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学問の神様は菅原道真だけじゃない!吉田松陰、小野篁、二宮金次郎を紹介!

最終更新:2020年10月31日(土)
公開:2018年02月20日(火)

「菅原道真以外にも学問の神様っているの?」
「他の学問の神様にも、お参りしたい!」


受験シーズンも本格化し、
神社やお寺に合格祈願に訪れる方も多い季節となりましたね。


合格祈願・学問の神様というと、菅原道真を思い浮かべる方が多いかもしれません。
こちらの記事で、菅原道真の生涯や、学問の神様になるまでのお話を紹介しました。

菅原道真はなぜ学問の神様なの?道真の生涯と神さまになるまで

実は、菅原道真以外にも、
学問の神様としてまつられている人物がいることをご存知でしたか?


今回は、
菅原道真以外の学問の神様として親しまれている
吉田松陰、小野篁(おののたかむら)、二宮金次郎の生涯と、
彼らが神様として、まつられるようになった歴史、
そして番外編として、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)をご紹介します。

【47都道府県別】学問の神様・合格祈願の神社お寺まとめ

この記事の書き手
ホトカミライター

森 紗織


実家は神社で、将来神職になるため日々勉強をしています。記事を通して神社のよさをより知ってもらえたらうれしいです。

    目次

  1. 明治維新に貢献する若者を育てた吉田松陰
  2. すべて完璧にこなす天才、小野篁
  3. 勤勉さで出世した二宮金次郎
  4. 番外編~仏様~
  5. おわりに

明治維新に貢献する若者を育てた吉田松陰

幼い頃から学問に励む

“吉田松陰”

吉田松陰(よしだしょういん)は、天保元年(1830)8月4日に、
長州藩(現在の山口県)で生まれました。

貧しい家庭でしたが、幼い頃から学問に励み、
「論語(ろんご)」や「孟子(もうし)」などの中国の古典を学びました。

22歳のときに、山鹿流(やまがりゅう)という兵学(武術に関する学問)の一番高い免許を受けました。



幅広い学問への興味


また、吉田松陰は海外の文化や兵学に興味を持ち、
九州の平戸や、江戸でも勉強しました。

そのうちに、本や人から得る知識だけでなく、
実際に自分の目で海外の文化を確かめたいと考えるようになりました。

しかし、当時の日本は鎖国をしていたため、
海外へ行くことは禁止
されていました。

そこで、アメリカのペリーの船が下田へ入港したとき、吉田松陰はペリーの船へ乗り込み、アメリカへ行こうと計画しました。

ペリーにアメリカへ連れて行ってもらえるようお願いしましたが、
認めてもらえませんでした。

その結果、吉田松陰はアメリカへ密航しようとした罪で自首をして、捕まってしまいました。

その後、松陰は、萩にある牢屋(ろうや)に送られます。

その牢屋に入っているあいだ、
他の罪人たちと俳句や書道など、
それぞれの得意な分野を皆に教えあう勉強会を開きました。

松陰も、皆に「論語(ろんご)」や「孟子(もうし)」などを教えました。



個性を活かす教育法


吉田松陰は1年2ヶ月後、牢屋を出ることを許されました。
牢屋を出たあとも、吉田松陰は勉学に励み、家族に孟子などの勉強会を続けました。

するとその勉強会に若者が集まりはじめました。
そこから吉田松陰は、「松下村塾(しょうかそんじゅく)」の塾長となりました。

松下村塾では、身分や職業などは関係なく、
それぞれの長所を見つけ伸ばす
という教育を行いました。

松下村塾は約2年の間しか開塾していませんでしたが、
伊藤博文(いとうひろぶみ)山縣有朋(やまがたありとも)など、
明治維新に貢献した多くの偉人を輩出しています。

その頃、江戸幕府では、井伊直弼(いいなおすけ)が大老(将軍の補佐役)となりました。
井伊直弼は、政策に反対する人々を捕まえ、罰していきました。
安政の大獄/あんせいのたいごく)

吉田松陰はこのままではいけないと考え、
藩主や塾の生徒、同志などに意見書を送り、幕府の偉い人の暗殺も計画しました。

しかし、この考えは幕府をおびやかすものと考えられ、塾は閉塾。
松陰は再び牢屋へ入れられてしまいます。

そして安政6年(1859) 10月27日朝、吉田松陰は処刑されました。

吉田松陰は、このように勉学に励み、松下村塾で明治時代に活躍する偉人を育てたことから、学問の神様として親しまれています。



吉田松陰をまつる神社


松陰神社(東京都)

“松陰神社”

松陰神社 | ホトカミ
松陰神社 | 公式サイト


松陰神社(山口県)

“松陰神社”

松陰神社 | ホトカミ



すべて完璧にこなす天才、小野篁

エリートな変わり者

“小野篁”

小野篁(おののたかむら)は平安時代(805~853年)の漢詩人、歌人です。

小野妹子(おののいもこ)の子孫で、
一説には小野小町(おののこまち)の祖父とも言われています。

学問に励み、和歌、漢詩、武芸すべて優れていたので、
嵯峨天皇(さがてんのう)に仕え、次々と出世をしました。

しかし、小野篁は部下にも上司にも一度正しいと思ったことは変えない、
まっすぐで頑固な性格でした。

そのため、上司にあたる藤原常嗣(ふじわらのつねつぐ)へ反抗し、
朝廷に対する批判を詩にしたことで、隠岐(おき/根県近くの島)へ島流しにされてしまいました。

このとき、百人一首にも選ばれた歌をよんでいます。
わたの原 八十島(やそしま)かけて 漕(こ)ぎ出でぬと
   人には告げよ 海人(あま)の釣り舟(ぶね)
(意味:「広い海を、たくさんの島々を目指して漕ぎ出して行ったよ」と
 あの人に告げてくれ、漁師の釣り船よ。)

そののち、許しを得て朝廷に戻り、公卿(くぎょう)という高い位に着きました。



地獄でも働いていた!?

“小野篁”

小野篁は、実は夜になると六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)というお寺の内にある井戸を通って、
地獄のえんま庁に出かけ、えんま大王の下で裁判の補佐をしていたと言われています。

藤原良相(ふじわらのよしみ)という上司が重病で亡くなったとき、
小野篁がえんま大王にかけあったおかげで、藤原良相は生き返ることができたそうです。



変わったエピソードも


嵯峨天皇が「無悪善」という落書きがされていたのを、
なんと書いてあるのか小野篁に聞くと、

「悪さが(嵯峨)無くば、善けん(嵯峨天皇がいなければ良いのに)」と簡単に読みました。

嵯峨天皇は、そのように簡単に読めるのは、
落書きを書いた本人に違いないからだと怒りました。

そこで嵯峨天皇は、「子子子子子子子子子子子子」という文字を読めと、
小野篁にクイズを出したところ、

「猫の子の子猫、獅子の子の子獅子(ねこのここねこ、ししのここしし)」と見事に読み解き、 罰を逃れることができました。
(ちなみに、「子」という漢字には、「ね」(訓読み、十二支)、「こ」(訓読み)、「し」(音読み、呉音及び漢音)、「じ」(「し」の変化形)の4通りの読み方があるため、このような読み方ができます。篁のかしこさをあらわしている伝説です。)

また、中国の文学者、白居易(はくきょい)の詩集である「白氏文集(はくしもんじゅう)」を、
まだ天皇しか持っていなかったとき、

嵯峨天皇が白氏文集の一文字だけ変えて小野篁に渡すと、
その一文字をもとの文と同じになるように直しました

これは、小野篁が白居易と並ぶくらい歌をよむ感性とかしこさを持っていることを表しています。

このように小野篁は、賢くさまざまな芸事が得意だったため、
学問の神様としてだけでなく、芸能の神様としても親しまれています。



小野篁をまつる神社


小野照崎神社(東京都)

“小野照崎神社”

小野照崎神社 | ホトカミ
小野照崎神社 | 公式サイト



勤勉さで出世した二宮金次郎

苦労を重ねた努力家

“二宮金次郎”

二宮金次郎は、天明7年(1787)、
相模国(現在の神奈川県小田原市)の農家に生まれました。

しかしあるとき、何度も家の近くの川が氾濫(はんらん)し、
田んぼや畑を流され、家は没落し、農業を続けることが難しくなってしまいました。

そして、貧しい家計を立て直そうと努力した両親も、
過労で亡くなってしまいました。

そうして、二宮金次郎は親戚の家に預けられました。

そこで二宮金次郎は朝から夜まで一生懸命働き、
余裕がある日は、少ない時間も無駄にせず勉強をしました。

荒れた土地を開いて収穫を上げ、
お金を貯め、田んぼや畑を少しずつ買い戻し、24歳のときには没落した家を再興させました。



苦しさから生まれた知恵


大人になった二宮金次郎はこれらの自分の体験をもとに、
大名の財政再建の手助けと貧しい農民の救済、農村の復興を行いました。

そのとき、報徳思想(ほうとくしそう)という教えを広めました。

    報徳思想
  1. 至誠(相手に誠意をもって尽くす)
  2. 勤労(働くこと)
  3. 分度(自分にあった生活を送る)
  4. 推譲(うまくいったことは、次の世代や社会に譲る)

報徳思想とは、
この4つをふまえて、社会のために行動すれば自分に返ってくるという考えです。

大飢饉(ききん)のとき、多くの農村や藩を貧困した状態から救いました。
そのほかにも数学的理論や土木建築技術、文学まであらゆる才能を発揮しました。

こういった活躍がありがたいということで、神様としてまつられるようになりました。



二宮金次郎をまつる神社


報徳二宮神社(神奈川県)

“報徳二宮神社”

報徳二宮神社 | ホトカミ
報徳二宮神社 | 公式サイト



番外編~仏様~

ことわざで有名な文殊菩薩


文殊菩薩(もんじゅぼさつ)は、智慧(ちえ)をつかさどる仏様です。

智慧とは、もともと仏教の用語で、さとりを開くための方法や心もちを見極める力のことです。

現在では、知恵と同じ意味で使われるようになり、学問の仏様としてお参りされるようになりました。

「三人寄れば文殊の知恵」ということわざを知っていますか?

このことわざの「文殊」は文殊菩薩のことを表しています。
普通の人でも、三人で相談すれば、文殊菩薩のように知恵がはたらくと言う意味です。



文殊菩薩をまつるお寺


安倍文殊院(奈良県)

“安倍文殊院”

安倍文殊院 | ホトカミ
安倍文殊院 | 公式サイト



おわりに


いかがだったでしょうか?

吉田松陰、小野篁、二宮金次郎といった学問の神様をご紹介しました。

どの神様も一生懸命勉強し、成果をあげていました。
さまざまな努力や苦労を乗り越え、現代でも慕われる神様になっています。


受験シーズンでもあるこの季節、

菅原道真だけでなく、吉田松陰、小野篁、二宮金次郎、そして文殊菩薩がまつられている神社やお寺にもお参りしてみませんか?


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