ひよしたいしゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方日吉大社のお参りの記録一覧
絞り込み

二十二社のうち、最後になりました「日吉大社」にお詣りにあがらせていただきました。
滋賀の坂本に鎮座されておられますので、大阪からは電車で日帰りで行ける範囲です。
駅からお社までは真直ぐな坂道となっており、甑岩神社同様、結構しんどかったです。
この道の先には、延暦寺の参道入り口もあり、日吉大社はまさに延暦寺同様、京都の
鬼門の守り神として、ここに置かれたのだ。ということがこの場所を見ればよくわかります。
しかし、大阪の住吉大社を山の中に移転させたような大きな境内でした。私がお参り
した神社の中では最大級のお社だったと思います。
広い境内ではございますが、「順路」の看板があちこちに建ててあるので、効率的に
お参りすることができます。
帰りは「鶴喜そば」でおそばを食べるというコースでした。

西本宮でいただいた御朱印です。。日吉大社は奥にある「西本宮」と
手前にある「東本宮」に境内がわかれております。

こちらは東本宮の御朱印。ここの日吉大社は全国の「日枝神社」、「山王神社」
の総本宮であります。



今日のターゲットは日吉大社の神体山。
神体山の牛尾山(八王子山)の山上の磐座・金大巌(こがねのおおいわ)に大山咋神が降り立った。崇神天皇7年、大山咋神を里宮(東本宮)に祀ったのが日吉社の始まりと伝わる。三宮神社の里宮は樹下宮である。
この磐座を挟んで牛尾神社と三宮神社が建つ。
牛尾神社本殿・拝殿は1595年、三宮神社本殿・拝殿は1599年建築で重文指定されている。
日吉三橋。
大宮橋ー西本宮へ向かう参道に掛かる。
走井橋ー大宮橋のすぐ隣に掛かるお祓いをするための橋。
二宮橋ー東本宮(二宮)へ向かう参道に掛かる。
いずれも天正年間1573年~1592年豊臣秀吉の寄進。1669年木橋が石橋に架け替えられた。三橋が重文指定されている。
山王神輿七基。
平安時代に桓武天皇が日吉大神に寄進したのに始まるのが神輿のルーツとされる。このときのものは織田信長と足利義昭を中心とした反信長連合による元亀の乱で焼失した。
現在のものは桃山時代に製作されたもので、重文指定されている。


京阪線比叡山坂本駅を降りると、既に日吉大社参道であり、大きな鳥居があった。
まさに、比叡山へようこそ!ゴイゴイスー!だった。
参道には、比叡山延暦寺の末寺の小さい寺院が並び、明治維新後の神仏分離令前の神仏習合の良さがあった。
比叡山延暦寺の修行では、ここ日吉大社をもお詣りするという話を聴いた。
元々、土地の方が住んでいた場所に祠を立て、神社が建ち、お寺が建ち、仲良く。が基本だということを深く知るのであった。
中は想像していたよりも広かった。
見上げると、比叡山が観える。素晴らしい光景であった。
それにしても、関東とは比べ物にならないほどの杉の樹。杉の花粉が舞っている様は美しい。
境内にいた人たちは、クシャミだらけであった。
比叡山 神仏合うも 杉花粉
もっと読む
建部大社の次は、滋賀県大津市坂本の比叡山の麓に鎮座する、全国に3800余の分霊社の日吉、日枝、山王神社の総本宮日吉大社に参拝に行って来ました。西本宮と東本宮があり周りには社が沢山ありました。昔の人々は山の中に良く建立したなと思いながら、お詣りをしながら見て回りました。
東本宮の御祭神は大山咋神で比叡山の山の神です。
西本宮の御祭神は大己貴命天智天皇の御代に奈良から大津への遷都が行われた際に奈良の三輪山より御神霊をお迎えし、国家鎮護の神として祀られました。
戦国時代に織田信長による焼き討ちによって以前の建造物等全て灰になりましたが、その後の復興によって今日の姿となっています。
境内には3000本の紅葉の木があり、関西屈指の紅葉の名所として多くの参拝者ど賑わいます。
滋賀県のおすすめ2選🎌
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ































































