もずはちまんぐう
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御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり |
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元日の最後は百舌鳥八幡宮に参拝しました
こちらも参拝客で大変な行列でした
日暮れに差し掛かっていたこともあって急ぎ足での参拝になってしまって少し残念です
御朱印は何種類かありました
印象的な大楠が描かれた御朱印
百舌鳥駅から神社へと伸びる197号線に立つ鳥居
百舌鳥駅からナビ通りに来ましたがこちらは正面ではないですね
大鳥大社の大楠と勝るとも劣らない大樹でした
参道から拝殿まで参拝に訪れた人々の長蛇の列でした
境内社の稲荷社
橋を渡った池の中にある市杵島社
なかなか趣のある雰囲気でした
一の鳥居
令和元年(2019年)百舌鳥、古市古墳群がユネスコの世界文化遺産として登録されたことは記憶にも新しいところですが、そんな百舌鳥(もず)の地に鎮座される、百舌鳥八幡宮を参拝いたしました。 創建は欽明天皇の時代(532年~571年)とされ、社伝によると神功皇后が三韓征伐を終えて難波へと帰国の途中、この地に御心を留められ、幾万代までも天下泰平の御誓願を立てられたことを、八幡神の御告げを受けて祭祀を行ったとあり、その為この地を万代(もず)と称したと伝えられています。平安時代末期には京都・石清水八幡宮の別宮でもあったとのことです。 本殿前の樹齢約800年とされる楠の巨木は大阪府の天然記念物にも指定されていて、空に向かって根を張っているような枝振りで圧倒的な存在感を放っていました。
百舌鳥八幡宮・一の鳥居と神社名碑
百舌鳥八幡宮・二の鳥居
百舌鳥八幡宮・手水舎と楠の巨木
ざわ…ざわ…、圧倒的存在感。
百舌鳥八幡宮・楠の巨木と祠
百舌鳥八幡宮・絵馬殿
百舌鳥八幡宮・拝殿
百舌鳥八幡宮・本殿
百舌鳥八幡宮・若宮社
百舌鳥八幡宮・招魂社
百舌鳥八幡宮・稲荷社
御朱印
埴輪の御神籤
埴輪(馬)の御神籤
埴輪ブラザーズ
道明寺天満宮の埴輪の御神籤と並べてみました。
御廟山古墳
宮内庁により陵墓参考地(被葬候補者:第15代応神天皇)に治定されています。
御廟山古墳
お濠でくつろぐ鴨のたち。
いたすけ古墳
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
仁徳天皇陵拝所
宮内庁により百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)として第16代仁徳天皇の陵墓に治定されています。 日本最大の古墳にして、エジプトのクフ王のピラミッド、中国・秦の始皇帝陵とともに世界最大級の墳墓と言われています。
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
でかすぎて全然写真には納まりません。 全景は航空写真でしか無理ですね。(ドローンは飛ばしちゃダメ)
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
説明書き
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
宮内庁の高札
歴史
神功皇后が三韓征討の事終えて難波に御帰りになった時、この百舌鳥の地に御心を留められ幾万年の後までもこの処に鎮りまして、天下泰平民万人を守ろうという御誓願を立てられ、八幡大神の宣託をうけて欽明天皇の時代に、この地を万代(もず)と称し、ここに神社を創建してお祀りされたと伝えられている。
名称 | 百舌鳥八幡宮 |
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読み方 | もずはちまんぐう |
参拝にかかる時間 | 20分 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 072-252-1089 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.mozu8.com/ |
おみくじ | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
詳細情報
ご祭神 | 応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、住吉大神、春日大神 |
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創建時代 | 欽明天皇時代 |
創始者 | 神功皇后 |
本殿 | 三間社流造 |
文化財 | 百舌鳥八幡宮のくす(府指定天然記念物) |
ご由緒 | 神功皇后が三韓征討の事終えて難波に御帰りになった時、この百舌鳥の地に御心を留められ幾万年の後までもこの処に鎮りまして、天下泰平民万人を守ろうという御誓願を立てられ、八幡大神の宣託をうけて欽明天皇の時代に、この地を万代(もず)と称し、ここに神社を創建してお祀りされたと伝えられている。 |
体験 | 祈祷絵馬祭り |
Wikipediaからの引用
概要 | 百舌鳥八幡宮(もずはちまんぐう)は、大阪府堺市北区にある神社。旧社格は府社。約1万坪の境内の中には大阪府の天然記念物に指定されている樹齢約800年の巨大なクスが茂る。 |
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歴史 | 歴史[編集] 神功皇后が三韓征伐の帰途、この地において幾万代まで天下泰平民万人を守ろうとの御誓願を立てたとし、八幡大神の宣託をうけて欽明天皇(532年 - 571年)の時代、この地を万代(もず)と称したのがきっかけと伝わる。 天平元年(729年)、行基によって境内に神宮寺として万代寺が建立され[1]、百舌鳥八幡宮の奥の院となった[2]。後にはまた別に神宮寺・重楽院も建立された。 平安時代には僧坊48ヶ寺、社家360人、神領寺領八百町歩を擁する寺院となるが、保元3年(1158年)時点では石清水八幡宮の別宮となっていた。 また、現在の羽曳野市誉田にある誉田御廟山古墳ではなく、当社のすぐ西にあ...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通[編集] JR阪和線百舌鳥駅から南東へ15分。 南海高野線・泉北高速鉄道・Osaka Metro御堂筋線 中百舌鳥駅から南西へ20分。 南海高野線百舌鳥八幡駅から南へ15分。 南海バスもず八幡前(府道197号沿い) 南海高野線堺東駅前2番乗り場・JR阪和線もず駅前から深井駅行き・あみだ池行き。 泉北高速鉄道深井駅(東)1番乗り場から堺東駅前行き。 南海バスもず八幡前(府道28号沿い) 南海高野線・泉北高速鉄道・御堂筋線中もず駅前(南)3番乗り場から伏尾行き・中老人福祉センター行き・堺市立総合医療センター前行き。 泉北高速鉄道深井駅(西)4番乗り場から中もず駅前行き。 |
引用元情報 | 「百舌鳥八幡宮」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%99%BE%E8%88%8C%E9%B3%A5%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE&oldid=98208397 |
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