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ひよしたいしゃ

日吉大社のお参りの記録一覧
滋賀県 坂本駅

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惣一郎
惣一郎
2021年06月12日(土)1269投稿

日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
かつては日吉社(ひえしゃ)と呼ばれていて、全国に約3,800社ある日吉・日枝・山王神社の総本社。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いである神猿(まさる)とする。西本宮と東本宮を中心とする40万m2(東京ドームの8.5倍)の広大な境内は、国の史跡に指定されている。鳥居は独自の形式で「山王鳥居」(合掌鳥居)と呼ばれる。

社伝によると、崇神天皇7年(紀元前91年)、日吉社は御祭神・大山咋神(おおやまくいのかみ)が坐する日枝の山(比叡山)山頂から現在地に移ったことをもって創建としている(東本宮)。一方、西本宮の御祭神・大己貴神については、667年の大津京遷都に際し、大津京鎮護のため大和国大神神社の御祭神である大物主神を大己貴神として勧請し、新たにし西本宮を立てて祀った。
奈良時代の788年、最澄が比叡山上に比叡山寺(のちの延暦寺)一乗止観院(のちの根本中堂)を建立し、比叡山の地主神・大山咋神を祀る日吉社を守護神として崇敬する。794年の平安京遷都により、日吉社は京の鬼門にあたることから、鬼門除け・災難除けの社として国から崇敬されるようになった。その後、延暦寺の勢力が増してくると、日吉社と神仏習合するようになり、日吉社の神は唐の天台宗の本山である天台山国清寺に祀られていた山王元弼真君に倣って山王権現と呼ばれるようになり、延暦寺では山王権現に対する信仰と天台宗の教えを結び付けて山王神道を説いていくようになった。室町時代にはますます山王信仰が盛んになり、境内に108社、境外に108社の摂社・末社を持つほどに隆盛を誇った。
近世では、1571年に織田信長の比叡山焼き討ちにより日吉社も灰燼に帰したが、信長の死後、豊臣秀吉と徳川家康はともに山王信仰が篤く、特に秀吉は幼名を「日吉丸」といい、あだ名が「猿」だったこのともあり、再建に尽力した。
1868年、明治政府から神仏分離令が出ると、日吉社は率先して仏教色一掃、延暦寺から独立して「日吉大社」と名乗り、延暦寺に対して社殿の引き渡しを要求、拒否されると社殿に乱入し仏像や経典を破壊し焼き捨てるなどした。これが廃仏毀釈が全国に広がるきっかけとなった。

当社は、琵琶湖の南西岸にあり、京阪電鉄石山坂本線・坂本比叡山駅の西方1kmの比叡山の裾野にある。境内は広大で、大きく分けると西本宮と東本宮があって、2つの大神社が併設されているようなイメージ。一般には、西本宮、奥宮、東本宮、大宮橋、日吉東照宮の5つのエリアがあるとされる。多少のアップダウンはあるが、参道はきれいに整備されていて歩いて回りやすい。

参拝時は週末の午後遅めの時間(16時過ぎ)で、駐車場の係員の人に「16時半に閉門だがそれでもいいか」と聞かれたが、せっかく来たのでと思い参拝することに。ただ、西本宮にたどり着くとすでに16時半になってしまい、神職の方々がすごい勢いで閉門の準備をしていたので、今回は西本宮エリアだけはしっかり廻ることに方針変更。もちろん要再参拝。

日吉大社の鳥居

大通り(県道47号線)沿いにある色鮮やかな<赤鳥居>と背高のっぽの<社号標>。社号標も、ちゃんと上端が三角形に尖っている。

日吉大社の鳥居

参道を真西に進むと、東向きに建つ<山王鳥居>。日吉大社の惣合神門で、日吉大社独特の形状の鳥居。東に向かっては伊勢神宮をはじめ東日本の神々を、西に向かっては西日本の神々をそれぞれ拝する意味がある。これが全国3800社の元祖かと思うと感慨深い。

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うりこ姫
うりこ姫
2021年03月01日(月)65投稿

西教寺~日吉大社のコースで参拝させて頂きました。

日吉大社のその他建物

お猿様がいて、清流が流れる、威厳ある社です。

日吉大社の御朱印

直書きして頂きました。

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