しゃないん|真言宗豊山派|勝軍山
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舎那院の御由緒・歴史
ご本尊 | 愛染明王・阿弥陀如来 | |
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創建時代 | 814年(弘仁5年) | |
開山・開基 | 弘法大師 | |
ご由緒 | 舎那院は弘仁五年(814年)弘法大師の開基と伝えられ、源義家が前九年の役(1051年)において、陸奥国阿倍宗任・貞任征討祈願により凱旋の功ありとして、延久元年(1069年)後三条天皇より勝軍山の勅号を賜わり、勅願の神宮寺として勝軍山新放生寺八幡宮を御建立、社坊三百あまりを数え、天文五年(1536年)には後奈良院より三千石を賜わる。しかし、元亀・天正の兵火にかかり、天正十九年(1591年)秀吉が再興をはかり、七十坊となったが慶長・寛永には三十余坊、天和年間には二十一坊と次第に衰え、明治維新の廃仏毀釈(神佛分離)令により、学頭寺の舎那院(当時遮那院)を除く当時残存の六坊は廃寺となり、本尊愛染明王・阿弥陀如来を始め、一山の佛像・宝物等は舎那院に移された。その後荒廃の一途を辿っていたが、檀信徒一般有縁の浄財により、昭和十七年(1942年)現状の舎那院に整備されたものである。 | |
歴史 | 歴史[編集] 当院は、弘仁5年(814年)に空海によって創建されたという新放生寺の学頭寺として創建された。当初の名称は遮那院である[1]。 その後、平安時代中期になると源義家が前九年の役の際に陸奥国の安倍貞任・宗任兄弟征討の祈願を新放生寺にて執り行った。そして、安倍兄弟を討伐した義家は祈願の功があったとして[1]、延久元年(1069年)に後三条天皇から新放生寺に勝軍山の勅号を賜わり[1]、また同時に天皇の勅願を受けて、石清水八幡宮より祭神を分霊し[2]、神仏習合により新放生寺の境内にその境内社として社が創建された[1]、それが勝軍山新放生寺八幡宮(坂田八幡宮あるいは坂田別宮八幡宮ともいう...Wikipediaで続きを読む | |
引用元情報 | 「舎那院」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%88%8E%E9%82%A3%E9%99%A2&oldid=102230715 |
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