しゃないん|真言宗豊山派|勝軍山
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楽しみ方舎那院のお参りの記録一覧

秋の滋賀・ご褒美1人旅⑩
長濱八幡宮参拝のあと、お隣りの舎那院さんにお参りしました。
樹々におおわれ、心洗われる感じの素敵なお寺さんです☺️

八幡宮の奥まった所に「舎那院➡️」の札があり、木をかき分けるように進むと石の地蔵さんが迎えてくれました。

紅葉🍁きれいですねぇ…
お地蔵さまと目が合った瞬間、陽がさしてきました❣️

我ながら、待ち受けにしたいような写真が撮れた。

御本堂
弘仁五年(814年)弘法大師のご開基

境内を小川がさらさら流れています。
奥にみえるのは護摩堂

勝軍山新放生寺舎那院
勇ましいお名前ですねー。
源義経が都落ちの折、源氏ゆかりの八幡宮別当寺であるこの舎那院に逃れてきた。が、既に長浜は危険だから、ここじゃなく木之本の浄信寺に急ぎなさいヨ❗️と住職が進言し、義経主従はそれにしたがったと。
実はこの後、木之本地蔵院さんにお参りする予定だったので、
興味深くのお話をききました。

御本尊は愛染明王様と阿弥陀如来様
他にもたくさんの仏様がおられるようです。

お帽子や前掛けを付けた、シャレオツなお賓頭盧さん

護摩堂(不動堂)

こちらは庫裡かな

お留守みたい。
お玄関先にきれいなお花が飾られていました。

瓢箪に龍の絵が描いてある。
ミニネコチャン、可愛い🩷
ネコ好きなお寺さんかな。

書置きの御朱印はコチラからいただけるのでつね。

ネコの涅槃図、おもしろいな〜😄
泥棒猫だの猫ババだの、何かと悪く言われて可哀想だったけど、近年はそこいらじゅうで客寄せになるほどの愛されキャラだネ🥰

庫裡の玄関から本堂を見たところ✨

観音堂、かな

こちらは太子堂

山門です。

鐘楼
袴腰式という様式なんだそうです。
浄林寺さんの太鼓楼といい、長浜の建築物は趣きがあっていいな☺️

紅葉🍁がよく似合います。

御本尊様の御朱印

阿弥陀様の御朱印。
コチラにもネコチャン

冬の寝床にはこんなふうにネコどもが寄ってきます。
トテモアッタケーンダヨ😄

舎那院 長浜八幡宮のとなり

舎那院 長浜八幡宮のとなり

舎那院 長浜八幡宮のとなり

舎那院 長浜八幡宮のとなり

舎那院 長浜八幡宮のとなり

長濱八幡宮をお参りしたところ 境内にお隣のお寺に通じる道を示す看板がありましたのでお参りしました。
神社の隣にお寺となると どうしても神宮寺や廃仏毀釈や神仏分離令という言葉が思い浮かびます。
調べたところ こちらの舎那院さんは 平安時代より長濱八幡宮境内にあった別当寺である新放生寺の子院でした。
この日は運悪くなのか 御朱印は拝受できませんでした。
山号は勝軍山 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は愛染明王 創建年は伝・弘仁5年(814年) 開基は伝・空海、及雅(開山)です。
由緒については
平安時代初期の弘仁5年(814年) 空海を開基として創建したと伝わる古刹。
寺号は新放生寺といい 山号の勝軍山は学頭別当職に就いた源義家による中興の時代(11世紀後半)に後三条天皇より賜ったものである。
16世紀後半の度重なる兵火を受けて堂宇を焼失したが 豊臣秀吉によって再興された。
新放生寺は平安時代より長浜八幡宮の学習院であり別当寺を務ていたが 明治時代初期の神仏分離令により子院の一つである舎那院以外は廃された。
舎那院には廃された寺院の仏像等が集められ 現在に至っている。
とありました。

道案内

山門

大師堂

観音堂




庫裏かな


本堂


扁額 木組みと彫刻がきれい


護摩堂


<梅の花の香りに誘われて長浜御朱印巡り10>
素敵なご縁がありました。
お寺の女性の方に御朱印に込めた思いを伺う事が出来ました。
涅槃図には猫がいない。
舎那院さんに現れる猫ちゃんを御朱印に入れてあげようと☘️何とお優しい、動物好きにはたまらないお考え☘️御朱印に猫の印を入れて良いか迷ったそうです。愛情溢れる御朱印素敵です。
各神社仏閣の方々が御朱印に込める思い素敵ですね。感謝して御朱印お受けしたいと思いました☘️
長浜八幡宮さんから舎那院さんへ、境内に入ると雰囲気が変わります。静かな空間🙏
長浜八幡宮の神宮寺だった歴史あるお寺。
芙蓉のお寺さん、お花を見にまた伺いたい☘️

御本尊 愛染明王様の御朱印
猫ちゃんが二種あります。手を挙げた猫と下げてる猫🐈
冬の雪の印と芙蓉の花の印、パピヨン 🦋の印が私は嬉しい💕
直書きで頂きました。
阿弥陀如来様の御朱印はまた次回芙蓉の時期に😊

山門

本堂、賓頭盧様も撫で撫で。

護摩堂


お参りおすすめして頂いた弁財天様🙏


すぐ隣は長浜八幡宮だ。
滋賀県は、昭和20年7月に現在の大津、昭和20年5月に彦根と米軍による空襲があったが、ここ長浜は戦火を免れたようだ。
だから、安土桃山時代の建物が残り、境内の樹々も素晴らしい。
ここで私は思うのだった。
神社の中には、御朱印帳をお寺を一緒にするのは嫌だと言う人がかなりいるのだ。(もちろん、しないが)
御朱印巡りの本やWebなどでも、御朱印帳は別にするのが常識と書かれている。
本当にそうなのだろうか?
それって、明治維新の保守の考えですよね?と私は言いたい。
元々は、奈良、平安時代から、神仏習合で同じ敷地で仲良くしてきたのだ。
お寺に行くと普通に鳥居があり、比叡山の修行では日吉大社参拝も含まれている。
徳川家康、徳川幕府は、神社もお寺も大事にしたのだ。
芝増上寺内には東照宮もある。
こちらの御朱印であるが、お寺の玄関に抽斗が置かれ、
「お金と一緒にご自由にお持ちください」
となっている。
これも日本の良さなのだ。参拝する人を信じるという。
現在の日本を観ると、神社の賽銭泥棒やら、SNSでのふざけた動画やら、何か変わってしまったと感じる。
この猫のモデルは、ここの庭に住み着いた白黒猫で、滅多に会えないが会えたら幸せなのだと言う。。。残念ながら会えなかった。















滋賀県のおすすめ2選❄️
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