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舎那院ではいただけません
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しゃないん|真言宗豊山派勝軍山

舎那院
滋賀県 長浜駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
なし

なし

その他の巡礼の情報

長浜六瓢箪霊場

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sasaki3
sasaki3
2024年11月30日(土)
1256投稿

舎那院 長浜八幡宮のとなり

舎那院の御朱印

舎那院 長浜八幡宮のとなり

舎那院(滋賀県)

舎那院 長浜八幡宮のとなり

舎那院(滋賀県)

舎那院 長浜八幡宮のとなり

舎那院(滋賀県)

舎那院 長浜八幡宮のとなり

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年08月26日(月)
2064投稿

長濱八幡宮をお参りしたところ 境内にお隣のお寺に通じる道を示す看板がありましたのでお参りしました。
神社の隣にお寺となると どうしても神宮寺や廃仏毀釈や神仏分離令という言葉が思い浮かびます。
調べたところ こちらの舎那院さんは 平安時代より長濱八幡宮境内にあった別当寺である新放生寺の子院でした。
この日は運悪くなのか 御朱印は拝受できませんでした。

山号は勝軍山 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は愛染明王 創建年は伝・弘仁5年(814年) 開基は伝・空海、及雅(開山)です。

由緒については
平安時代初期の弘仁5年(814年) 空海を開基として創建したと伝わる古刹。
寺号は新放生寺といい 山号の勝軍山は学頭別当職に就いた源義家による中興の時代(11世紀後半)に後三条天皇より賜ったものである。
16世紀後半の度重なる兵火を受けて堂宇を焼失したが 豊臣秀吉によって再興された。
新放生寺は平安時代より長浜八幡宮の学習院であり別当寺を務ていたが 明治時代初期の神仏分離令により子院の一つである舎那院以外は廃された。
舎那院には廃された寺院の仏像等が集められ 現在に至っている。
とありました。

舎那院(滋賀県)

道案内

舎那院(滋賀県)

山門

舎那院(滋賀県)

大師堂

舎那院(滋賀県)

観音堂

舎那院(滋賀県)
舎那院(滋賀県)
舎那院(滋賀県)
舎那院(滋賀県)

庫裏かな

舎那院(滋賀県)
舎那院(滋賀県)

本堂

舎那院(滋賀県)
舎那院(滋賀県)

扁額 木組みと彫刻がきれい

舎那院(滋賀県)
舎那院(滋賀県)

護摩堂

舎那院(滋賀県)
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歴史

舎那院は弘仁五年(814年)弘法大師の開基と伝えられ、源義家が前九年の役(1051年)において、陸奥国阿倍宗任・貞任征討祈願により凱旋の功ありとして、延久元年(1069年)後三条天皇より勝軍山の勅号を賜わり、勅願の神宮寺として勝軍山新放生寺八幡宮を御建立、社坊三百あまりを数え、天文五年(1536年)には後奈良院より三千石を賜わる。しかし、元亀・天正の兵火にかかり、天正十九年(1591年)秀吉が再興をはかり、七十坊となったが慶長・寛永には三十余坊、天和年間には二十一坊と次第に衰え、明治維新の廃仏毀釈(神佛分離)令により、学頭寺の舎那院(当時遮那院)を除く当時残存の六坊は廃寺となり、本尊愛染明王・阿弥陀如来を始め、一山の佛像・宝物等は舎那院に移された。その後荒廃の一途を辿っていたが、檀信徒一般有縁の浄財により、昭和十七年(1942年)現状の舎那院に整備されたものである。

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舎那院の基本情報

住所滋賀県長浜市宮前町13-45
行き方

近江鉄道・湖国バス さざなみタウン前 停留所 徒歩4分
JR北陸本線 長浜駅 東口 徒歩15分

アクセスを詳しく見る

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名称舎那院
読み方しゃないん
参拝料

無料

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号0749-62-3298
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスshanain@jinmusic.org
ホームページhttp://jinmusic.org/shanain.html
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詳細情報

ご本尊愛染明王・阿弥陀如来
山号勝軍山
院号舎那院
宗旨・宗派真言宗豊山派
創建時代814年(弘仁5年)
開山・開基弘法大師
本堂七間四面総欅造り
文化財

護摩堂(不動堂)(滋賀県指定文化財)本尊木造愛染明王座像(重要文化財)、本尊木造阿弥陀如来座像(重要文化財)、木造薬師如来座像(長浜市指定文化財)、素文磬(滋賀県指定文化財)、金銅透彫幡(長浜市指定文化財)、絹本著色三月経曼荼羅図(重要文化財)、絹本著色不動明王像(青不動)(滋賀県指定文化財)、絹本著色十六羅漢像(長浜市指定文化財)、絹本著色愛染明王像(長浜市指定文化財)

ご由緒

舎那院は弘仁五年(814年)弘法大師の開基と伝えられ、源義家が前九年の役(1051年)において、陸奥国阿倍宗任・貞任征討祈願により凱旋の功ありとして、延久元年(1069年)後三条天皇より勝軍山の勅号を賜わり、勅願の神宮寺として勝軍山新放生寺八幡宮を御建立、社坊三百あまりを数え、天文五年(1536年)には後奈良院より三千石を賜わる。しかし、元亀・天正の兵火にかかり、天正十九年(1591年)秀吉が再興をはかり、七十坊となったが慶長・寛永には三十余坊、天和年間には二十一坊と次第に衰え、明治維新の廃仏毀釈(神佛分離)令により、学頭寺の舎那院(当時遮那院)を除く当時残存の六坊は廃寺となり、本尊愛染明王・阿弥陀如来を始め、一山の佛像・宝物等は舎那院に移された。その後荒廃の一途を辿っていたが、檀信徒一般有縁の浄財により、昭和十七年(1942年)現状の舎那院に整備されたものである。

体験御朱印花の名所札所・七福神巡り

Wikipediaからの引用

概要
舎那院(しゃないん)は、滋賀県長浜市にある真言宗豊山派の寺院。山号は勝軍山。本尊は愛染明王。芙蓉の名所として知られる。
歴史
歴史[編集] 当院は、弘仁5年(814年)に空海によって創建されたという新放生寺の学頭寺として創建された。当初の名称は遮那院である[1]。 その後、平安時代中期になると源義家が前九年の役の際に陸奥国の安倍貞任・宗任兄弟征討の祈願を新放生寺にて執り行った。そして、安倍兄弟を討伐した義家は祈願の功があったとして[1]、延久元年(1069年)に後三条天皇から新放生寺に勝軍山の勅号を賜わり[1]、また同時に天皇の勅願を受けて、石清水八幡宮より祭神を分霊し[2]、神仏習合により新放生寺の境内にその境内社として社が創建された[1]、それが勝軍山新放生寺八幡宮(坂田八幡宮あるいは坂田別宮八幡宮ともいう...Wikipediaで続きを読む
アクセス
アクセス[編集] JR北陸本線 長浜駅より徒歩約15分。
引用元情報舎那院」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%88%8E%E9%82%A3%E9%99%A2&oldid=102230715
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