本殿三峯神社の本殿三峯神社の本殿三峯神社の芸術三峯神社の建物その他三峯神社(埼玉県)三峯神社の絵馬三峯神社(埼玉県)三峯神社(埼玉県)三峯神社(埼玉県)三峯神社(埼玉県)三峯神社の建物その他三峯神社の本殿三峯神社の末社三峯神社の本殿三峯神社の芸術三峯神社(埼玉県)三峯神社の末社三峯神社(埼玉県)三峯神社(埼玉県)三峯神社(埼玉県)三峯神社の末社三峯神社(埼玉県)三峯神社(埼玉県)三峯神社の狛犬三峯神社の狛犬三峯神社(埼玉県)三峯神社の像三峯神社の鳥居三峯神社の鳥居三峯神社の景色三峯神社の鳥居三峯神社(埼玉県)三峯神社の歴史三峯神社(埼玉県)三峯神社(埼玉県)三峯神社の建物その他三峯神社の建物その他三峯神社の食事
もっと読む
惣一郎
2021年08月20日(金)
962投稿

三峯神社(みつみね~)、は埼玉県秩父市にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。主祭神は、伊弉諾尊、伊弉冉尊の2柱。配祀神は、造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の総称)と天照大神。秩父神社、寶登山神社とともに秩父三社の1社。鳥居が珍しい形の<三ツ鳥居>であったり、守護神が<狼>で狛犬の代わりに狼の像が祀られているなどの特徴がある。

社伝によると、飛鳥時代の景行天皇の時代に、日本武尊が東征中、碓氷峠に向かう途中で現在地に登って伊弉諾尊、伊弉冉尊の国造りを偲んで創建した。景行天皇の東国巡行の際、社地を囲む白岩山・妙法ヶ岳・雲取山の三山をめでて「三峯の宮」の社号を授けたと伝える。のちに伊豆国に流刑となった飛鳥時代の呪術者・役小角(おづぬ)が三峯山で修行をし、平安時代初期、空海が十一面観音像を刻んで安置したと伝わる(この後、明治維新までは仏教色が色濃く、神前奉仕も僧侶によって行われた)。

中世以降は、日光系の修験道場となって、関東の武将の崇敬を受けた。鎌倉時代前夜の1182年に秩父を治めていた畠山重忠が周辺の山々を寄進して守護不入の地とした。ただし、室町時代になると1352年新田義興・義宗が足利氏討伐に失敗し、当山に身を潜め、社領を奪われ一時衰微した。1503年に修験者月観道満が社殿・堂宇を再建、1533年に山主龍榮が京都聖護院から「大権現」の称号を受け、天台修験の関東総本山・観音院高雲寺と称した。江戸時代の1720年には日光法院により「お犬様」の御眷属信仰が広まり、三峯山の名は全国に知れるところとなった。明治時代に入ると、神仏分離により寺院を廃し、僧侶は皆神主となって「三峯神社」と号し、県社に列格した。

当社は、秩父鉄道の終点・三峯口駅から国道140号線を経由するなどして、徒歩だと9km、クルマだと25kmの雲取山の山頂付近にある。古くからの観光地のようで、駐車場から上の境内はかなり広く、森林浴を兼ねた参拝、散策は、都会の疲れをいやしてくれる。煌びやかな社殿や境内社も立派で、何百年クラスの古巨木も林立しており、さすが修験者の聖域といったところ。(ただ、1939年に開業したロープウェイは2007年に廃止になったようで、観光客は相当減少したみたい。いい観光地だと思うけどなぁ…)

今回は、埼玉県の旧県社、別表神社、秩父三社の1社であるため参拝することに。参拝時は週末の午後で、境内には参拝者だけでなく観光客も大勢来ていた。

※結果的には、社務所閉鎖時間直前の参拝となってしまい、眷属であるオオカミを祀る「御仮屋神社」などは参拝せず。もう一度参拝してみたい。

三峯神社(埼玉県)

三峯神社の北西2.5kmにある<表参道鳥居>。ここから当社までは標高差で600mあるため、健脚でも2時間、普通の人で2時間半かかるらしい。

三峯神社の鳥居

三峯神社の名物の一つ<三ツ鳥居>。鳥居の両サイドに鳥居がくっついた、個性的な形。
ここまでの順路は、大型有料駐車場から階段を登り、三峰ビジターセンター前、土産物買いを通過すると辿り着く。

三峯神社の建物その他

鳥居をくぐって進むと、緩やかな上り坂になる。参道脇には、参拝記念の大型奉納石碑がたくさん並んでいる。昔から<三峯山>は特別だったことが伺われる。

三峯神社の建物その他

しばらく進むと<日本武尊銅像入口>と書かれた石碑が立つ広場に出るが、社殿に向かうには、ここを左折し階段を下る。

三峯神社の山門

正面に現れる<随身門>。江戸中期、神仏混淆の時代に仁王門として建立されたもの。明治の神仏分離令で仁王像を撤去。

三峯神社(埼玉県)

隋神門をくぐると、参道は右方向に曲がり、徐々に下がって行く。

三峯神社の建物その他

しばらく進むと、両側に<狼像>が立っている、左右二つに分かれる場所に出るので、左側を進む。

三峯神社の建物その他

またしばらく進むと、右手に社殿までの階段が現れる。見上げると荘厳な印象。
(社殿までのこの階段を演出するために、参道は隋身門からずっと下がってきた感じ。)

三峯神社の鳥居

巨大な扁額のかかった大きな青銅鳥居。江戸末期の1845年建立。

三峯神社の手水

鳥居をくぐると、左手すぐに<手水舎>。1853年建立。彫刻と彩色が、今まで見たどんな神社よりも絢爛豪華。

三峯神社(埼玉県)

鳥居をくぐると、右手すぐに<八棟燈籠>。1857年建立。大型の木製燈籠で希少らしい。

三峯神社の建物その他

鳥居をくぐって、右方向に見える<神楽殿>。かなり大きい。

三峯神社の本殿

鳥居をくぐった場所から正面を望む。手前両側に半端ない太さの御神木の杉が仁王像のように構えているように見える。
この大杉は800年以上前、畠山重忠の奉納と言われている。
写真構図としては、当社紹介によく出て来るベストアングル。多くの人がここで記念写真を撮っていた。

三峯神社(埼玉県)

<拝殿>全景。江戸時代後期1800年建立。総漆塗りで煌びやかな彩色は彫刻が施されている。

三峯神社の本殿

<拝殿>正面。<三峯神社>と書かれた扁額。 

ん?何かが変?_____扉が閉まっている?

三峯神社の建物その他

時計を見ると15:59、社務所終了の時間ぎりぎり。急いで社殿右側の授与所で御朱印を拝受する。

三峯神社の本殿

もう一度ゆっくり参拝。巫女さんほか神職の方々は片付けをほぼ完了。

三峯神社の建物その他

拝殿の手前左側の地面には、水を掛けると<赤い目の龍神>の姿が現れる。

三峯神社の本殿

拝殿背後の<本殿>。江戸時代前期1661年建立。全体に漆が塗られ、一部極彩色が施されている。

三峯神社(埼玉県)

<社殿>全景。全体としてスキのない美しい構成。

三峯神社の末社

社殿のすぐ右側にある<祖霊社>。ここから右方向に進むと、摂末社群が始まる。

三峯神社の末社

祖霊社の右隣にある、ひと回り大きい<國常立神社>。

三峯神社の末社

國常立神社の右隣にある、ひと回り小さい<日本武神社>。

三峯神社の末社

日本武神社の右隣にある、神明造の小さな社<伊勢神宮>。

三峯神社(埼玉県)

ここから16社の小さな社群がスタート。左から順に<月讀神社>、<猿田彦神社>、<塞神社>、<鎮火神社>、<厳島神社>、<杵築神社>、<琴平神社>、<屋船神社>、<稲荷神社>、<浅間神社>、<菅原神社>、<諏訪神社>、<金鑽神社>、<安房神社>、<御井神社>、<祓戸神社>。

三峯神社(埼玉県)

つづいて、やや大きめの<東照宮>

三峯神社の末社

ふたたび小さな社群。左から順に<春日神社>、<八幡神社>、<秩父神社>。

三峯神社の末社

最後に一回り大きな<大山祇神社>。

三峯神社の像

さらに進むと<日本武尊銅像入口>の石碑近くまで戻り、小山を見上げると<日本武尊>の像。

三峯神社の建物その他

日本武尊の像までの小道の途中にある、極真空手の祖<大山倍達先生>の記念碑。
若いころ当社で山籠もりして修行をしていたとのこと。
そういえば、到着時、参道には大勢の柔道着を着た人々が集まっていたので、何だろうと思っていたのだが、理由が分かって納得。

三峯神社(埼玉県)

少し参道を三ツ鳥居方向に戻ると、左手に階段がある。

三峯神社の鳥居

階段を登ると鳥居があり、ここが<奥宮遥拝殿>。

三峯神社の景色

奥宮遥拝殿からの景色。はるか遠くまで見渡せ、気持ちが良い!
(でも、どこが奥宮(妙法ヶ岳)だったのかな?)

もっと読む
投稿をもっと見る(205件)

歴史

当社の由緒は古く、景行天皇が、国を平和になさろうと、皇子日本武尊を東国に遣わされた折、尊は甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向われる途中当山に登られました。
尊は当地の山川が清く美しい様子をご覧になり、その昔伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)が我が国をお生みになられたことをおしのびになって、当山にお宮を造営し二神をお祀りになり、この国が永遠に平和であることを祈られました。これが当社の創まりであります。

その後、天皇は日本武尊が巡ぐられた東国を巡幸された時、上総国(千葉)で、当山が三山高く美しく連らなることをお聴き遊ばされて「三峯山」と名付けられ、お社には「三峯宮」の称号をたまわりました。

降って聖武天皇の時、国中に悪病が流行しました。天皇は諸国の神社に病気の平癒を祈られ、三峯宮には勅使として葛城連好久公が遺わされ「大明神」の神号を奉られました。
又、文武天皇の時、修験の祖役の小角(おづぬ)が伊豆から三峯山に往来して修行したと伝えられています。この頃から当山に修験道が始まったものと思われます。

天平17年(745)には、国司の奏上により月桂僧都が山主に任じらました。更に淳和天皇の時には、勅命により弘法大師が十一面観音の像を刻み、三峯宮の脇に本堂を建て、天下泰平・国家安穏を祈ってお宮の本地堂としました。

こうして徐々に佛教色を増し、神佛習合のお社となり、神前奉仕も僧侶によることが明治維新まで続きました。

三峯山の信仰が広まった鎌倉期には、畠山重忠・新田義興等が、又、徳川期には将軍家・紀州家の崇敬もあり、殊に紀州家の献上品は今も社宝となっています。又、新田開発にカを尽した関東郡代伊奈家の信仰は篤く、家臣の奉納した銅板絵馬は逸品といわれています。
東国武士を中心に篤い信仰をうけて隆盛を極めた当山も、後村上天皇の正平7年(1352)新田義興・義宗等が、足利氏を討つ兵を挙げ、戦い敗れて当山に身を潜めたことから、足利氏の怒りにふれて、社領を奪われ、山主も絶えて、衰えた時代が140年も続きました。

後柏原天皇の文亀二年(1503)にいたり、修験者月観道満は当山の荒廃を嘆き、実に27年という長い年月をかけて全国を行脚し、復興資金を募り社殿・堂宇の再建を果たしました。

後、天文2年(1533)山主は京に上り聖護院の宮に窺候し、当山の様子を奏上のところ、宮家より後奈良天皇に上奏され「大権現」の称号をたまわって、坊門第一の霊山となりました。以来、天台修験の関東総本山となり観音院高雲寺と称しました。

更に、観音院第七世の山主が京都花山院宮家の養子となり、以後当山の山主は、十万石の格式をもって遇れました。

現在、社紋として用いている「菖蒲菱(あやめびし)」は花山院宮家の紋であります。

やがて、享保5年(1720)日光法印という僧によって、今日の繁栄の基礎が出来ました。「お犬様」と呼ばれる御眷属(ごけんぞく)信仰が遠い地方まで広まったのもこの時代であります。

以来隆盛を極め信者も全国に広まり、三峯講を組織し三峯山の名は全国に知られました。その後明治の神佛分離により寺院を廃して、三峯神社と号し現在に至っています。

歴史をもっと見る|
19

三峯神社の基本情報

住所埼玉県秩父市三峰298−1
行き方

西武秩父駅から三峯神社行き急行バスで 約1時間30分
秩父鉄道に乗り換え終点の三峰口駅へ、そこから西武バスで三峯神社へ。

アクセスを詳しく見る
名称三峯神社
読み方みつみねじんじゃ
参拝時間

9:00~16:00

トイレあり
御朱印あり

三峯神社は山上に位置することから、右上には『登拝』の文字が書かれています。アヤメとオオカミが描かれたアートな御朱印も書き置きでいただけます。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0494-55-0241
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.mitsuminejinja.or.jp/index.htm
お守りあり
絵馬あり
SNS

詳細情報

ご祭神伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)
伊弉册尊 (いざなみのみこと)
創建時代111年(景行天皇41年)
本殿春日造
ご由緒

当社の由緒は古く、景行天皇が、国を平和になさろうと、皇子日本武尊を東国に遣わされた折、尊は甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向われる途中当山に登られました。
尊は当地の山川が清く美しい様子をご覧になり、その昔伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)が我が国をお生みになられたことをおしのびになって、当山にお宮を造営し二神をお祀りになり、この国が永遠に平和であることを祈られました。これが当社の創まりであります。

その後、天皇は日本武尊が巡ぐられた東国を巡幸された時、上総国(千葉)で、当山が三山高く美しく連らなることをお聴き遊ばされて「三峯山」と名付けられ、お社には「三峯宮」の称号をたまわりました。

降って聖武天皇の時、国中に悪病が流行しました。天皇は諸国の神社に病気の平癒を祈られ、三峯宮には勅使として葛城連好久公が遺わされ「大明神」の神号を奉られました。
又、文武天皇の時、修験の祖役の小角(おづぬ)が伊豆から三峯山に往来して修行したと伝えられています。この頃から当山に修験道が始まったものと思われます。

天平17年(745)には、国司の奏上により月桂僧都が山主に任じらました。更に淳和天皇の時には、勅命により弘法大師が十一面観音の像を刻み、三峯宮の脇に本堂を建て、天下泰平・国家安穏を祈ってお宮の本地堂としました。

こうして徐々に佛教色を増し、神佛習合のお社となり、神前奉仕も僧侶によることが明治維新まで続きました。

三峯山の信仰が広まった鎌倉期には、畠山重忠・新田義興等が、又、徳川期には将軍家・紀州家の崇敬もあり、殊に紀州家の献上品は今も社宝となっています。又、新田開発にカを尽した関東郡代伊奈家の信仰は篤く、家臣の奉納した銅板絵馬は逸品といわれています。
東国武士を中心に篤い信仰をうけて隆盛を極めた当山も、後村上天皇の正平7年(1352)新田義興・義宗等が、足利氏を討つ兵を挙げ、戦い敗れて当山に身を潜めたことから、足利氏の怒りにふれて、社領を奪われ、山主も絶えて、衰えた時代が140年も続きました。

後柏原天皇の文亀二年(1503)にいたり、修験者月観道満は当山の荒廃を嘆き、実に27年という長い年月をかけて全国を行脚し、復興資金を募り社殿・堂宇の再建を果たしました。

後、天文2年(1533)山主は京に上り聖護院の宮に窺候し、当山の様子を奏上のところ、宮家より後奈良天皇に上奏され「大権現」の称号をたまわって、坊門第一の霊山となりました。以来、天台修験の関東総本山となり観音院高雲寺と称しました。

更に、観音院第七世の山主が京都花山院宮家の養子となり、以後当山の山主は、十万石の格式をもって遇れました。

現在、社紋として用いている「菖蒲菱(あやめびし)」は花山院宮家の紋であります。

やがて、享保5年(1720)日光法印という僧によって、今日の繁栄の基礎が出来ました。「お犬様」と呼ばれる御眷属(ごけんぞく)信仰が遠い地方まで広まったのもこの時代であります。

以来隆盛を極め信者も全国に広まり、三峯講を組織し三峯山の名は全国に知られました。その後明治の神佛分離により寺院を廃して、三峯神社と号し現在に至っています。

体験おみくじ食事・カフェ御朱印宿坊お守り伝説
Youtube

Wikipediaからの引用

概要
三峯神社(みつみねじんじゃ)は、埼玉県秩父市三峰にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。 秩父神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社。拝殿の手前には珍しい三ツ鳥居がある。狼を守護神とし、狛犬の代わりに神社各所に狼の像が鎮座している。
歴史
歴史[編集] 三峰神社付近略図。1938年 社伝によれば、景行天皇の時、日本武尊が東征中、碓氷峠に向かう途中に現在の三峯神社のある山に登って伊弉諾尊・伊弉册尊の国造りを偲んで創建したという[1]。景行天皇の東国巡行の際、天皇は社地を囲む白岩山・妙法ヶ岳・雲取山の三山を賞でて「三峯宮」の社号を授けたと伝える[2]。伊豆大島に流罪になった役小角が、三峰山で修業をし[1]、空海が観音像を安置したと縁起には伝えられる。 三峰の地名と熊野の地名の類似より、三峰の開山に熊野修験が深くかかわっていることがうかがえる。熊野には「大雲取・小雲取」があり、三峰山では中心の山を「雲取山」と呼んでいる。 中...Wikipediaで続きを読む
行事
祭事[編集] 年間祭事[編集] 三峯神社 年間祭事一覧 1月 歳旦祭 (1月1日) 元旦祈願祭 (1月1日) 豆入り神事 (1月第3・第4日曜日) 2月 節分追儺祭 (ごもっともさま、2月3日) 4月 大祭 (4月8日) - 太々神楽 5月 奥宮山開祭 (5月3日) 6月 大祓 (6月30日) 7月 大日祭 (土用の丑の日) 8月 諏訪神社祭 (8月26日) - 獅子舞 月読祭 (十五夜、旧暦8月15日) 9月 月読祭 (十五夜、旧暦9月13日) 10月 奥宮山閉祭 (10月9日) 12月 大歳のまつり (12月31日) 筒粥神事[編集] 筒粥神事は各地に残る年占の1つであ...Wikipediaで続きを読む
引用元情報三峯神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%B8%89%E5%B3%AF%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=90335066

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy and Terms of Service apply.

行きたい
投稿する
お問い合わせ
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印小バナー2022年10月