もずはちまんぐう
百舌鳥八幡宮のお参りの記録一覧(2ページ目)
平日、休暇を取得し、堺市方面へ御朱印巡りへ。天気も良く、絶好の散歩日和でした。
一箇所目は、百舌鳥八幡宮。なかもず駅から、徒歩で約15分くらいです。
境内には、樹齢約800年の立派な楠木があります。秋にはふとん太鼓のお祭りがあり、毎年沢山の人で賑わっているそうですが、今日は平日だったこともあり、とても静かで落ち着いていました。
お目当てだった、ふとん太鼓の切り絵御朱印ももらえました。ありがとうございました。
鳥居と社号
拝殿前の鳥居
百舌鳥八幡宮の紹介
通常の御朱印を書いて頂きました。
大阪府指定 天然記念物。楠木。
枝が大き過ぎて、柱で支えられています。
切り絵御朱印。皆がこうやって撮っていたので、真似してみました。
こちらは百舌鳥駅から徒歩12分ぐらいかかりました。駅前も昭和な感じ、ナビどおりに行きましたが歩道のない道を延々と歩くといった感じでかなり遠く感じてしまいました。
通った道が違ってたのかもしれませんが、こちらもやはり電車よりも車で来る方がいいですね。
そして予想してたよりもはるかに立派で大きな神社さんで驚きました。
鳥居に続く階段が急に見えましたが、一歩ずつ踏みしめながら上がると気持ちがシャキッとしてきました。
境内は広く、七五三やお宮参り、交通安全祈願などでたくさんの方が訪れており、なかなか拝殿の写真を撮ったりじっくり見たりすることは難しいです。もっとゆっくり見たかったな〜。
大阪府指定の天然記念物である楠木、これすごい大きさです。今年あちこち見た中で一番大きいんじゃないかな。
そして社務所で御朱印をいただき、秋なのに夏のような日差しを浴びながら帰宅しました。
百舌鳥八幡宮に参拝しました。趣ある参道から拝殿にいくと、大楠が作る木陰がありがたい。良い風が吹き抜けて気持ち良かったです。また来たい。
季節限定の夏越大祓御朱印をいただきました。
鳥居と社号標。ここから神域へ。両側にずらっと駐車場があります。
鳥居を潜って緑の参道。
拝殿前の石段。鳥居の額が立派です。
拝殿。
拝殿と大楠。樹齢800年だそう。大変大きい。
右に拝殿、左は本殿です。ちょっと見にくいです。
末社の若宮社。
稲荷社。
参拝の記録です。
3月の御朱印です。
限定御朱印です。
限定御朱印です。
境内の大楠です。大阪府の天然記念物です。
境内の大楠です。
御朱印帳です。
御朱印帳です。
御朱印帳です。
参道です。
境内の様子です。
末社の若宮社です。御祭神は仁徳天皇。
末社の稲荷社です。
令和元年(2019年)百舌鳥、古市古墳群がユネスコの世界文化遺産として登録されたことは記憶にも新しいところですが、そんな百舌鳥(もず)の地に鎮座される、百舌鳥八幡宮を参拝いたしました。 創建は欽明天皇の時代(532年~571年)とされ、社伝によると神功皇后が三韓征伐を終えて難波へと帰国の途中、この地に御心を留められ、幾万代までも天下泰平の御誓願を立てられたことを、八幡神の御告げを受けて祭祀を行ったとあり、その為この地を万代(もず)と称したと伝えられています。平安時代末期には京都・石清水八幡宮の別宮でもあったとのことです。 本殿前の樹齢約800年とされる楠の巨木は大阪府の天然記念物にも指定されていて、空に向かって根を張っているような枝振りで圧倒的な存在感を放っていました。
百舌鳥八幡宮・一の鳥居と神社名碑
百舌鳥八幡宮・二の鳥居
百舌鳥八幡宮・手水舎と楠の巨木
ざわ…ざわ…、圧倒的存在感。
百舌鳥八幡宮・楠の巨木と祠
百舌鳥八幡宮・絵馬殿
百舌鳥八幡宮・拝殿
百舌鳥八幡宮・本殿
百舌鳥八幡宮・若宮社
百舌鳥八幡宮・招魂社
百舌鳥八幡宮・稲荷社
御朱印
埴輪の御神籤
埴輪(馬)の御神籤
埴輪ブラザーズ
道明寺天満宮の埴輪の御神籤と並べてみました。
御廟山古墳
宮内庁により陵墓参考地(被葬候補者:第15代応神天皇)に治定されています。
御廟山古墳
お濠でくつろぐ鴨のたち。
いたすけ古墳
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
仁徳天皇陵拝所
宮内庁により百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)として第16代仁徳天皇の陵墓に治定されています。 日本最大の古墳にして、エジプトのクフ王のピラミッド、中国・秦の始皇帝陵とともに世界最大級の墳墓と言われています。
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
でかすぎて全然写真には納まりません。 全景は航空写真でしか無理ですね。(ドローンは飛ばしちゃダメ)
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
説明書き
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
宮内庁の高札
万代寺よりすぐの場所、というか、こちらのすぐ横に万代寺があるというのが正解でしょうか?
広々とした境内です。
神功皇后がこの地において幾万代まで天下泰平民万人を守ろうとの御誓願を立て、八幡大神の宣託をうけて欽明天皇の時代、この地を万代(もず)と称したのがきっかけと伝わる。
729年、行基によって境内に神宮寺として万代が建立されたと言います。
1158年時点では石清水八幡宮の別宮となってたのだとか。
戦国時代や1615年の大坂夏の陣などで荒廃してしまいましたが、江戸時代、大坂城代が替わるに、この神社に参拝していたといいます。
荒廃してこの規模?と思うほど開けています。
鳥居より参道がとても気持ちよく、いいお参りをさせて頂きました。
拝殿前の大楠の木陰がとてもうれしかったです。
社号標と鳥居
参道
弁財天社
稲荷社
拝殿前の鳥居
大楠
大楠について
百舌鳥八幡宮について
若宮社
招魂社
絵馬殿
拝殿
大きなクスノキとオルメカ文明の石像ようなチャーミングな顔をした狛犬さんが印象的でした。
近所の子供さんたちがたくさん集まって、走り回っている遊んでいるおおらかな雰囲気の神社さんです。
こういう光景って大阪だとよく見る気がします。逆に神社仏閣が観光地化している地域では、あまり見かけないような気がします。
「歴史文化ツーリズム外貨を稼ごう!」という動きは理解しますし、同意します。それと同時に、神様や仏様に見守られながら子供が友達と遊びまわる風景は、これまでも、これからも日本に必要だと思います。
京都や奈良に偏っていた神社仏閣巡りも「子供の笑顔が当たり前にある大阪もええな~」と、感じました。
仁徳天皇陵より駅を境にして反対側にあります。
勿論、主祭神は応神天皇です。
温度はあったのですが、風の気持ちいい日でしたので、ここにも参拝者がいらっしゃいました。
アオサギが一羽いたんですよ、飛ぶことも無くトコトコあるいて境内に(笑)
3-4歳くらいの子供が弁天池の鯉に餌を放り投げていたんですよ。
それを見たアオサギ君、「私にも下さいませんかね~」と言わんがばかりに近づいて行った。
ほら、アオサギってそこそこ大きいでしょ?
このくらいの子供じゃ目線が一緒だったりするものですから、「きゃ~~~~」と言って逃げ出す(笑)
「え~~~?くれないんですか~~~?」と言って背を向けると恐る恐る子供が近づく。
それに気づいてアオサギがまた傍による。
再び「きゃ~~~~~」って(笑)
なかなか可愛い光景。
親御さんも笑っていらっしゃった。
このお宮さんはその昔は立派な社殿があったそうです。
しかし「大坂夏の陣」やら大空襲とかで疲弊し、現在のような社殿になったそうですが、この度世界遺産が決まり、修復を始めたようです。
こちらの扁額は大久保利通の書と聞いたのですが、今は中にしまわれているようです。
特別に展示されることもあるそうで、興味のある方は調べたのちに向かわれるのが良いのではないかと思われます。
こちらの由緒書きを頂いたのですが、「神功皇后のお心を受けて八幡大神のご神託を受け」とありましたが、神功皇后は配祀なんです。
創始者が神功皇后とありますが「欽明天皇の時代に、この地を万代(もず)と称し、ここに神社を創建してお祀りされたと伝えられている。」とありますので、神功皇后は仲哀天皇の奥様ですので14代天皇陛下の奥様です。で、欽明天皇は29代の天皇陛下なのでそのずっと後になります。
応神天皇は神功皇后のお子様にあたるんです。
実は応神天皇は別名、誉田別命(ほんだわけのみこと)とも言いますが、胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)と言うお名前もあります。
つまり八幡様は母上である神功皇后のお腹にいる間に神様とされたという話もあるんです。
恐らく三韓征伐に妊娠中の神功皇后が出兵し、お腹の子のご加護で勝ち得たという話があるからでしょうね。
その所為で勝利の神となり源氏に敬われた。
源氏と言うか、その後の武士の守り神とされたんですね。
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