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六道珍皇寺ではいただけません
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ろくどうちんのうじ|臨済宗建仁寺派大椿山

六道珍皇寺
京都府 祇園四条駅

御朱印・御朱印帳

御朱印(2種類)

六道珍皇寺では、「薬師如来」と「醫王殿」の2種類の御朱印をいただけます。

季節や行事に合わせた御朱印が頒布されています。

薬師如来の御朱印

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御朱印について
御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
-

六道珍皇寺について

地獄へつながる井戸のあるお寺


閻魔大王の補佐をしていたという伝説が残る平安時代の歌人 小野篁(おののたかむら)。
その小野篁が地獄へ行くのに使ったという「冥土通いの井戸」があります。
また地獄から帰ってくるために使った「黄泉がえりの井戸」も近年発見されました。
閻魔堂の閻魔像と等身大の篁像は迫力いっぱいです。

春と秋の特別拝観


井戸と閻魔堂は通常、公開されてません。
春と秋の一般公開に合わせての拝観がオススメです!

京都府のおすすめ🌸

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歴史

京都では、「六道さん」の名で親しまれ、お盆の精霊迎え(しょうりょうむかえ)に参詣する寺として世に名高い当寺は、山号を大椿山と号し、臨済宗建仁寺派に属する。

当寺の開基は、奈良の大安寺の住持で弘法大師の師にあたる慶俊僧都(きょうしゅんそうず)で、平安前期の延暦年間(782年〜805年)の開創である。当寺は、古くは愛宕寺(おたぎでら)とも呼ばれた。
しかし当寺の建立には、諸説があり空海説(「叡山記録」ほか)や小野篁説(伊呂波字類抄・今昔物語集)をはじめ、一説には宝皇寺(ほうこうじ)の後身説もある。
宝皇寺とは、東山阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)(鳥辺山)山麓一帯に住んでいた鳥部氏が建立した寺で鳥部寺とも呼ばれていたが、今はその遺址(いし)も明らかでない。
またさらには、承和3年(836年)の平安前期に当地の豪族であった山代淡海(やましろのおおえ)等が国家鎮護の道場として建立した(「東寺百合文書」)など、当寺の起源には多くの説がある。
この珍皇寺はもと真言宗で、平安・鎌倉期には東寺を本寺として多くの寺領と伽藍を有していたが、中世の兵乱にまきこまれ荒廃することとなり、南北朝期の貞治3年(1364年)建仁寺の住持であった聞溪良聰(もんけいりょうそう)により再興・改宗され、現在に至っている。
本堂には薬師三尊像(京仏師中西祥雲作)が安置されているほか、境内には閻魔堂(篁堂)(えんまどう:たかむらどう)、地蔵堂、鐘楼等がある。また重要文化財の永久保存のために収蔵庫(薬師堂)には重文の本尊薬師如来坐像(平安時代)が安置されている。

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六道珍皇寺の基本情報

住所京都府京都市東山区小松町595
行き方

市バス206番 東山通 北大路バスターミナル行  清水道下車 徒歩5分

アクセスを詳しく見る
名称六道珍皇寺
読み方ろくどうちんのうじ
参拝時間

9:30~16:00

参拝料

通常無料(特別拝観:大人600円、中学生400円、小学生300円)

御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印帳あり
電話番号075-561-4129
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.rokudou.jp/
おみくじあり

詳細情報

ご本尊薬師如来
山号大椿山
宗旨・宗派臨済宗建仁寺派
創建時代延暦年間(782年~805年)
開山・開基慶俊僧都
ご由緒

京都では、「六道さん」の名で親しまれ、お盆の精霊迎え(しょうりょうむかえ)に参詣する寺として世に名高い当寺は、山号を大椿山と号し、臨済宗建仁寺派に属する。

当寺の開基は、奈良の大安寺の住持で弘法大師の師にあたる慶俊僧都(きょうしゅんそうず)で、平安前期の延暦年間(782年〜805年)の開創である。当寺は、古くは愛宕寺(おたぎでら)とも呼ばれた。
しかし当寺の建立には、諸説があり空海説(「叡山記録」ほか)や小野篁説(伊呂波字類抄・今昔物語集)をはじめ、一説には宝皇寺(ほうこうじ)の後身説もある。
宝皇寺とは、東山阿弥陀ヶ峰(あみだがみね)(鳥辺山)山麓一帯に住んでいた鳥部氏が建立した寺で鳥部寺とも呼ばれていたが、今はその遺址(いし)も明らかでない。
またさらには、承和3年(836年)の平安前期に当地の豪族であった山代淡海(やましろのおおえ)等が国家鎮護の道場として建立した(「東寺百合文書」)など、当寺の起源には多くの説がある。
この珍皇寺はもと真言宗で、平安・鎌倉期には東寺を本寺として多くの寺領と伽藍を有していたが、中世の兵乱にまきこまれ荒廃することとなり、南北朝期の貞治3年(1364年)建仁寺の住持であった聞溪良聰(もんけいりょうそう)により再興・改宗され、現在に至っている。
本堂には薬師三尊像(京仏師中西祥雲作)が安置されているほか、境内には閻魔堂(篁堂)(えんまどう:たかむらどう)、地蔵堂、鐘楼等がある。また重要文化財の永久保存のために収蔵庫(薬師堂)には重文の本尊薬師如来坐像(平安時代)が安置されている。

体験仏像御朱印重要文化財伝説

Wikipediaからの引用

概要
六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ、ろくどうちんこうじ)は、京都市東山区小松町にある臨済宗建仁寺派の寺院。山号は大椿山。本尊は薬師如来。8月7日 - 10日の「六道詣り」、小野篁が冥界に通ったと伝わる井戸で知られる。通称「六道さん」。この付近が「六道の辻」であるとされる。
歴史
歴史[編集] この寺の所在地付近は、平安京の火葬地であった鳥部野(鳥辺野)の入口にあたり、現世と他界の境にあたると考えられ、「六道の辻」と呼ばれた。「六道の辻」は五条通(現・松原通)沿いの六道珍皇寺門前やその西方の西福寺付近とされている[1]。 創建は延暦年間(782年 - 805年)とされ、開山は奈良の大安寺の住持で空海の師にあたる慶俊とされる。異説として空海(「叡山記録」ほか)や小野篁(『伊呂波字類抄』『今昔物語集』)[2]などとする説の他、かつてこの地に住した豪族鳥部氏の氏寺(鳥部寺、宝皇寺)がその前身であるともいう[3]。さらに東寺百合文書の「山城国珍皇寺領坪付案」という文書(長...Wikipediaで続きを読む
引用元情報六道珍皇寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%85%AD%E9%81%93%E7%8F%8D%E7%9A%87%E5%AF%BA&oldid=99492406

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