くまのなちたいしゃ
熊野那智大社公式和歌山県 那智駅
正式参拝・御祈祷:8:30〜15:30
社務所:8:00~16:30
御朱印(2種類)
熊野那智大社では、「熊野那智大社」と「御縣彦社」の2種類の御朱印をいただけます。
行事に合わせたカラフルな御朱印が頒布されています。
熊野那智大社の御朱印
真ん中に熊野那智大社と書かれ、右に日本第一霊驗所の印、真ん中に熊野那智大社の社印、左下に三つ巴紋の印が押されています。
熊野那智大社は、熊野本宮大社、熊野速玉大社とともに熊野三山の一社で、全国約4,000社ある熊野神社の御本社でもあり、日本第一大霊験所根本熊野三所権現として崇敬の厚い社です。
氏子以外の参拝 | 歓迎 | ||
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御朱印 | ■熊野那智大社 真ん中に熊野那智大社と書かれ、右上に日本第一霊験所の印、真ん中に熊野那智大社の社印、左下に三つ巴紋の印が押されています。 ■御縣彦社 真ん中に御縣彦社と書かれ、右上に八咫烏の印、真ん… | ||
限定 | |||
御朱印帳にお書き入れ | ■お書き入れ 熊野那智大社の御朱印 御縣彦社の御朱印 ■書き置きのみ 令和5年限定の特別御朱印 | ||
郵送対応 | |||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 社務所下に駐車場30台あり(神社防災道路通行料800円必要) |
青岸渡寺のすぐお隣に鎮座されています。こちらもとても有名なので皆さんご存じでしょう。
那智山にある神社で 熊野本宮大社・熊野速玉大社と共に 熊野三山を構成しています。
こちらもユネスコの世界遺産に登録されています。
主祭神は熊野夫須美大神で創建は仁徳天皇5年と伝わります。
鳥居の写真を撮るために 一度石段を下りたのですが 正直きつかったです。
青岸渡寺の山門の時もなので 2往復 いやぁ膝が笑いました。
と言うものの 昔の人はもっと麓から登ったはずなので お参りってそうとう強い気持ちがなければできなかったのだと思いました。
境内に上がると 朱だらけのイメージです。
手水や宝物殿や多富気王子神社 さらに本殿もみんな鮮やかな朱色。
世界遺産に登録されているから 朱をしっかり塗りなおしているのでしょうね。
こんな山奥にりっぱな建物があることじたい驚きです。
那智の樟と呼ばれる大きな樟があり その中をくぐる 樟霊社胎内くぐりがありました。
お腹がつっかえつつ 何とか無事にくぐり抜けました。いいことあるよね。
少しベンチで休んで 境内の空気を吸っていたら 神秘のパワーでしょうか 気力がみなぎってきました。(気のせいかもしれませんが)
この勢いで 那智の滝まで行くことにしました。
そうそう 由緒については
『熊野権現金剛蔵王宝殿造功日記』によれば 孝昭天皇の頃にインドから渡来した裸形上人が十二所権現を祀ったとされ また 『熊野略記』では仁徳天皇の頃に鎮座したとも伝えられるが 創成の詳細は不明。
熊野那智大社は 熊野三山の中でも熊野坐神社(本宮)・熊野速玉大社(新宮)の二社とは異なり 山中の那智滝を神聖視する原始信仰に始まるため 社殿が創建されたのは他の二社よりも後である。
当初は那智滝の正面にある現・飛瀧神社の地に社殿があった。
一説には 那智山の奥にある妙法山に登るための禊祓の地だった那智滝が聖地化し 夫須美神が勧請されて当社が滝本で創建されたともいう。
とありました。
青岸渡寺からの門
縁起
太い木の前に鳥居
胎内くぐりと
狭そう お腹がつかえながら
中から外を見たら
出口は階段を上って
無事に出てこれました
一度石段を下りてから 鳥居
石碑
おそらく一の鳥居だと思います
児宮
多富気王子神社
手水
石段はまだ続きます
神馬
もうすぐ境内 二の鳥居
ずいぶん古そうな狛犬
最後に急な階段でばてました
あと少し
広い きれい 朱ばっかり
由緒書
手水
宝物殿
本殿と拝所
御縣彦社
由縁
拝所と本殿
20周年だったのですね
扁額は青に金字
内陣 観光客用でしょうか参拝の方法が書かれています
那智の樟
雨ですが参拝者は多いです
【ラッキー那智編】
青岸渡寺さんのすぐ横に熊野那智大社さんがありますラッキーですそれも世界遺産です😊
めちゃめちゃ立派で人もいっぱい参拝に来てました🙏
那智は遠くて大変でしたが見どころ満載でえぇ1日でした😁
今回もおまけ画像あります😉
普通に登るとこっちです😅
それが青岸渡寺さんからだとすぐ横に✌
八咫烏⚽
くぐりますよ💨
階段めちゃめちゃ急ですから😱
久しぶりに見たなぁ公衆電話📞
おみくじデカい😱デカっ😱
また来たいです🙋
日曜は駐車場無料なんですかねタダでした✌
ここからおまけです😉
めずらし黄色のポスト📫👀
虫喰い岩です喰われてる👀
たい島確かに👀
橋杭岩うわっ~スゴっ👀
一枚岩デカい👀
海きれい🌊👀
おもしろレンジャーやん👀
石灰岩の遺跡ですいや~スゴいなぁ👀
夕日かぁ👀
天気よかったもっときれいだったなぁ『夕日のばかやろう~』👀
ではこれにておしまい🙋
熊野という地名には諸説がありますが、紀伊続風土記には「熊野は隈にてコモル義にして」とあり、「奥まった処」「隠れたる処」との意が、また「クマ」と「カミ」とは同じ意があると考えられ、「クマノ」とは「カミの野」で神々が住う地といえます。
往古、神武天皇御東征のみぎり、この地に上陸された神倭磐余彦命(神武天皇)が那智の大瀧を神として祀られたのが那智山信仰の始まりとさえれ、その後、命は熊野の神使である八咫烏の導きにより大和の地に赴かれ、橿原宮で初代天皇に即位されました。
当社は仁徳天皇五年(317年)、この那智山中腹に社殿が創建され、御瀧本より熊野の神々を遷座してお祀りしたと伝えられています。御祭神は熊野夫須美大神と申し上げる我が国の最初の女神「伊弉冉尊」を主神として十三所の神々をお祀りし、全国の熊野神社四千余社の御本社である熊野三山(本宮大社・速玉大社・那智大社)の一社であり、「日本第一大霊験所根本熊野三所権現」として崇められています。主神の御名「夫須美」は「むすび」と同意であり、所願成就の御神徳があり、かつては「結宮」とも称されました。
熊野信仰は、我が国に仏教が伝わると早くから神仏習合が進み、修験道の隆盛とも相俟って熊野権現として崇められ、平安中期頃より上皇(法皇)が詣でる熊野御幸は百余回に及び、やがて武将や庶民に至るまで大勢の人々が詣でるようになり、「蟻の熊野詣」と称されました。
住所 | 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1 |
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行き方 | JR紀勢本線「紀伊勝浦駅」から熊野御坊南海バス『那智山』行きで約30分、終点『那智山』下車、徒歩20分。 |
名称 | 熊野那智大社 |
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読み方 | くまのなちたいしゃ |
通称 | 那智山、熊野権現 |
参拝時間 | 正式参拝・御祈祷:8:30〜15:30
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参拝にかかる時間 | 約30分 |
参拝料 | 那智大社:なし、宝物殿:300円 |
トイレ | あり |
御朱印 | あり ■熊野那智大社
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限定御朱印 | あり |
御朱印帳に直書き | あり ■お書き入れ
■書き置きのみ
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御朱印の郵送対応 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0735-55-0321 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://kumanonachitaisha.or.jp/ |
おみくじ | あり |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
神仏霊場巡拝の道 | |
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熊野曼荼羅三十三ヶ所 第18番 | 御本尊:熊野夫須美大神 御詠歌: 雲ゆきる 那智のたか根に つきたけて ひかりをぬける 瀧のしらいと |
ご祭神 | 《主》大穴牟遅神,家津御子神,御子速玉神,熊野夫須美大神,天照皇大御神,正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命,天迩岐志国迩岐志天津日高日子番能迩迩芸命,天津日高日子穂穂手見命,天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命,国狭槌尊,宇比地迩神,意富斗能地神,淤母陀琉神,《配》国常立神,伊邪那岐神,黄泉事解男神,豊雲野神 |
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創建時代 | 仁徳天皇五年(317) |
本殿 | 熊野造 |
文化財 | 御本殿八棟、那智大社文書(国指定重要文化財)
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ご由緒 | 熊野という地名には諸説がありますが、紀伊続風土記には「熊野は隈にてコモル義にして」とあり、「奥まった処」「隠れたる処」との意が、また「クマ」と「カミ」とは同じ意があると考えられ、「クマノ」とは「カミの野」で神々が住う地といえます。
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体験 | 祈祷おみくじ結婚式世界遺産御朱印博物館お守り重要文化財祭りアニメなどサブカル武将・サムライ札所・七福神巡り |
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