げんしょうじ|浄土宗
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東営山西岸院 源聖寺
~なにわ七坂「源聖寺坂」~
山号 東営山
院号 西岸院
宗派 浄土宗
創建 慶長元年(1596年)
遠誉荷公上人
御本尊 阿弥陀如来
札所
大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 第45番
<第45願 「住定見佛の願」>
もし我れ仏を得たらんに、他方国土の諸もろの菩薩衆、 我が名字を聞きて、皆悉く普等三昧を逮得せん。 この三昧に住して、成仏に至るまで、 常に無量不可思議の一切の諸仏を見たてまつらん。 もししからずんば、正覚を取らじ
当寺の第七世浄誉上人(じょうよしょうにん)の書かれた源聖寺縁起によりますと、当寺を建立(こんりゅう)された初代は、深蓮社遠誉上人荷公和尚(じんれんじゃおんよしょうにんかこうかしょう)とおっしゃり、慶長元年春、諸国行脚に出られ、西成郡寺嶋〈現在の大阪西区九条あたり〉に草庵を結ばれました。従って、東国より来て行業(ぎょうごう)〈仏道の修行〉を西海の岸に営んだ故に、その寺名を東営山西岸寺(とうえいざんさいがんじ)と名付けられました。(中略)大坂の陣の後、徳川家康の治世になって世の中が安定すると、(中略)寺名を「東営山西岸院源聖寺」と改められました。
御本尊
阿弥陀如来仏像は、安阿弥作と伝えられる2尺5寸の立像である。
開山遠誉上人が大阪冬の陣の戦火を避けて海に流したが、後に光を放って海辺に戻ってきたという逸話が「源聖寺縁起」に記されています。
御本尊の他に、堂内には延命火除(ひよけ)地蔵尊(鎌倉時代)を祀っている。
さらに堂前の救世(ぐぜ)観世音菩薩は「花の観音様」として親しまれ、遠方より参詣される方も多くいらっしゃいます。
慶長元年(1596)12月、遠誉荷公上人が創建。
後に徳川家康の都市計画により現在地に移転しました。
大阪大空襲の戦災を免れた江戸初期建築の本堂は昭和48年(1973)の不審火により焼失しました。
御寺の名を冠した源聖寺坂は「なにわ七坂」のひとつとして著名です。
狭い石畳の緩やかな坂道で、坂の上り口にある源聖寺の境内をけずって東西に抜ける道にしたところからこの名で呼ばれています。付近一帯は、寺町として長い歴史を持っています。織田作之助の 「夫婦善哉」の舞台にもなりました。 坂の上にある齢延寺には、幕末に泊園書院を興して活躍した藤沢東畡・同南岳父子の墓があり、銀山寺には、近松門左衛門の「心中宵庚申」にでてくるお千代、半兵衛の比翼塚が建てられています。
上り口から東に10mほどの石畳は、昭和44年(1969年)に廃止された大阪市電の敷石が転用されています。
大阪市天王寺区下寺町1丁目2番25号
歴史
慶長元年(1596)12月、遠誉荷公上人が創建。後に徳川家康の都市計画により現在地に移転した。大阪大空襲の戦災を免れた江戸初期建築の本堂は昭和48年(1973)の不審火により焼失した。
名称 | 源聖寺 |
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読み方 | げんしょうじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 06-6779-3625 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://genshoji.jp |
巡礼の詳細情報
大阪新四十八願所 第45番 | 御詠歌: 唱ふれば 身をも離れず 月影の 照らす誓ひや 袖に仰ふがん |
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詳細情報
ご本尊 | 阿弥陀如来 |
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宗旨・宗派 | 浄土宗 |
開山・開基 | 遠誉荷公 |
文化財 | 庫裏・山門(登録有形文化財) |
ご由緒 | 慶長元年(1596)12月、遠誉荷公上人が創建。後に徳川家康の都市計画により現在地に移転した。大阪大空襲の戦災を免れた江戸初期建築の本堂は昭和48年(1973)の不審火により焼失した。 |
体験 | 札所・七福神巡り |
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