もずはちまんぐう
百舌鳥八幡宮のお参りの記録一覧
堺市北区百舌鳥赤畑町5丁の百舌鳥八幡宮⛩️
万代寺さん参拝後に裏道から入ったら、社殿の背後辺りに出てしまいました😅一の鳥居まで遠かったので、くぐらずに境内のみでご勘弁を🙇
他の神社もそうでしたが、成人の日(二十歳の集い)の振袖女性陣がたくさん記念写真撮影中📸
御神木のクスノキが立派です🌳
いろいろあって迷いましたが、月替わり御朱印をいただきました🖌️
市杵島社(橋の上に振袖女性撮影中😅)
水神社
稲荷社🦊
狛犬さん
拝殿
御神木(樹齢約800年)
若宮社
この鳥居は百舌鳥八幡宮のか?
ありがとうございました
今年一年の御礼参り^ ^
御由緒より
百舌鳥八幡宮は、世界文化遺産・百舌鳥古墳群の地域に鎮座し応神天皇を主神とし神功皇后他三神を奉斎し、本殿西側の若宮社に仁徳天皇を奉祀する古い歴史と伝承のある神社。
社伝によれば、神功皇后が三韓出兵より難波に帰国の途上当地に御心留め万代までも天下泰平の御誓願をたてられたことを、八幡神の宣託を受けて欽明天皇の時代にここに祠を設け祭祀を行ったので、この地を万代(もず)称したと伝えられ、以降江戸末期までほとんどの文書に「もず」の地名は万代と記され神社名も万代八幡宮と記されています。
中世の平安時代には、平安京の守護神として朝廷の崇敬の厚かった京都石清水八幡宮の和泉国万代別宮として栄え、石清水古文書(国指定文化財)には長治元年(一一〇四年)~建治二年(一二七六年)までの間に七度にわたり年貢米上納など万代別宮に関する記録が認められます。
室町時代には、当時和泉国の守護職であった西国の雄、大内義弘が当宮に奉納した応安六年在銘の梵鐘(元和元年大坂夏の陣で徳川方に徴発され、現在滋賀県長浜市の寺に保存され市の文化財に指定)の刻文に仁平年間(一一五〇年)の刻印銘のあった梵鐘が破損したので新たに寄進した旨が記されているので平安時代の当宮の存在状況が確認されます。また南北朝時代の新葉和歌集に、亀山天皇の皇孫で二品深勝親王が南北両朝の戦乱の世を憂い当宮に参籠して「民安く国治まれと祈るかな、人の世よりも我が君のため」と詠まれた和歌は当時の皇族の万代八幡宮へのご帰言が推察されます。
しかし、度重なる兵乱や災害で昔日の面影はほとんど消滅し、明治維新の廃仏毀釈などで什宝や多くの古文書も散逸しましたが、その後も地方信仰の要として江戸時代には青蓮院宮・随心院門跡・町尻家・土屋候などの寄進や大坂城代の参拝、秋の祭礼には堺町奉行の参拝、明治八年には新政府の要人・大久保利通郷が参拝され拝殿に社名揮毫の扁額を奉納されました。また、一般庶民の崇敬も厚く江戸期には大阪堂島商人の団体が賑やかに参拝の記録や現在でも尼除けや諸祈願に多くの市民に崇敬され親しまれている。
元日の最後は百舌鳥八幡宮に参拝しました
こちらも参拝客で大変な行列でした
日暮れに差し掛かっていたこともあって急ぎ足での参拝になってしまって少し残念です
御朱印は何種類かありました
印象的な大楠が描かれた御朱印
百舌鳥駅から神社へと伸びる197号線に立つ鳥居
百舌鳥駅からナビ通りに来ましたがこちらは正面ではないですね
大鳥大社の大楠と勝るとも劣らない大樹でした
参道から拝殿まで参拝に訪れた人々の長蛇の列でした
境内社の稲荷社
橋を渡った池の中にある市杵島社
なかなか趣のある雰囲気でした
一の鳥居
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